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2017.12.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
アメリカ、日本、韓国の3カ国が朝鮮半島周辺で合同軍事演習を始めた12月11日、ロシア軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長は米日韓の軍事演習を軍事的な緊張を高めるものだと批判した。その翌日、12日にアメリカのレックス・ティラーソン国防長官は朝鮮と前提条件なしに対話する用意があると発言、その翌日にはロシアの軍事使節が朝鮮を訪れている。朝鮮が「火星15」と名づけられたICBMの発射実験を実施した11月29日にはロシアの議員団が朝鮮を訪問、また11月20日から6日間にわたって日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団約250名が中国を訪れていた。軍事的な緊張を高めようとする勢力と緩和させようとする勢力の対立が鮮明になっている。

東アジアでの経済発展を目指し、鉄道網やパイプラインの建設を計画している中国やロシアは軍事的な緊張を緩和させようとしているが、それを妨害しているのがアメリカ、日本、韓国の好戦派、そして朝鮮。本ブログでは何度か指摘しているが、朝鮮はアメリカや日本の好戦派にとって都合の良いタイミングで爆破やミサイル発射の実験を実施してきた。

アメリカの好戦派は朝鮮を利用して東アジアの軍事的な緊張を高めてきたが、そのターゲットは朝鮮でなく中国だろう。歴史的にアメリカ支配層は中国の制圧と略奪を目論んできたのだ。アングロ・サクソンというとらえ方をすれば、その歴史は19世紀までさかのぼることができる。

フランクリン・ルーズベルト大統領が急死してホワイトハウスがウォール街に奪還された後、アメリカは国民党を支援したが、その国民党と戦っていた解放軍が1949年1月に北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立した。上海を拠点にしていたアメリカの極秘破壊工作機関OPCは日本へ移動、厚木基地を中心に活動することになる。

朝鮮戦争勃発の4カ月後、1950年10月にOPCはCIAへ吸収されて秘密工作部門の中核になり、中国南部へ侵攻する計画を立た。そこでラオスにいた国民党軍を再編成し、1951年4月にCIAの軍事顧問団は2000名の国民党軍を率いて中国へ軍事侵攻、片馬を占領した。そこで反撃にあい、追い出されている。1952年8月にも国民党軍は中国へ侵攻して約100キロメートルほど進んだが、やはり中国側の反撃で撃退されてしまった。

1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任、国務長官はジョン・フォスター・ダレスになった。その年の7月に朝鮮戦争が休戦になるが、翌年の1月にダレス国務長官は国家安全保障会議でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案している。それを受け、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でベトナムへの軍事介入が見通されている。ベトナムから軍隊を撤退させる決断をしていたジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。

アメリカ人の中には「神の軍隊」であるアメリカ軍がベトナム戦争で苦戦していることに不満を抱く人が少なくなかったが、そうした時期に勃発したのが1967年6月の第3次中東戦争。この戦いで圧勝したイスラエルを新たな「神の軍隊」として崇める人もいたようである。

その後、デタント(緊張緩和)を目指したリチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で1974年8月に失脚、副大統領からジェラルド・フォードが昇格して誕生した新政権ではポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターがデタント派の粛清をしている。

ちなみに、ニッツェはナチスとの関係が疑われた元銀行家で、元トロツキストのウールステッターは核の専門家として国防総省系のシンクタンクRANDで働いていたことがある。シカゴ大学で教えた学生の中には後にネオコンの中心的グループに入るポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。

粛清の中で最も重要な意味を持っていたと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代。1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、また76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。

また、ネオコンの台頭も目立つ。例えば、ラムズフェルドはNATO大使から1974年9月に大統領主席補佐官へ、そして国防長官になったが、空いた首席補佐官のポストに収まったのがリチャード・チェイニーだ。

当時、CIA長官になったブッシュは「情報の素人」だとされたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、ブッシュがCIAの幹部だったことはFBIの文書で確認されている。

