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小生が国民学校2年生の暑い晴れた日に昭和天皇の勅語をラジオで聞いた。家の座敷には近所の人が大勢天皇の重大なお話があるということで集まってきていた。商家だが十畳の座敷と續間一杯に大人が集まっていた。目に残っていたのは男は黄土色の服に戦闘帽、女は白いエプロンに斜めに掛けた国防婦人会のたすきで、ラジオからは「ピーピーとかガーガー」がなるだけだったが突然放送が始まったと記憶している。
座敷の人々は正座をし背筋を伸ばした。私はよく聞き取れず、父が立ち上がって戦争が終わったことを天皇陛下がお話しされたと伝えた。大人たちは泣きながら町内の主だった人だけ残り帰って行った。父が赤紙(招集令状)が来たが入隊日まで、二日あったことは後で聞かされた。当時町内会長をしていて、地方都市には珍しく、旧制帝大を卒業した人で、母は高女卒、小生より8歳と6歳上の姉はどちらも女学校で、終戦時は学人動員で軍需物資を作っていた鐘ヶ渕紡績の寮でその日を迎えていた。当時としてはインテリ家族だったせいか近所の人が頼ってよく来ていた。 昨日私は超低空のグラマンを見た恐怖があり、機銃の跳弾が数メートル先を跳ねた、事と、あの白人操縦士がはっきり見えた恐怖は今もこの日は思い出す。 だから戦争が終わったと聞いたときは、前日の恐怖に合うことはもうないと思った記憶だけしか終戦の日の思い出というものは無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.15 09:45:02
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