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カテゴリ:愛について
私はどの宗教にも所属していない。
無神論者かと言えばそういうわけでもない。 世の中の仕組みをよ~く眺めていると、 それが神様なのかどうかはわからないが、 偉大な何かが働いているというのを感じないわけにはいかない。 それは例えば、自然の中で見つける事のできるバランスであったり、 心を運ぶ身体を作る時に、間違えることなく自分の役割を知っている すべてのDNAが書き込まれた一つの細胞だったりする。 それらの、奇跡としか言えないような出来事が、 私に神様と呼べる偉大な何かの存在を感じさせる。 宗教に所属していない私でさえ、神様の存在を感じるのだから 宗教に所属している人はさぞかし神様を敬い、神様の教えに従う 立派な人が多いと思いたいけれど、そんな人ばかりではない。 自分の宗教を信じる余り、違う宗教をけなしたり、 そのために戦争したリ、宗教を楯に国を治めたり、、、 どの宗教も、どのように生きるかというような教えであって、 最終的に行きつく所は”愛”ではないのかと私は感じている。 すべての宗教の勉強をした事がないから、 はっきりと言い切る事は出来ないけれど、 昔、色々な宗教の教えの引用を比べた本を読んだ時にも、 どの引用も、愛に繋がっていたような記憶がある。 愛とはいつくしむ心である。 要するに大切にする心である。 相手を受け入れる心である。 だけど、宗教に所属するしないに関わらず 何かを信じて自分のためや人のためにお祈りはしても 本当にわけ隔てなく、人をいつくしむ心を持っている人は 少ない気がするんだけど、、、、 もちろん私を含めて。 (私は自分の為には祈らないけれど) 人の為のお祈りは、しないよりはした方がいいだろうけれど、 宗教の教えを普段人に説いている人達が、人の悪口言ったり、 人をけなしたり、見て見ぬ振りをしたり、 厄介なことから逃げたりしても、信者って言えるんだろうか? 実は、こうやって、宗教と信者の事について書いているのは、 心理分析すると、本当の所、自分が我家に滞在していた人の面倒を 最後まで見なかった罪悪感を、ぬぐおうとする行為なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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