ブッシュが長官になったCIAではソ連脅威論を宣伝するチームBが始動する。CIAの分析部門は事実を重視するため、チームBで好戦派に継ごうが良い偽情報を流すことになった。社会不安を高め、軍事力増強や治安体制の強化へつなげようとしたのである。

そのチームBを率いたハーバード大学のリチャード・パイプス教授はヘンリー・ジャクソンの事務所で顧問を務めていた人物。その事務所は後にネオコンと呼ばれる人々が育成のために送り込まれていた。また、Bチームのメンバーにはポール・ニッツェやポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。

1991年12月にソ連が消滅した直後、92年2月に世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ/ドクトリンを作成した中心人物がウォルフォウィッツ。そのプランに基づいて1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成、公表している。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

そうした流れに逆らう鳩山由紀夫が2009年9月に内閣総理大臣となると、マスコミや検察から激しい攻撃を受けて潰されてしまい、10年6月に首相は鳩山から菅直人へ交代した。その年の9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の領有権問題に火がつけられた。

その結果、軍事的な緊張が高まり、経済面にも悪い影響が出ているのだが、それにも限界がある。今年、日本が大規模な経済代表団を中国へ派遣した理由のひとつはその辺にあるのだろう。アメリカの好戦派に従属して日本を破壊するのか、そうした事態を回避するために方針を転換するのか、日本の支配層は選択を迫られている。






最終更新日  2017.12.14 11:49:07

2017.12.13
カテゴリ:カテゴリ未分類
アメリカ、日本、韓国は12月11日から合同軍事演習を実施した。アメリカから参加した2隻のイージス駆逐艦、「ステセム」と「ディケーター」を中心に、日本のイージス駆逐艦「ちょうかい」、韓国のイージス駆逐艦が参加している。東シナ海ではアメリカのB-B爆撃機やF-35戦闘機、F-18戦闘機、また日本から4機のF-15戦闘機が飛行したという。

この演習は朝鮮を想定しているとされているが、実際の相手は中国とロシアのはずである。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでは1945年5月にドイツが降伏した直後にソ連を奇襲攻撃する計画を立て、アメリカは1949年に中華人民共和国が建国されてから中国への軍事侵攻を目論んできた。今もその延長線上にある。

イギリスの奇襲計画はウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に命じて作成させたもので、「アンシンカブル作戦」と名づけられた。それによると、1945年7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。日本が降伏する前にソ連を攻撃した場合、日本とソ連が手を組む可能性があると懸念する人もいたようだ。

この計画が流れた後、7月26日にチャーチルは退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言している。

それだけでなく、1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。チャーチルは執拗にソ連の破壊を目論んでいた。ドイツ軍の主力がソ連に攻め込んでいたとき、西側が手薄になっていたにもかかわらずチャーチルはドイツを攻撃させていない。

フランクリン・ルーズベルトが1945年4月に急死した後、副大統領から昇格したハリー・トルーマン大統領は1947年3月、世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出した。

ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表したことも有名な話だが、これらは1904年にハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が発表した理論と合致する。イギリスは一貫してロシア制圧を目論んできた。

マッキンダーは世界を3つに分けて考えている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。そのロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定している。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。

第2次世界大戦後、アメリカでは外交官や軍人の好戦的な勢力がソ連の打倒を目指す。例えば、トルーマン・ドクトリンが発表された2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告を作成、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作り上げた。SACの作戦は600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。

こうした動きの中、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついていると言えるだろう。

こうした軍事基地化が推進されていた当時、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めていたのがライマン・レムニッツァー。第2次世界大戦でイギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥に取り入り、アレン・ダレスを紹介されている。ダレスとレムニッツァーは大戦の終盤、ナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」をルーズベルト大統領に無断で実施している。

レムニッツァーは琉球民政長官の後、ドワイト・アイゼンハワー政権時代の1960年から統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。

