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《櫻井ジャーナル》

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2020.10.29
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 フランスのコンフラン-サントリーヌの中学校でサミュエル・パティという歴史と地理を教えていた教師が10月16日、18歳になるチェチェンからの難民、アブドラ・アンゾロフに刃渡り30センチメートルのナイフで殺され、首を切られたと伝えられている。授業中、イスラムの予言者マホメットを裸にした漫画を生徒に見せたという話が広まった結果だという。

 チェチェンから少なからぬ人がフランスへ移り住んでいるようだが、この地域にはアメリカがロシアを揺さぶるために戦闘員を送り込んできた。そうした戦闘員を訓練するための拠点として使ってきたのがジョージアのパンキシ渓谷だ。

 ここで訓練を受けた戦闘員はシリアなどへも派遣されている。その数は200名から1000名と言われ、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)に合流したという。2015年9月末にロシア軍がシリア政府の要請で介入、ダーイッシュは敗走。主要な戦闘員はアメリカの軍や情報機関などが救出、雑兵は放り出され、戦闘が続いているのはイドリブなど一部にすぎない。

 エマニュエル・マクロン仏大統領は事件が引き起こされた後、イスラム原理主義者は「我々の未来が欲しいのだ」と主張、「漫画を諦めることはない」と語った。この発言をイスラム国ではイスラム教徒全てに向けられたものだと考えたようで、イラン、サウジアラビア、パキスタンなどから激しい反発の声が揚がり、フランス製品をボイコットするという動きに発展しそうだ。

 アンゾロフが見せた漫画の中にはフランスの週刊紙、シャルリー・エブドが掲載したイスラム教徒を嘲笑するものも含まれていた。このメディアには興味深い過去がある。風刺画家のシネは2008年に同紙のコラムでニコラ・サルコジ大統領の息子、ジャン・サルコジの結婚を取り上げた。当時、ジャンはユダヤ系富豪の娘と結婚しようとしていたのだが、そのためにユダヤ教へ改宗するという噂があったのだ。

 この話を書いたことが「反セム主義」だと批判され、謝罪を断ったシネは解雇された。その際、JDL(ユダヤ防衛同盟)が運営するサイトで殺害の脅迫が書き込まれたという。

 ユダヤ問題には神経質なシャルリー・エブドだが、襲撃されてもイスラムに対する嘲笑は続けた。そして2015年1月7日、サイド・クアシとシェリフ・クアシの兄弟とハミド・ムラドの3人が容疑者だとされている。

 クアシ兄弟はフランスやアメリカの当局から要注意人物としてマークされていたのだが、ムラドはパリから北東へ約230キロメートルの場所で警察に出頭、無関係だと訴えた。確かなアリバイがあり、無関係だと見られている。

 編集部を襲撃したのはふたりで、AK-47、ショットガン、RPG(対戦車ロケット弾発射器)で武装、マスクをしていたという。11名がビルの中、また1名が外で殺された。負傷者は11名だったという。

 この3人が容疑者にされたのは、サイドが自動車の中に身分証明書を残していたため。クアシ兄弟はフランスやアメリカの当局から要注意人物としてマークされていたので情報はあったのだろう。サイドはイエメンにあるアル・カイダのキャンプで数ヶ月にわたって訓練を受け、弟のシェリフは2008年に懲役3年の判決を受けていたと言われ、兄弟はアメリカの搭乗禁止リストに載っているという。この兄弟はシリアで政府軍と戦った後、2014年8月にフランスへ戻ったともされている。

 実は、この襲撃事件には謎や疑問点が少なくない。例えば容疑者の特定が素早すぎないか、プロフェッショナル的な戦闘技術をどのようにして身につけ、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、容疑者のひとりで射殺されたアメディ・クリバリが2009年にエリゼ宮でニコラ・サルコジを面談できたのはなぜかなどだ。

 編集部が襲撃された後、負傷して歩道に横たわっていた警察官の頭部を襲撃犯のひとりがAK-47で撃ち、殺害したことになっているのだが、頭部に命中していれば頭蓋骨や脳は飛び散り、地面に当たって破片が致命傷を負わせたとしても大量の出血があるはずだが、そうしたことは起こっていない。

