強者総取り経済に固執する国の暗い行く末
言うまでもなく、「財源」の基本は税制にある。その税制は「どのような国を目指すか」というビジョンに深く結びついている。どの時代でも富は「強者」、つまり支配システムの中で優位な立場にある人々へ流れ込み、強者は益々富裕になり、弱者はさらに貧しくなる。強者が「小さな政府」を主張し、規制緩和を求め、税金のフラット化を目指すのは、こうしたカネの流れを維持したいからにほかならない。 強者は強欲なものである。この強欲さを資本主義は経済活動の原動力にしている。こうした強欲な行動は市場に存在する「神の見えざる手」が正しい方向へ導くとする教義を無批判に信じる「カルト集団」が存在するようだが、勿論、そのような「手」は妄想にすぎず、実在しない。強欲な強者の意志、いわば「悪魔の汚れた手」が市場を支配しているだけだ。 そうした市場を放置し、「弱肉強食」を基本原理にすれば社会は乱れ、崩壊へと向かうしかない。適切な対価を受け取れない下請け企業や労働者が「遣る気」をなくすのは当然のことだ。 社会的に優位な立場の大企業が適切な対価を支払わないことで生じた歪みは「社会保障費」の増加として現れる。いわば、大企業を儲けさせるために税金が投入されているわけだ。本気で日本経済を再生させたいならば、不公正なシステムを是正し、巨大企業の過剰な内部留保(表も裏も)を放出させるしかない。適正な対価を取引相手に支払わせ、法人税と所得税の累進制を高めることだ。 もはや「国際競争力」などというまやかしは通用しない。日本の大企業は国際的に見て優遇されているからである。表面的な税率だけに焦点を絞った詐欺的な議論が通じる時代は過ぎ去った。せめて、イギリスのロイド・ジョージやアメリカのフランクリン・ルーズベルトくらいの政策を打ち出すべき時期にきている。 勿論、富裕層への課税強化や庶民層の権利拡大は簡単に進むことはないだろう。過去を振り返っても、ロイド・ジョージに対する風当たりは強く、ルーズベルトの政策は最高裁によって妨害された。後にジョン・F・ケネディも大企業に対して厳しい姿勢で臨んだのだが、暗殺されてしまった。そうしたことを理解した上で、「弱肉強食」のシステムを終わらせる政治家が必要な時代になっている。 富裕層は溜め込んだ資金を投機市場で運用し、さらに儲けようとしてきたが、投機市場はカジノであり、カネの取り合いをする場にすぎない。市場へ資金が流入している間は相場が上昇し、取り引きの参加者は儲かっていると錯覚するのだが、庶民層から搾り取れる資金が限界に達すれば市場への新たな資金の流入が細り、相場は頭打ちになって下落へと転じてしまう。その値下がりを恐れて税金を投入しても本質的な解決にはならない。とりあえず「ショック死」を避けるための対処療法にすぎないわけで、根本的な治療法はカジノを縮小するしかないのだ。 ところが、すでに富裕層は「博奕中毒」に陥っている。カジノを縮小するという治療を受け入れようとしない。日米欧の金融機関、投機機関の経営者を見ていればわかるように、富裕層/支配層はあくまでも庶民層からカネを搾り取ろうとする。 このまま進めば庶民はさらに貧困化し、暴動、一揆、あるいは革命が起こる可能性が高まることを、勿論、富裕層は理解している。だからこそ、反乱を防ぐために教育で自分たちにとって都合の良い思想を庶民層に植えつけ、プロパガンダで感情をコントロールし、それでも出てくる異分子を監視するシステムを強化、思想を取り締まる機関や鎮圧部隊を組織してきた。新たな富を外部に求めて戦争を始めるのも常套手段だ。 洗脳、宣伝、監視、鎮圧、戦争、アメリカは全ての手を打っているが、事態は悪化するばかりだ。日本もその後を追っている。社会システムを再生させる唯一の方法を拒否する以上、アメリカにも日本にも未来はない。これが2009年末の状況だ。