本ブログでは何度も書いてきたが、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。

これも繰り返し書いてきたが、「核の傘」とはアメリカの先制核攻撃の拠点になることを意味する。1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンをはじめとする好戦派が作成した国防総省のDPG草稿、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連がアメリカの属国になったという前提で立てられた世界制覇プラン。21世紀に入るとロシアがウラジミル・プーチンの元で再独立に成功、国力を回復させたのだが、それでもアメリカ支配層の内部にはボリス・エリツィン時代のイメージが残っていたようで、例えば、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるようになると主張している。

その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。

ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させたのだ。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったと言える。その後、力の差が開いたことはシリアでの戦闘が示唆している。

それでもアメリカ支配層の一部はロシアと中国を制圧しようとしている。アメリカ経済は半世紀近く前に破綻、その後は資金のコロガシ、投機市場の肥大化で誤魔化してきたのだが、その仕組みが揺らいでいることが大きい。ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうだなのだ。投機市場が縮小しはじめたなら大変な勢いで西側支配層の富は消えていく。ロシアと中国が健在である限り、そうした展開になってしまうだろう。来年、アングロ・シオニストの支配者たちはギャンブルに出る可能性がある。






最終更新日  2017.12.13 18:40:51
2017.12.12
カテゴリ:カテゴリ未分類
ロシアのウラジミル・プーチン大統領が12月11日に突如シリアのラタキアにあるフメイミム空軍基地を訪問、シリアのバシャール・アル・アサド大統領と会談した。その際、シリアに派遣されたロシア軍の主力を帰還させるよう国防相と参謀総長に命じたことを明らかにしている。ただ、フメイミム空軍基地とロシア海軍が使っているタルトゥース基地はこれまで通りだという。

軍に帰還を命じたのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の殲滅に成功したからだとしているが、アル・カイダ系武装勢力と同じように、この戦闘部隊をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略同盟は手先として使ってきた。

その同盟からトルコやカタールは離脱したが、中核の3カ国はシリア侵略を諦めていない。アメリカ軍はそうした武装集団の逃亡を助けてきた。幹部をヘリコプターで救出したと伝えられている。「新ダーイッシュ」を編成する準備はできているだろう。

アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した2年後、イギリスのロビン・クック元外相はガーディアン紙に寄稿した文章の中で、​アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル​、つまり傭兵の登録リストだと指摘した。1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが計画した秘密工作で戦闘集団が編成されて以来、そうした仕組みは維持されている。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。

アメリカ軍はロシア軍より1年前、2014年9月23日からシリア政府の承認を得ないまま軍事介入、トルコ政府によると、シリア北部に13基地をすでに建設済み。駐留している将兵は7000名に達するとする情報もある。

この軍事介入の口実としてアメリカ軍もダーイッシュ殲滅を掲げていた。ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧した。その際、トヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になった。8月にはジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開されている。

しかし、本当にダーイッシュをアメリカ政府が危険だと考えていたなら、ファルージャ制圧を黙認したはずはない。ハイラックスの車列は格好のターゲットだったはずだ。こうした行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだからだ。

アメリカは2014年9月、ダーイッシュの出現を口実にして連合軍を組織、アサド体制の打倒を目指す。連合軍に参加したのはサウジアラビア、カタール、バーレーン、アラブ首長国連合のペルシャ湾岸産油国、ヨルダン、トルコ、さらにイギリス、オーストラリア、オランダ、デンマーク、ベルギー、フランス、ドイツなどだ。

この連合軍は​2014年9月23日に攻撃を始める​が、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後、アル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからにほかならない。その後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは支配地を拡大、アメリカ主導軍はインフラを破壊、住民の犠牲が増えていく。

このようにダーイッシュが売り出される2年前、​2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAは反シリア政府軍について、その主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと指摘​、バラク・オバマ政権が宣伝していた「穏健派」は存在しないとする報告書をホワイトハウスへ提出している。しかも、その中で東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されていた。つまり、ダーイッシュの出現を見通していたのだ。当然、バラク・オバマ大統領もわかっていただろう。