 また、編集部を襲撃したとされる人物の友人、アメディ・クリバリがパリの東部にあるイベルカシェル(ユダヤ教徒向けのスーパーマーケット・チェーン)の店舗に立てこもり、そこで射殺されている。この出来事も公式発表を信じていない人がいる。その時の様子を撮影した映像によると、警官隊が突入してからクリバリと思われる人物が中から外へ飛び出そうとするのだが、そこで銃撃されて倒れ込んでいるのだ。そのときに撃たれた人物は手錠をかけられているのか、手の自由を奪われているようで、武器を持っているようには見えない。

 この襲撃後、「私はシャルリー・エブド」というスローガンが流行、各国でデモが行われた。フランス全土で約400万人が参加したという。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、2015年にバラク・オバマ大統領は閣僚を好戦派に入れ替えている。オバマ政権がムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を主力とするジハード傭兵に軍事物資を供給していたが、​フランス政府も兵器/武器を渡していた​。

 オバマ政権は2015年にシリアへNATO軍かアメリカ主導軍を投入、バシャール・アル・アサド政権を倒そうとしていたと見られている。そうした状況の中、ロシア軍が介入し、その強さを見せつけたのだ。ロシア軍が出てこなければ、シャルリー・エブドの事件はイスラム国の悪霊化に利用されただろう。







最終更新日  2020.10.29 01:53:50


2020.10.28
カテゴリ:カテゴリ未分類

使われる核兵器

 2011年3月11日に大事故を引き起こした東電の福島第1原発の警備を担当していたのはイスラエルのマグナBSP。セキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラが原発内に設置していたと​エルサレム・ポスト紙​や​ハーレツ紙​が伝えている。

 そのイスラエルは世界有数の核兵器保有国。核兵器の研究開発はネゲブ砂漠にある原子力研究センターが中心になっている。1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、イスラエルが保有している核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。

 イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベンメナシェによると、1981年に時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上で、水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991)またカーター元米大統領はイスラエルが保有する核兵器の数を150発だとしている。(BBC, May 26, 2008)

 今年8月4日にレバノンの首都ベイルートで大きな爆発があり、インターネット上に流れている映像には核爆発を思わせるキノコ雲や衝撃波が映っている。映像のいくつかには飛行物体が写っていて、最初の爆発はイスラエルが発射した対艦ミサイルガブリエル、2度目の爆発はF16が発射した核弾頭を搭載したデリラだとする説もある。爆発の様子やクレーターの存在などから小型核兵器、あるいは核物質を使った新型兵器だとも言われている。

 実は、中東で小型核兵器、あるいは核物質を使った新型兵器が使われた疑いのあるケースは今回以外にもある。2006年7月から9月にかけてのレバノン侵攻でイスラエル軍はヒズボラに敗北、その際にイスラエルが誇るメルカバ4戦車も破壊されたが、その直後にウルスター大学の​クリストファー・バスビー教授​はレバノンへ入り、残されたクレーターを調査、濃縮ウラニウムを見つけている。レバノンやガザを走っていた自動車のフィルターからもそうした物質が発見されたという。バスビー教授はイラクの2011年10月にイラクのファルージャでも調査、そこで濃縮ウラニウムが人の髪の毛や土の中から検出されたと語っている。

 日本は「唯一の被爆国」なのだろうか?(了)







最終更新日  2020.10.28 06:00:08
2020.10.27
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 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を口実にしたロックダウン(監禁政策)や夜間外出禁止令に反対する人がいる一方、一部の国はそうした政策を再び人びとに強制しつつある。

 こうした政策は人びとの行動を制限、生産活動を麻痺させ、少なからぬ企業の経営が悪化して倒産、失業、ホームレス、そして自殺を増加させるといった深刻な社会問題を引き起こした。社会の存在自体を否定、富の集中を当然だと考え、貧富の差を拡大させる政策に反対する意見を「ねたみ」だとする新自由主義にとって好ましい状況を作り出しているとも言える。

