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さて、小学4年生から中学3年生を対象に実施した学力調査で、
各学年で極端に正答率の低い漢字があることがわかった という 昨日のお話の続きです。 昨日は漢字を読めるようになるには、読める/読めない以前の問題で、 その漢字の「読み」を、言葉として実際に口に出したことがあるとか、 その漢字が表す「物事」を、実際の体験を元に知っているということが 重要なように思うってことを話しました。 ですが、大事なことってそれだけじゃないワケで …。 ものは漢字、つまりは「文字」の一種なのですから、それを文字として 認識する上では、当然ですが「読むこと」も大事です。 そして、そう考えたときに非常に重要になってくるのが、実は国語の 授業で使う「教科書」なのではないかと、主は思うのですよ。 思うに、ある程度のまとまった文章が読める書物で、誰もが 確実に 目を通すもの って、国語の教科書以外にはないと思うのです。 それ以外だと新聞でも雑誌でも、読まない人は読まないですし。 で、そうなると問題になるのが、教科書に掲載されるような、いわゆる 「大人が読ませたい本」ってそれを「読んでおもしろいと感じる」ための ハードルというか、敷居が高めに設定されてるように思うんですよね。 教科書って、あらゆる本の中で唯一「読む」ことを強いられる本のわりに、 難解だったり、つまんなかったりしますから、読書する気を削がれるのも 当然と言えば当然ですよねぇ…。 本を読むのが好きな人に「国語の教科書が好きでした」って答える人って たぶん1人もいないんじゃないでしょうか?w 主も、よく言う「名作文学」には、おもしろいと思えるものが少なくて、 でも、「本を読む」という行為そのものは大好きなんですよねぇ…。 そう考えると「国語の教科書」の存在意義なんて、ないも同然です。 つまり、国語の教科書を改革することができれば、そこを入り口にして 「読書への興味」という方向に進む人も増えてくんじゃないかな~って、 主は思うんですけど、いかがなもんでしょ? 例えば、各学年で1年に1冊のライトノベル(!)を教材にしてみるのも 極端ではあるけれど、意外とアリかな~なんて、主は思います。 教科書のもう1つの欠点は、「ごく短い文章しか載っていないこと」です。 世に出回っている本のほとんどは、教科書サイズよりも長い文章です。 だから、読む前から敬遠しちゃう人が多いんですよね、きっと。 ですから、おもしろい本を1冊キチンと読み込むことで、長い文章に対する 抵抗力もつけられるんじゃないかと思うんですが …。 大事なのは「本を読むことはおもしろい」という意識を与えることよりも先に 「世の中にはいろんな本があって、おもしろい本も中にはある」ということを 知ってもらうことなんでしょうね、きっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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