そうした経緯があったこともあり、2014年にダーイッシュが登場するとオバマ政権の内部で激しい対立が起こり、その年の8月にマイケル・フリンDIA局長は解任されている。ファルージャやモスルをダーイッシュに支配させることはオバマ政権の主流派が望んでいたことだと言えるだろう。その翌月、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で証言している。

退役から1年後の2015年8月にフリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演、ダーイッシュの出現が見通されていたにもかかわらず阻止できなかった理由を問われ、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあると答えている。その情報に基づいて政策を決定するのは大統領の仕事だということであり、​ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策による​というわけだ。

ロシア軍主力の撤退はシリアへ居座ろうとしているアメリカ軍への圧力という側面もあるだろうが、一旦占領した場所からアメリカ軍は引き揚げようとしない。実際、シリアでもそうした発言をしている。11月にはロシア軍を挑発して軍事的な緊張を高めようとしていたが、緊張が高まる前にロシア政府は主力の帰還を命じてしまった。

このままアメリカ軍が居座ろうとすれば自分たちが単なる侵略軍に過ぎないことを明らかにすることになる。それでも日本などはアメリカを侵略者だとは認めようとしないかもしれないが、世界の目は違う。






最終更新日  2017.12.12 01:37:35
2017.12.11
カテゴリ:カテゴリ未分類
エルサレムをイスラエルの首都だとし、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとする法律をアメリカ議会が作り上げたのは1995年のことだった。歴代大統領の判断もあってその日程は守られていないが、上院は今年(2017年)6月5日、その法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領は12月6日、エルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのである。民主党も共和党も関係なくアメリカの議員は遅くとも22年前からエルサレムをイスラエルの首都だ認め、それをトランプ大統領は尊重したという形だ。

しかし、トランプの演説がイスラム世界の怒りに火をつけたことも事実。アメリカ政府の妨害もあり、これまで各国政府はイスラエルによるパレスチナ人弾圧に有効な対策を打ち出せずにきた。民間レベルではイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動がヨーロッパを中心に展開されているものの、国レベルではせいぜい口先で批判するだけだ。イスラエルはガザを繰り返し軍事侵攻、ヨルダン川西岸は入植で浸食されて収容所化が進んでいる。

そうした状況を苦々しく見て生きたイスラム教徒の怒りが今回の演説で爆発しつつあり、イスラエルと緊密な関係にあるサウジアラビアにも怒りの矛先が向けられている。そのサウジアラビアから資金を得ているパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領もトランプ大統領を批判せざるをえない。

アッバースは2004年11月に死亡したヤシル・アラファトの後継者とされ、PLO(パレスチナ解放機構)の議長でもあるが、PLOにかつての面影はない。アラファトの死は中東情勢の大きな転換点になった。そうしたこともあり、その死は人為的なものだったのではないかという疑いが消えていない。

その疑惑が正しいのか間違っているのか、それをカタールの​メディア、アル・ジャジーラが9カ月にわたって調査​、死の直前までアラファトが健康だったことを確認している。しかも彼の衣類や歯ブラシなどもの回りの品から放射性物質、ポロニウム210を検出、遺体の調査を求める声が出た。

イスラム世界でアラファトの存在が大きかった理由のひとつは、イスラム諸国の支配層がヨーロッパやイスラエルに立ち向かわず、自分たちの地位と富を優先してきたことに対する反発がある。

シオニストがイスラエルの建国を宣言したのは1948年5月14日のことだが、アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日から。それまでにシオニストが行っていた破壊と虐殺を何もせず傍観していたのだ。その年の4月4日にシオニストは「ダーレット作戦」を発動し、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺しても動きは鈍かった。この虐殺は単に住民を殺すというだけでなく、パレスチナ人全体に恐怖を与え、逃げ出すよう仕向けることが目的だった。一種のテロ作戦だ。