 そうした状況を懸念する声はWHO(世界保健機関)の内部からも聞こえてくる。例えば、​WHOでCOVID-19に関する特使を務めるイギリス人のデイビッド・ナバロは10月8日、各国政府に対し、ロックダウン政策をとらないように要請​した。

 そうした政策をとる前提は致死率が高いということ。その前提が正しくないとする批判は3月11日にWHOがパンデミック(感染爆発)を宣言する前から指摘されていた。

 また、WHOで緊急対応の責任者を務めるマイク・ライアンは執行理事会の特別会合で、​世界の人口の約1割がSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)に感染している​という推計値を明らかにしている。WHOの広報担当によると、全世界で実施された抗体検査に基づくという。この推計が正しいなら、致死率は0.14%になってしまう。インフルエンザより高くない。

 それでもCOVID-19を人びとに悪霊だと信じさせようとするプロパガンダは収まらない。そうした宣伝で中心的な役割を果たしたのはワシントン大学のIHME(健康指標評価研究所)やイギリスのMRC GIDA(医学研究委員会グローバル感染症分析センター)。WHOのテドロス・アダノム事務局長はIHMEのメンバーだ。IHMEとMRC GIDAの背後にビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団が存在していることもわかっている。この財団はアメリカ政府に次ぐWHOへの高額寄付者だ。

 10月16日に​アダノムWHO事務局長は「TAG(行動についての識見と健康のための科学に関する技術諮問グループ)」のメンバーとCOVID-19のワクチンについて話し合っている​。​このグループは今年7月にWHOが設置​、その議長は法律を専門とする​ハーバード大学のキャス・サンステイン教授​だ。

 サンステインはバラク・オバマが大統領だった2009年から12年にかけてホワイトハウスのOIRA(情報規制問題室)で室長を務めた。OIRAはOMB(行政管理予算局)の付属機関だ。その後、サンステインは大統領情報通信技術検討グループのメンバーになる。WHOはアメリカの情報戦略と関係が深いと言えるだろう。

 ワクチンの接種を認めさせることを含む宣伝に力を入れている​WHOはヒル+ノールトン・ストラテジーズ(2011年までの社名はヒル&ノールトン)という広告会社と契約​している。

 ヒル&ノールトンはイラクへの軍事侵攻を正当化するための偽情報を広めたことで知っている人も少なくないだろう。イラクのサダム・フセイン体制を悪霊化するため、1990年10月10日にアメリカ下院の人権会議という非公式の集まりで行われた「ナイラ」なる少女の証言を同社は演出する。

 この少女はクウェートの病院で働いていた看護師を名乗り、イラク兵が保育器を盗んで多くの赤ん坊を殺したなどと主張、好戦的な雰囲気を作り出す一因になった。少女は涙ながらにイラク軍の残虐行為を語ったのだが、実際は看護師でなく、アメリカ駐在クウェート大使だったサウド・アル・サバーの娘、ナイラ・アル・サバーだった。イラク軍がクウェートへ攻め込んだ当時、ナイラが現場にいなかったことは言うまでもない。

 しかし、この嘘を真に受けた人びとはイラクへの先制攻撃を後押しすることになり、子どもを含むイラク人が殺されることになる。この戦争は2003年のアメリカ主導軍によるイラク侵略につながり、2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」はジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究による調査報告を掲載、それによると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だという。イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人が、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。こうした殺戮、破壊、占領、略奪への道を開いたのがヒル&ノールトンだった。







最終更新日  2020.10.27 19:00:06
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日本の核兵器開発

 日本でも核兵器の研究開発は行われてきた。第2次世界大戦当時、理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究と海軍が京都帝大と検討していたF研究が知られている。

 仁科グループは1943年1月に研究をスタートさせ、44年3月には濃縮実験を始めているが、保有するウランの絶対量が少ない。陸軍は福島県石川郡でのウラン採掘を決め、海軍は上海の闇市場で130キログラムの二酸化ウランを手に入れたという。

 その一方、ドイツから二酸化フランを運ぶ計画もあった。1945年の始めに1200ポンド(約540キログラム)の二酸化ウランをU234潜水艦で運ぼうとしたが、5月1日にアメリカの軍艦に拿捕され、乗っていた日本軍の史観は自殺、ウラン化合物はオーク・リッジへ運ばれたとされている。

