752便墜落の背景(1/2):プロパガンダ
1月8日の朝、テヘランのイマム・ホメイニ空港を飛び立ったウクライナ国際航空の752便はその数分後、高度8000フィート(2400メートル)の地点で何らかの重大な事態が発生し、墜落した。この墜落で176名が死亡したが、その大半はイラン人とカナダ人。イラン側の説明では、エンジンで火災が発生して空港へ引き返す途中で墜落し、爆発したという。 それに対し、1日以上を経過してから西側で752便はイランのミサイルで撃墜されたという外交的な宣伝がはじまる。10日になるとAP通信がアメリカ、イギリス、カナダの匿名情報源からの話としてイランのミサイルで撃墜された可能性が高いと報道、ロイター通信が続いた。 映像も流されているが、それが何を意味しているかわからない代物。今のところ墜落の原因を特定できるような情報はない。ICAO(国際民間航空機関)でさえ、調査が行われる前の推測は避けるように釘を刺している。 しかし、プロパガンダは調査が始まる前が勝負。調査で不都合な情報が出てくる前に、自分たちにとって都合の良いイメージを人びとに植えつける必要があるからだ。 今回の出来事で大々的な宣伝を展開している西側の政府や有力メディアが戦争を始め、続けるために嘘をつき続けてきたことも忘れてはならない。詳細は割愛するが、その一部は本ブログでも取り上げた。この事実は今回の墜落の真相を明らかにする上で重要なファクターのひとつだ。 アメリカの有力メディアとCIAとの関係は1977年代に広く知られるようになった。そうした実態を明かしたひとりがウォーターゲート事件の取材で有名になったカール・バーンスタインである。 バーンスタインは1977年に同紙を辞め、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いた。CIAが有力メディアをコントロールしている実態を暴露したのだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。 CIAが有力メディアを情報操作のために使うプロジェクトを「モッキンバード」と呼んだのはジャーナリストのデボラ・デイビス。1979年に『キャサリン・ザ・グレート』というタイトルの本を出版している。そのほかフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でCIAと有力メディアとの関係は明らかにされた。 これも本ブログで繰り返し書いてきたことだが、ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。 有力メディアが権力システムに組み込まれていることを示す一例がソンミ事件だろう。1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において住民がアメリカ軍の部隊によって虐殺したのだが、その際、そうした行為を目にしたはずの従軍記者、従軍カメラマンは報道していない。 この虐殺が発覚したのは内部告発があったからである。虐殺の最中、現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたことから生き残った人がいたことも一因だろう。 そうした告発を耳にし、調査の上で記事にしたジャーナリストがシーモア・ハーシュ。従軍記者ではない。1969年11月のことだ。 この虐殺はCIAが特殊部隊と組んで実行していたフェニックス・プログラムの一環で、この秘密作戦を指揮したひとりであるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言、自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人だとする推測もある。 ソンミ村での虐殺はアメリカ陸軍第23歩兵師団の第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の第1小隊によって実行された。率いていたのはウィリアム・カリー中尉。虐殺から10日後、ウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長は事件の調査をCIA出身のウィリアム・ピアーズ将軍に命令する。ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。事件を揉み消すために人選だろう。 第23歩兵師団に所属していた将校のひとりがコリン・パウエル。ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官だ。2004年5月4日にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、彼は自分も現場へ入ったことを明らかにしている。 ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。その仕事ぶりが評価され、「異例の出世」をしたと言われている。 アメリカは従属国の軍隊を引き連れて2003年にイラクを先制攻撃したが、その直前にイラクが「大量破壊兵器」を保有、アメリカへの攻撃が迫っているかのような宣伝が展開されたが、その宣伝でもパウエルは重要な役割を果たした。(つづく)