アラファトが人々から英雄視されるようになるのは1967年から。この年の6月にイスラエル軍がエジプトを奇襲攻撃(第3次中東戦争)、アラブ軍を蹴散らしてエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領している。このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはアラブ諸国の軍隊ではなく、ファタハだった。このファタハでスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。

イスラエルから見ると、このPLOが最も警戒すべき敵になる。そこでイスラエルが目をつけたのがアーマド・ヤシンだった。当時ムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物だ。

ガザにおける同胞団の責任者にヤシンは選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はイスラム・センターを創設する。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマス(イスラム抵抗運動)だ。アラファトの死後、パレスチナで主導権を握った。

ところで、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。この時のアメリカ大統領はビル・クリントン。政権がヒラリー人脈に乗っ取られる前だ。ビル・クリントンのホワイトハウスにおける影響力を低下させた大きな要因は彼に対するスキャンダル攻勢だった。1993年頃から激しくなっている。

そのヒラリー人脈を含む好戦派、あるいはイスラエルの軍事強硬派にとってその宣言は許し難いこと。彼らの怒りは当然、クリントン大統領にも向けられた。1996年にリチャード・パールやダグラス・フェイスなどネオコンは「決別」という文書を作成、この中でイスラエルのオスロ合意を守る義務はないと明言している。

1995年11月にはラビンが暗殺されたが、この暗殺も公式見解に疑問を持つ人が少なくない。例えば、イスラエル人の調査ジャーナリスト、バリー・シャミシュによると、アミールが撃ったのは空砲で、ラビンは病院へ向かう車の中で射殺された可能性が高いという。

この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまい、2004年にアラファトが死亡するわけだ。その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前に「アル・カイダ」が実行したと断定、アメリカをはじめ西側世界では反イスラム感情が広がっていった。そうしたプロパガンダの上で西側の有力メディアが果たした役割は大きい。






最終更新日  2017.12.11 07:59:31
2017.12.10
カテゴリ:カテゴリ未分類
アメリカのドナルド・トランプ大統領は12月6日午後1時にエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのだが、アメリカ上院は6月5日に同じ趣旨の決議を採択していることをWikiLeaksのジュリアン・アッサンジが指摘している。その決議では賛成90、棄権10だった。これがアメリカの実態。カネの力なのか脅しの力なのかはわからないが、有力メディアと同じように、政界もイスラエルの強い影響下にある。その点、ヒラリー・クリントンも同じだ。















最終更新日  2017.12.10 20:12:04
カテゴリ:カテゴリ未分類
トルコへ亡命したSDF(シリア民主軍)の元広報担当、タラル・シロによると、​ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員数千名はアメリカとの秘密合意に基づき、ラッカを脱出してデリゾールなどへ向かった​とロイターの記者に語ったという。BBCは脱出に加わった運転手のひとりから脱出にはトラック50台、バス13台、ダーイッシュの車両100台が使われと聞いたと伝えている。またトルコのメディアによると、SDFはアメリカ政府が武器をYPG(クルド人民防衛隊)へ供給するために作り上げた隠れ蓑で、実態はYPGだとシロは話している。こうした脱出作戦を秘密裏に行うため、ラッカでの戦闘も演出したという。トルコ側はシロと同じ主張をしているが、アメリカ側は否定している。

ラッカだけでなく、イラクのモスルなどからアメリカはダーイッシュやアル・カイダ系武装集団をデリゾールへ移動させているという情報は以前から伝えられていた。デリゾールの南東地域、ユーフラテス川沿いには油田地帯た広がり、それをアメリカは押さえたがっていたのだ。武装集団の幹部クラスや金庫番をヘリコプターでアメリカ軍が救出していたとも伝えられている。

しかも、クルドがアメリカの思惑通りに動かず、YPGとロシアが共同記者会見を開くという事態。アメリカは逃がした戦闘員で「穏健派」を編成しようとしているが、そうした「穏健派」がインチキだということは2012年8月の段階でアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)がホワイトハウスへの報告という形で明らかにしている事実だ。それは今も変わらない。