 日本の支配層は戦後も核兵器の開発を諦めていない。例えば、岸信介は1957年5月に参議院で「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」として持っていると答弁、1959年3月には参議院予算委員会で「防衛用小型核兵器」は合憲だと主張している。

 NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、佐藤栄作首相は1965年に訪米した際、リンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」を設立した。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日)

 NHKの番組によると、この時代、日本政府は西ドイツ政府に秘密協議を申し入れ、1969年2月に実現した。日本側から外務省の国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平が出席した。日独両国はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したのだという。

 ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、リチャード・ニクソン政権で大統領補佐官を務めたヘンリー・キッシンジャーは日本の核武装に前向きだった。彼はスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 自衛隊も核武装の研究をしていた。1969年から71年にかけて海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は、「個人的に」としているが、核兵器の研究をしていたことを告白しているのだ。実際のところ、個人の意思を超えた動きも自衛隊の内部にあったとされている。(毎日新聞、1994年8月2日)

 原爆の製造に必要なプルトニウムを製造することになっていた東海発電所の原発はGCR(黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉)で、原爆用のプルトニウムを生産するには適していると言われている。アメリカやソ連はこの型の原子炉でプルトニウムを生産、原爆を製造している。

 兵器クラスのプルトニウムを製造するために重水炉や高速炉も利用できるようだが、その高速炉の開発を目指していたのが動燃だ。「もんじゅ」と「常陽」が核兵器製造システムに組み込まれていると疑われても仕方がないと言える。ちなみに、常陽の燃料を供給していたのが臨界事故を起こしたJCOだった。

 日本の動きをアメリカは警戒していると最初に指摘したのはジャーナリストで市民運動にも積極的に取り組んでいた山川暁夫。1978年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」としている。実際、カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったと言われている。

 アメリカの情報機関の内部には日本が核兵器を開発していると信じている人が少なくないようだ。日本が核武装を目指していると信じられている一因はリサイクル機器試験施設(RETF)の建設を計画したことにある。

 RETFとはプルトニウムを分離/抽出することを目的とする特殊再処理工場で、東海再処理工場に付属する形で作られることになった。常陽やもんじゅで生産した兵器級プルトニウムをRETFで再処理すれば、30発以上の核兵器を日本は製造できるということだ。

 ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、東京電力福島第1原子力発電所で炉心が用揺する事故が起こった2011年当時、日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”)

 アメリカで核兵器開発で中心的な役割を果たしてきた施設はオーク・リッジ国立研究所やハンフォード・サイト。オーク・リッジ国立研究所の目と鼻の先でCRBR(クリンチ・リバー増殖炉)計画が1972年に始められたのだが、1977年にジミー・カーターが大統領に就任しすると核政策の変更があり、基礎的な研究計画を除いて中止になる。

 しかし、ロナルド・レーガン政権になった後の1981年に計画は復活したが、87年に議会はクリンチ・リバーへの予算を打ち切る。そこで高速増殖炉を推進していた勢力が目をつけたのが日本だ。クリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売られることになる。

 その結果、毎年何十人もの科学者たちが日本からクリンチ・リバー計画の関連施設を訪れ、ハンフォードとサバンナ・リバーの施設へ入っている。中でも日本人が最も欲しがった技術はサバンナ・リバーにある高性能プルトニウム分離装置に関するもので、RETFへ送られた。そうした流れの中、1995年12月に「もんじゅ」で起こったのが冷却剤の金属ナトリウムが漏れ出るという事故。高速炉が動かなくなったため、始められたのがプルサーマル計画だ。

 2011年3月8日付のインディペンデント紙によると、​都知事だった石原慎太郎が「日本は1年以内に核兵器を開発することができる」と語った​という。その3日後、東電の福島第1原発で炉心が溶融、環境中に大量の放射性物質を放出するという大事故が引き起こされた。(つづく)







最終更新日  2020.10.27 18:00:06
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米英金融資本の対ソ連戦

