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テーマ:アニメあれこれ(26383)
カテゴリ:アニメ日記
とても結論を急ぎたい。 アニメ「神霊狩」を理解するために、ルイス・キャロルの「スナーク狩り」を読まなきゃと思ったのは、神霊狩にでてきたスナークが太郎に言った事が、いつまでも錘のように記憶に残ってしまったからだ。 この世の中の出来事は、個人の頭の中での出来事なのだということを、否定できない部分があるということ。 つまり、実際の物事はどこでどう起ころうとも、それを認識するということは、この頭の中・・・仮にその境界線がただ肉体にとどまらないにしても・・・で完結しうるということが、どうにも受け入れがたく、かつ、否定しがたかった。 スナーク狩りはいわゆる、ナンセンス(意味の無い)文学と言うやつだとの事。 ところが、アリスにしても、とにかく多くの人をひきつけてやまない。いかにも西洋的な物事の分解の仕方で分解された出来事が、ルイス・キャロルのセンスで再び組み立てられた、だまし絵のような物語。 要は、意味の無い話。何がどうなってどうなった、なんていう脈絡のある話ではない。それが神霊狩にも言えるのだとすると、神霊狩も物語全体としては脈絡のある話ではないということでいいのだろう。スナークはブージャムだったかどうかなんてどうでもいい。だって神霊狩ではスナーク自身が消えてしまうのだから。(※「スナーク狩り」では、もしスナークがブージャムだったら、それに出会ったものは消えてしまう。スナーク狩りは実にリスキーな冒険なのだ。) とはいえ、だからといって神霊狩が全く意味の無い話なのかといえば、けしてそうではない。それはスナーク狩りにも言えること。そのパーツパーツは、時に深く、時にさらっと、時にしっとり、時にからっと、さまざまな意味を持っている。でもそれぞれに確かな連関があるかといえば、そうではない。 太郎が都を助けたことと、人工生命が神霊となってあふれ出たことは、因果関係などはない。それぞれが独立した物語だ。だけど、そのほかの出来事と同じように、まったくの無関係と言うわけではない。関係はし合っている。影響しあっている。そこに因果関係を求めること、世の中は一気に頭の中の閉鎖空間にちじまってしまうんじゃなかろうか。 世の中の物事を因果関係でつなげすぎると、あたかも一つの物語のようにしてしまうということは、頭の中で理解できる範囲に世界をせばめてしまうことに他ならないのだと思う。 神霊狩の制作陣が、リアリティを求めたからこそ、スナーク狩りすなわちナンセンスな物語と言う帰結に至ったのだと思う。 そう、この世の中は、全体としてはナンセンスなんですよ。きっと。 人生は脈絡の無い小さな物語の連続で、全体としてはまったくのナンセンスなんですよ。人生に意味など無い。だけど、日常の出来事には意味がある! 人生が輝きをもつということは、日常が輝きをもつということだ。 オレはつい、人生は終わりよければすべて良しだと思っていた。でもそれは違った。人生の帰結もまた、多くの人生の出来事の一つに過ぎず、それは生まれて死ぬまでのストーリノー帰結としては、ナンセンスなんです。 壮絶な死に方をしても、不慮の死を遂げても、生きてきた経過点のそれぞれにおいて別個の価値を見出すことが出来るだろうし、因果として人生を捉えることによって、それらを置き去りにしてしまうことも出来る。 べつに、どちらかがいいというわけでもないかもしれない。 どちらかがいいなどと言えば、それこそナンセンスなのかもしれない。 因果宇宙の輪廻の果てを切り開く螺旋パワーとは、どこまでもナンセンスなカミナの信念と、それを正しいと感じたシモンの直感だった。意味と言う形で捉えきれないからといって、諦めてしまうことは因果にとらわれてしまうということなのか・・・。 なぜ太郎は、ブージャムであるスナークに出会いながらも消えなかったのか? それどころか、スナーク自身が消えてしまった。 それはやはり子供だからだとすると、ブージャムとは、観念につけ入るのだろうか。 理解しようとすること、それを観念にしようとすることは、大人の理性であると同時に、物事の認識の幅を狭めている場合があるということか。 子供の頃、確かに人生に意味などは無かったが、それでも無限の未来が見えていた。それはただ無知だからなのではなく、無知だからこそ見えていた全体像に近かったんだ。 この考え方のほうが悲観主義よりずっと遠い。 楽観的だけど、確実に明るい。 そして、自由だ。 「スナーク狩り」の海図のように、未来は真っ白な地図で表せれる。 大切なのは日常の出来事。 人生全体に意味など無い。 だから目の前の人を大事にすればいい。 だから明日は今日になる限りにおいて、めざす価値がある。 その時間に生きる人がいるから、次世代を考える意味がある。 世界に意味などは無い。 意味などは無いが、価値はある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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