「言論の自由」を宣伝するデモでイスラエルのパレスチナ人弾圧を口にしたBBC記者へ解雇の脅し
フランスのシャルリー・エブド紙が襲撃された事件を受け、「テロに抗議」、言論の自由を訴えるという名目のデモがあり、フランス全土で約400万人が参加したという。そのデモにはフランスのフランソワ・オランド大統領をはじめ、各国の首脳が顔を見せていたが、その首脳は警官隊に警備され、隔離された場所で演技していたにすぎなかった。 アメリカからの参加がなかったようだが、偽善的な行為に加わりたくなかったと言うわけではなさそうだ。捜査を指揮していながら事件の直後に「自殺」したエルリク・フレドゥがはアメリカ政府高官の逮捕令状を要求していたという噂もある。 事件の舞台になったシャルリー・エブドでは6年前、「反ユダヤ」と言われた漫画を書いたという理由でモーリス・シネという漫画家が解雇されている。同紙で20年にわたって漫画を書いていたベテランだという。 フランスのデモを取材したBBCの記者、ティム・ウィルコックスはインタビューの中でパレスチナ人がユダヤ人によってひどい目にあっているとする指摘が少なくないと発言したところ、解雇を求める声がアメリカの有力メディアからも出た。結局、解雇を避けるために謝罪したというが、西側が宣伝する「言論の自由」とはこの程度のもの。 日本の大手メディアは「大本営発表」型の報道を受け継ぐ支配層の宣伝機関にすぎないことは言うまでもないが、それを強調しようとしたなのか、アメリカの有力メディアを持ち出す人がいる。ウォーターゲート事件を追及したボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは英雄に祭り上げられ、彼らの所属していたワシントン・ポスト紙は「言論の自由」を象徴する媒体と見なされているようだ。 しかし、そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞めた後、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 本ブログでは何度も書いていることだが、アメリカの支配層は1948年頃中、情報操作を目的とするプロジェクトもスタートさせている。いわゆる「モッキンバード」で、その中心には4名がいた。ウォール街の弁護士で大戦中から破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、やはりウォール街の弁護士でダレスの側近として極秘部隊OPCの局長を務めたフランク・ウィズナー、ウィズナーと同じようにダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) このプロジェクトには他のメディア幹部も協力、CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、タイム/ライフを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズ紙の発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやライフの発行人だったC・D・ジャクソンなどの名前も挙がっている。一般にリベラルと見なされているニューヨーク・タイムズ紙やロサンゼルス・タイムズ紙なども体制派の新聞にすぎない。 第2次世界大戦の前、ウォール街の大物たちがフランクリン・ルーズベルト大統領を引きずり下ろしてファシズム体制を樹立させようとしていたとき、反ルーズベルトのキャンペーンに新聞を利用することになっていた。こうしたことはスメドリー・バトラー退役少将の議会証言で明らかにされた。 アメリカは嘘の上に築かれた国であり、アメリカの有力メディアが言論の自由を尊重しているということも嘘のひとつにすぎない。ワシントン・ポスト紙が「有力紙」と見なされるようになったのは、モッキンバードで社主だったフィリップ・グラハムがアレン・ダレスと手を組んで以降のことだ。