 ドイツ軍は1941年6月、つまりアドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月、ソ連へ向かって進撃を始めた。その際、アドルフ・ヒトラーは軍幹部の意見を無視、ソ連を攻撃するために約300万人を投入している。西部戦線に残されたドイツ軍は約90万人にすぎなかった。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 西からアメリカ軍やイギリス軍に攻められたなら一溜まりもなかっただろうが、そうしたことはなかった。そして1943年2月にドイツ軍はスターリングラードで降伏、その年の5月にイギリスとアメリカは慌てて協議、7月にシチリア島上陸作戦を敢行した。その際、コミュニスト対策で米英軍はマフィアと手を組む。

 スターリングラードでドイツ軍が降伏した段階で第2次世界大戦の帰趨は決したのだが、戦争はしばらく続く。その間にアレン・ダレスやライマン・レムニッツァーはナチスの幹部と善後策を大統領に無断で協議しはじめる。サンライズ作戦だ。

 そして1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツは降伏。その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、作成されたのがアンシンカブル作戦。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだったが、参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行い、成功した。副大統領から大統領に昇格していたハリー・トルーマンは原子爆弾の投下を7月24日に許可し、広島と長崎へ投下されたのである。8月15日には天皇の声明、いわゆる「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれるものが日本人に対して発表された。

 その声明発表から15日後、レスニー・グルーブス少将に対してローリス・ノースタッド少将はソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出した。9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計している。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出した。当時、アメリカはこれだけの原発を持っていなかったのだが、その生産能力をトルーマン大統領も知らなかったという。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945)

 チャーチルは1945年7月26日に辞任するが、46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を宣言、その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら​20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えているとチャーチルは話した​とする文書が存在する。その半年後に彼は首相に返り咲いた。

 一方、アメリカでは1957年に軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備しはじめている。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994)

 この年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、リーマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったとしている。

 こうした好戦的な作戦の前に立ちはだかっていたのがジョン・F・ケネディ大統領。そのケネディは1963年11月22日に暗殺された。好戦派は暗殺の黒幕がソ連、あるいはキューバだという話を流して開戦に持って行こうとしていたが、失敗した。(つづく)







最終更新日  2020.10.27 06:00:07
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 地中海の東側に膨大な量の天然ガスが眠っている。その開発作業が進んでいるのだが、生産が始まれば買い手が問題になる。最も有望な市場はEUだろう。この天然ガス田に面した国は、リビア、エジプト、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリア、トルコ、ギリシャだ。

 イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表したのは2010年。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。ビル・クリントン元米大統領はノーブル・エナジーのロビイストだった。

 オバマ政権はこの地域でムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)を使って2010年の終盤から始められた「アラブの春」。その工作は2010年8月にPSD(大統領研究指針)11を承認したところから始まる。その3カ月ごにはイギリスとフランスはランカスター・ハウス条約を締結した。当初の予定では、リビア、エジプト、パレスチナ、イスラエル、レバノン、シリアの体制を転覆させ、親イスラエル国が誕生することになっていたはずだ。アメリカはEUにイスラエルからエネルギー資源を買わせようとした可能性がある。

 地中海東部の天然ガスにとって最大のライバルはロシアだろう。すでにEUへエンルギー資源を供給している。その輸送ルートのひとつがノード・ストリーム。ロシアのビボルグからバルト海を経由、ドイツのグライフスバルトへ天然ガスを運んでいる。

 このパイプラインが完成したのは2012年のこと。それまでもロシアからEUへエネルギー資源を運ぶパイプラインは存在していたが、その大半はウクライナを通過している。

 アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は2004年から05年にかけてウクライナの内政に干渉、ロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させた。オレンジ革命と呼ばれている。手先の勢力を動員、メディアを使ったプロパガンダを展開するといういつもの手口だった。

 その時、アメリカの支配者が支援していた人物がビクトル・ユシチェンコ。2005年1月から2010年2月まで大統領を務め、新自由主義を導入してウクライナの庶民は貧困化、一部の腐敗勢力が巨万と富を築いてオリガルヒと呼ばれるようになる。ボリス・エリツィン時代のロシアと同じことが引き起こされたのである。

