2008/07/28(月)16:51
20年間の思い出(5)
日本証券業協会の証券化商品の販売に関するワーキングループ中間報告(7月24日)を見ました。
錚々たるメンバーでまとめられたものですが、中間報告とは言え、「サブプライム問題に端を発する」という背景からは、想像ができない甘い報告であり(銀行の100%信用補完の付いたABCPを証券化商品から外す等)、そもそもの証券化の定義もはっきりしないため、使いものになりません。(仕組債を証券化商品から外す等)
なぜか日本で行われ金融・証券議論は、統一性を重視する傾向がありますよね。(だから、証券化商品の定義から話したがる、帰納的に項目を列挙したがる等)また、統一性を押しつけたいという起案者の見えざる(見せざる)意図も垣間見まれ、権威主義的な感じもします。
日本証券業協会は同日付でISDA東京事務所か周知要請の依頼があった「ストラクチャード商品(中略)原則」を公表していますが、こちらは手続き重視であり演繹的であって、今日にでも使えるものになっているのと対照的です。ISDAの「原則」の文章はかなり短いですが、分厚い「証券化中間報告」より、多くの意味を含んでいます。
さて、本題。
<債券の常識>
証券運用部に配属された関係で、私が初めて読んだ本は、大和証券(当時)が毎年非売品で発行していた「債券の常識」でした。
当時、証券運用部は、「投資部門」と「ディーリング部門」の2本立てになっていて、私は、後者に所属していました。
証券取引法65条の2の業務の制度担当者だったということです、と法律を使って言うと聞こえは良いですが、「投資部門」が、証券会社から見ると大切な「お客様」の部門だったのに対して、「ディーリング部門」とは、要するに、銀行の中にあるミニ証券会社のことで、証券会社がライバルの業者のことです。
同じ部でも、お隣はお中元にお歳暮に接待まで受ける世界でしたが、こちらは他の銀行の投資部門に接待をするばかりの単なる業者さんでした。業者だったので、大和証券とうい証券会社が社内向けに発行していた「債券の常識」が役に立ったのです。
<証券取引法との出会い>
このとき既に、大蔵省証券局通達で、投資部門とディーリング部門の間には「ファイアーウォール規制」がありました。(当時はまだ銀行の証券子会社制度が認められていない時代でしたから、ファイアーウォールは、本当はなかったんです。後述。)
このファイアーウォール規制の意味がよくわからず、「債券の常識」で調べても、証券会社向けに書いた「債券の常識」には当然何も書いていませんでしたので、意味を調べるために手にしたのが「証券六法」でした。
ここで、初めて「証券取引法」と出会います。
最初は、65条及び65条の2を熟読しました。でもそれだけ読んでもダメなんですね。証券取引法2条(定義)を読み込まないと、65条はわかりません。2条を読むと、政令や定義府令を読まないと意味がつかめません。
そうこうして深く調べていくうちに、証券取引法の世界と制度の完成度に心を打たれ始めました。
一旦、のめりこむとトコトンまで追求する性格である私は、更に他の条文まで読み始め、没頭し、文献にも当たるようになります。後に社内で「歩く証券取引法」と言われるようになるのですが、それは1年も先の話です。当時は、まったくの手探りでした。
今日は、ここまで。
続きは明日以降お話します。
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