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テーマ:アニメあれこれ(27162)
カテゴリ:アニメ日記
ちゃおっす。 ダメ少年の元にやってきた不思議な・・・なんだあれ? なんていうの、えっと、ペットと家庭教師? ネコ型ロボットと赤ん坊? 方や小学生、方や中学生と言う違いはあるけど、だめっぷりはほぼどうレベルの野比のび太と沢田綱吉。でもって彼らの元にはある突然、不思議なお助けマンがやってきた。 と言うところまではよく似た構図だけど、彼らの元にやってきた不思議なお助けマンは全くタイプが違う。 そこに時代の変遷を感じてみちゃうってのが今日のテーマです。 ドラえもんは、よくご存知ですよね。 不思議なポッケからいろんな道具を出してのび太をサポートしてくれる。 その道具にはものっすごい細やかなバリエーションがあって、ほぼ問題を解決できるピンポイントにニーズにあった道具を出してくれる。 でものび太はさらにだめっぷりを発揮して、その道具を使いこなせず失敗するというオチがほとんど。 方やリボーン。 こっちは知らない人もいるだろうから説明しますと、只今少年ジャンプで連載中&アニメ放映中でございまして、「家庭教師ヒットマンREBORN! 」(これで“かてきょーヒットマンリボーン”と読む)というタイトルでございます。 アニメの方しか見てないので、あしからず。 リボーンちゃんは赤ん坊の姿をした赤ん坊。 いや、イタリアのマフィアのボスが最も信頼する、凄腕の赤ん坊です。 ヒットマンと言うくらいなので、ヒットマンです。 あ? わけわかんねーだと? るっせー。そういう設定なんだよ。 ここは飲み込んでくれ。 何で彼がツナのところに来たかと言うとですねぇ、ツナの父親が実はイタリアのマフィアと関係があって、ツナをマフィアの後継者にするために、英才教育をする家庭教師として派遣された、ということなんです。 で、リボーンは何をしてくれるかって言うと、特殊弾という不思議な弾丸を持ってまして、「死ぬ気弾」に打たれた人は一定時間死ぬ気で頑張るようになる。スーパーマリオのキノコみたいな、時間限定のドーピング効果があるわけですね。 その間は超ポジティブで超やる気になるので、色々問題をクリアー出来るというわけです。 その時リボーンは問題に直接は関わらない。 戦いのシーンになっても「やべぇぞ」とか言ってほったらかし。もし手助けをするにしても、他の効果のある特殊弾を撃つくらいで、問題解決はツナが自分でしないといけない。 ここです。 ここがドラえもんと正反対のところなんですよね。 ドラえもんは、問題解決可能な道具を出すけど、のび太はたいてい使いこなせずに失敗するというオチでしょ。 でもリボーンはやる気と、多少の手助けはするけど、ツナは自分で痛い目をしながらも最後は問題をクリアーするんです。(ツナだけ泣いて、周りは助かるというようなオチは多いけど。^^;) のび太は結局道具では解決できない。自分で頑張ってどうにかしなくっちゃという話もあるけど、当初は・・・コミックで持ってた1~10何巻までのなかでは、ドラえもんが未来に帰っちゃう話くらいじゃないのかな? ある意味、ドラえもんの方は楽天的で、リボーンの方が切実だ。 話の背景として、未来の家族のためだというのと、マフィアのファミリーのためだという立場の違いもあるだろうけど、一番大きい差は社会の未来像だと思う。 ドラえもんがやってくる22世紀は、1970年代のまま科学技術だけが進歩したような世界だ。でもここ数年で、現実はそうはならないことがはっきりしてきた。 70年後半から80年にかけては、まさになにやらいい未来が必ず待っているような予感があった。 オイルショックをはさんではいても、科学技術の進歩に対する期待は大きかったんだと思うし、精神やら何やらよりもずっと大きな期待が向けられていたと思う。 でもいま、教育基本法が改正されたり、世の中が温故知新といいながら右傾化していったり、テロとの戦争と言う国家と国家じゃない組織との戦争と言うわけの分らないものが出てきたり、空港で指紋を取ったり、道路のいたるところに監視カメラがあったり、核兵器をもってもいいという人が知事に当選したり。 なにやら科学技術で解決できない沢山な不安が噴出してきた。 冷戦の緊張感よりも、テロの恐怖の方がリアルに感じられるのは、単に物心付いた頃には80~90年という冷戦終結の時代だったからかもしれない。 それともうひとつは、規制緩和等もあり、経済が成熟してこともあって、家族主義からいよいよ個人主義へって、これは単純にはいえないことだし、西洋の個人主義とはかなり意味が違うと思うんだけど、それでも個々人の人権が全体よりも尊重される風潮にはなってきていると思う。 それは自由主義経済の下での平等・・・資本が分散して、機会が均等になっていくためにはその道しかないんだろうと思うのですが、個々人がクローズアップされて、個々人に権利があり、そして責任があるというふうに変わって言ってるんだと思うんです。 でも、ここは日本。 個人の権利や責任は西洋とはかなり違う。 でね、でね、ここが面白いというか、 ドラえもんの場合は、のび太の母は怒るじゃない。 勉強しなさいって。 でも、父は道を示さない。 たまには勉強しなさい、とは言っても。 これは狙いなのかどうかわからないけど、リボーンでは全く逆で、ツナの母はツナを全肯定して怒らない、そして父はツナにばっつり道を示す。 何かこれって、家長制度そのものっぽいでしょ。 日本では個人の権利、責任については発展途上、というか日本風にその考えを吸収して行っている途上だと思う。このリボーンの設定は、その微妙なところにちょうど乗っかっているように思うんですよ。 リボーンはツナに自分で決めて行動して、自分で解決することをいつも迫る。 そして決められないときは背中をドンと押してやる。 そして、それを事情を知らないままに全肯定している母親がいて、さらにレールをひいている父親がいる・・・。 ビミョーでしょ。(笑 でも、このビミョーさは、今の日本のビミョーさをよく表しているような気がする。ツナのファミリー(仲間)達はけして日本的な結びつきじゃない。 仲介者のリボーンがそうだからかもしれないけど、合理主義的というか、みんな自己責任で集まってきている。 家族的な馴れ合いはないし、それぞれがそれぞれの意思を持って行動している。 それを導いているのがリボーンだったり。 そしてツナは違った考えを持った人にとっても公平なんですよね。許せないことは許せないという強い意思も見せるし、許してしまえばもうわだかまりはないという、ダメ人間のくせに超大物の素質を持っている。 この、価値観が多様なグローバル化社会では、自分の価値基準を持ちつつも、違う価値観を持った人をそのまま受け入れる、というのはとても重要なこと。 というわけで、こういうアニメが人気出るのも、時代の養成かなと思ったりしとすという話でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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