 新自由主義の現実を知ったウクライナ国民は2010年1月の選挙で再びヤヌコビッチを大統領に選ぶのだが、アメリカのバラク・オバマ政権は14年2月にネオ・ナチを使ったクーデターを成功させた。

 その翌年、ロシアやEUの会社はノード・ストリームに並行する形でノード・ストリーム2の建設で合意する。ロシアのウストルガからドイツのグライフスバルトを結パイプラインだ。

 アメリカはノード・ストリーム2の建設を執拗に妨害、建設に携わる会社は「制裁」の対象にしているが、ドイツはノード・ストリーム2を完成させたがっている。

 そうした中、ロシアでの支持率が2%にすぎないアレクセイ・ナワリヌイという反プーチン派の有名人が昏睡状態になる。ロシアの医師による治療で容体は安定したのだが、ナワリヌイ側はドイツへの搬送を強く要求、ドイツ軍の研究機関は証拠を示すことなく、軍事レベルの神経ガスが使われたと発表した。

 本ブログでもすでに書いたが、ナワリヌイを治療したオムスクの病院の医師によると、昏睡状態になった原因は低血糖。彼は糖尿病を患っていることから、糖尿病性ショックとも呼ばれる重度の低血糖が原因だと見るのが常識的だ。アメリカが行った一種に偽旗作戦だと考える人もいる。

 天然ガスの取り引きを通じてロシアとEUとの関係が強まることをアメリカの支配者は嫌がっている。EUを自分たちの属国だと考えているからだ。そのためにNATOも作った。

 しかし、EUはエネルギー資源が必要である。アメリカはシェール・ガスやシェール・オイルが中心になるため、コストが高い上、生産が可能な期間は長くない。ベネズエラを再植民地化できれば、そこの石油を売るのだろうが、再植民地化は失敗してきた。アメリカの支配者がEUへ売ろうとしている天然資源は地中海東部の天然ガスだろう。







最終更新日  2020.10.27 00:00:11
2020.10.26
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核兵器開発の始まり

 国連で2017年7月に採択され、同年9月に署名された核兵器禁止条約が来年1月に発効する見通しになったようだ。それ自体、悪いことではないだろうが、それで世界から殺戮と破壊がなくなるわけではなく、そうした殺戮と破壊から目を背けていることを誤魔化す「いちじくの葉」としてこの条約を利用する人もいるだろう。

 核兵器の開発は1939年8月に出されたアルバート・アインシュタイン名義の勧告書から始まる。その草稿を書いたのはハンガリー出身の物理学者、レオ・シラードとユージン・ポール・ウィグナーだ。

 1940年2月にイギリスではバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてMAUD委員会が設立される。その委員会のマーク・オリファントが1941年8月にアメリカでアーネスト・ローレンスと会い、10月にフランクリン・ルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可してイギリスとの共同開発が始まった。

 マンハッタン計画と統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、その計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相の関係が良くなかったことが知られている。ルーズベルトが初めて大統領に就任した1933年にJPモルガンをはじめとするアメリカの金融資本がファシズム体制の樹立を目論んでクーデターを計画したことはスメドリー・バトラー海兵隊少将が証言している。

 そのJPモルガンの創始者はジョン・ピアポント・モルガン。その父親であるジュニアス・モルガンはイギリスでジョージ・ピーボディーと銀行を経営していた。その銀行が苦境に陥ったとき、助けたのがネイサン・ロスチャイルド。ロスチャイルド家はウィンストン・チャーチル、そして父親のランドルフ・チャーチルはロスチャイルド家をスポンサーにしていた。またルーズベルトは反ファシスト、チャーチルは反コミュニストだ。(つづく)







最終更新日  2020.10.26 18:00:06
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 ​NATO(北大西洋条約機構)は今年9月、新たな統連合軍の司令部をアメリカのバージニア州にあるノーホーク基地に設置​した。オランダのブルンスム司令部とイタリアのナポリ司令部と連携して活動することになる。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、NATO創設の目的のひとつはアメリカとイギリスの支配者が第2次世界大戦後のヨーロッパを支配することにあった。今回の新司令部設置はアメリカの戦略にも続くものだ。

 そのアメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称を変更した。太平洋側の拠点を日本、インド洋側の拠点をインド、そしてインドネシアで領海域をつなごうという構想。これは中国が進めている一帯一路政策のうち、いわゆる「海のシルクロード」を睨んでのことだろう。

 今年6月にイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長はNATO2030なるプロジェクトを始めると宣言したが、これは機構を太平洋へ広げ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして日本をメンバーにしようというもの。

 アメリカはすでにふたつの軍事同盟を太平洋地域で組織している。ひとつはアメリカと日本、もうひとつはアメリカ、オーストラリア、そしてニュージーランドの3カ国によるものだ。前者は1951年9月8日にサンフランシスコのプレシディオで調印された安保条約から始まるが、そのその1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約を結んでいる。

 こうした軍事同盟を統合したいのだろうが、アメリカの戦略が順調に進んでいるようには見えない。​今年10月6日にアメリカのマイク・ポンペオ国務長官は東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った​が、インドネシアは参加せず、インドやオーストラリアも積極的とは言えなかったようだ。フィリピンの現政権はアメリカに批判的だ。最も従属的な日本の菅義偉首相はポンペオの使いっぱしりとしてインドネシアとベトナムへ行かされた。​8日には岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談​している。

 こうしたアメリカの動きは中国とロシアを念頭に置いたもの。ユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸国を締め上げていくというイギリスが19世紀に始めた長期戦略に基づいている。

 この長期戦略を理論化、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と言われているハルフォード・マッキンダー。彼はヨーロッパ、アジア、アフリカを「世界島」、イギリスや日本を「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」と名付けた。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指している。このハートランドを支配できれば世界の覇者になれるということだ。

 ユーラシアを囲む三日月帯はインド、東南アジア諸国、朝鮮半島を結ぶ。その西端がイギリスであり、東端が日本だ。その途中、中東に空白地帯があった。そこにイギリスはイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作っている。日本列島は東アジアにおける侵略の拠点であり、日本人は傭兵だ。

 イギリスやアメリカの支配者はシティやウォール街を拠点にして新自由主義を世界に広めてきた。この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩とも言える学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエク。このハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。彼らは社会や民主主義を否定、強大な私的権力が支配する市場と支配者が定める道徳を「新しい生活様式」の柱にしようとしている。そうした「リセット」を実現する上でCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)は重要な役割を果たしている。







最終更新日  2020.10.26 00:00:11
2020.10.25
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 ボリビアで10月18日に実施された総選挙でルイス・アルセが次期大統領に選ばれたと言われていたが、その得票率は55.1%で他の候補を圧倒していたことが明らかになった。第2位のカルロス・メサは28.8%、最もアメリカの巨大資本に近いルイス・フェルナンド・カマチョは14.0%だ。

 昨年11月10日にクーデターで追放されたエボ・モラレスとアルセは同じMAS(社会主義運動)に所属、キューバやベネズエラとの関係を修復すると語っているのだが、モラレスの路線に戻る可能性は小さいと見られている。

 モラレスは昨年11月10日、ボリビア軍の最高指揮官だったウィリアム・カリマンから「最後通牒」を受けて「辞任」を強いられた。事実上のクーデターだが、それにはカリマンのほか、マンフレド・レイェス・ビラ、レンベルト・シレス・バスケス、ジュリオ・セーザ・マルドナド・レオニ、オスカル・パセロ・アギレ、テオバルド・カルドソ・ゲバラといった軍幹部が参加している。

 モラレスが排除された後、アメリカの支配者が暫定大統領に据えたキリスト教系カルト信者のヘアニネ・アニェスはボリビア上院の副議長だったものの、国民に支持されていたわけではない。その人物を暫定大統領にしたのは、ボリビアの軍や警察、その背後に存在するアメリカの支配者だが、この構図は崩れていない。

 このボリビアでは53年前、1967年10月9日にエルネスト・チェ・ゲバラが殺された。1964年11月の軍事クーデターで実権を握っていたレネ・バリエントス・イ・オルトゥニョはアメリカ大使のダグラス・ヘンダーソンからゲバラを処刑するように命令されていたと言われている。その当時、まで存在が認められていなかった電子情報機関のNSAはゲバラの動きを正確に把握、現場でゲバラに撃ち込む銃弾の位置も指示していたフェリックス・ロドリゲスはCIAのオフィサーで、ジョージ・H・W・ブッシュと親しかった。

 ところで、ボリビアは近代ヨーロッパの登場に重要な役割をはたしている。ヨーロッパの富は略奪で築かれた。15世紀から17世紀にかけての「大航海時代」にはエルナン・コルテスがアステカ王国(現在のメキシコ周辺)に攻め込んで莫大な金銀を奪い、フランシスコ・ピサロはインカ帝国(現在のペルー周辺)で金、銀、エメラルドなどを略奪した。いずれの帝国とも滅ぼされている。

 ヨーロッパ人は莫大な量の貴金属品を盗んだだけでなく、先住民を酷使して鉱山開発も行った。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だが、どの程度、盗み出されたかは不明である。

 スペインやポルトガルがラテン・アメリカから盗み出した金銀財宝を海賊に奪わせていたのがイギリス。そうした海賊の中でもジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリーは有名だ。エリザベス1世はホーキンスにナイトの爵位を与えた。ドレイクやローリーはナイトになっている。金やダイヤモンドを産出した南部アフリカをイギリスが侵略するのは19世紀の終盤だ。しょう







最終更新日  2020.10.25 22:14:23
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 同時並行的に進められているSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)のワクチン開発で問題が指摘されている。アストラゼネカとオックスフォード大学が共同で開発したワクチンやジョンソン・アンド・ジョンソンのワクチンについては本ブログでも紹介したが、中国で治験が進んでいる​Ad5(アデノウイルス5型)をベクターに利用したワクチンの場合、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)罹患リスクが高まると危惧する声​が聞こえてくる。

 SARS-CoV-2が問題になり始めた頃、HIVとの関係が話題になった。インドにあるジャワハルラール・ネルー大学の研究チームがSARS-CoV-2の中にHIVの遺伝子に似たものが組み込まれていることを発見、生物兵器として人工的に作られたのではないかという噂が広がった。後に中国の研究施設が開発していたHIVのワクチンがSARS-CoV-2の原因だとする仮説もあったが、今は否定されている。

 前にも書いたことだが、HIVには生物兵器説がある。そうした疑惑を呼び起こしたひとつの理由は、1969年6月にアメリカ下院の歳出委員会における証言。国防総省国防研究技術局の副局長だったドナルド・マッカーサーが、伝染病からの感染を防ぐための免疫や治癒のプロセスが対応できない病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると「予言」、そこでHIVは生物兵器だという説が出てきたのである。HIVの存在が公的に認められたのは1981年のことだ。

 アメリカ人がエイズに恐怖しはじめて間もない1984年、免疫制御を専門とするアンソニー・ファウチがNIAID(国立アレルギー感染症研究所)の所長に就任、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)でも中心的な役割を果たしている。HIVで有名になったロバート・ギャロはファウチの部下だ。

 アメリカの生物化学兵器の開発には第2次世界大戦の直後にアメリカの支配者が囲い込んだドイツや日本の研究者が深く関与している。日本では軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部が中心になって研究開発が進められ、生体実験を行うための部隊が中国で編成されている。

 その部隊の名称は加茂部隊、東郷部隊、そして第731部隊と変化している。その資料や主要な研究員は戦後、アメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な存在であるキャンプ・デトリック(55年からフォート・デトリックに格上げ)へ運ばれた。

 その​フォート・デトリックにある細菌戦の研究施設が昨年夏、数カ月にわたって閉鎖された​という。廃液に絡む安全上の問題が発覚したことが原因のようだが、詳細は軍事機密だとして明らかにされていない。その際、何らかの病原体が環境中に出た可能性はある。

 アメリカは2005年にウクライナで細菌に関する研究施設を作り始めている。それをロシアは細菌戦の準備だと批判してきた。そうしたアメリカの施設はウクライナのほか、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアなどで建設された。アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、日本、そして中国にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在している(いた)と指摘されている。







最終更新日  2020.10.25 00:50:35

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