反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラの実態は同じだとしている)​​で、バラク・オバマ政権が「穏健派」に対する軍事支援を継続したなら、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告している。この報告が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。この事実の基づき、フリンは退役後、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。

アメリカ/NATO軍がアル・カイダ系武装集団と連携して侵略作戦を展開していることはリビアで明白になり、シリアではダーイッシュという別のタグをつけた武装集団が登場してきた。その集団が売り出されたのは2014年。1月にイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧したが、その間、アメリカの軍や情報機関は傍観していた。ジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開されたのはこの年の8月。この映像はフェイクだった可能性が高く、凶暴性を演出してアメリカ軍が介入する環境を作ろうとしたという見方もある。

こうしたアメリカのシナリオを狂わせたのが2015年9月30日のロシア軍による空爆の開始。アメリカ軍とは違い、シリア政府の要請を受けてのことだった。これでダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は劣勢になる。ロシア国防省のスポークスパーソンは12月9日に会見で、アメリカ軍がロシア軍のダーイッシュに対する攻撃を妨害してきたと非難している。その一例としてあげたのが11月23日の出来事。2機のSu-25がダーイッシュの拠点を破壊する作戦を展開中、アメリカ軍のF-22が現れて攻撃を妨害、Su-35が救援に現れるまでそうした行為が続いたとしている。F-22はイラク領へ逃げたという。

アメリカ軍はシリア北部に基地を建設、7000名とも言われる部隊を侵入させているのだが、クルド軍がアメリカの手先になっていないことから戦闘になるとアメリカ軍は厳しい戦いを強いられるだろう。

こうした状況を打開するためにアメリカは新たな戦争を目論んでいると推測する人が少なくない。ドナルド・トランプ大統領のエルサレム発言で中東の軍事的な緊張が高まり、レバノンへの軍事侵攻が現実味を帯びてきた。

しかし、この発言で分裂していたパレスチナ陣営が連携する動きを見せ、イスラム諸国では庶民の突き上げで支配層はアメリカやイスラエルと対峙せざるを得なくなるかもしれない。これまでアメリカのネオコンはウクライナのクーデターでロシアを締め上げようとしたが、それが原因でロシアと中国との同盟を強化させ、中東や北アフリカでの侵略戦争によってイラク、イラン、シリア、トルコ、カタール、ロシアを結びつけてしまった。パキスタン軍もアメリカのドローンを撃墜すると警告している。






最終更新日  2017.12.10 12:09:17
2017.12.09
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今から76年前、1941年12月7日の午前7時48分(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。ここは海岸が遠浅で攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。非常識とまでは言えないだろうが、攻撃のリスクは高い。それを厳しい訓練でクリアしたということだ。

アメリカ政府の対日制裁でやむなく攻撃した、あるいはアメリカ側は事前に攻撃を知っていたと主張する人がいるが、日本軍は実際に攻撃している。つまりアメリカによる偽旗作戦ではない。

日本に対する制裁には歴史的な背景がある。1872年の琉球併合から74年の台湾派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を本格化、米英の利権と衝突して対日制裁になるわけだ。こうした制裁が軍事行動を誘発すると考えている人は、例えば朝鮮に対する制裁にも反対しているのだろう。そうでなければ矛盾だ。あるいは朝鮮に圧力を加え、戦争を誘発したいと考えているのだろうか?

明治維新から1932年までの日本はイギリスとアメリカというアングロ・サクソン系の国に従属、その手先として動いた側面がある。明治維新はイギリスの思惑と違って内戦が早い段階で終結、徳川時代の人脈が生きていたので完全な属国にはならなかったが、大きな影響下に置かれたことは間違いない。

ここでいうアメリカとはウォール街を意味する。1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震、つまり関東大震災が発生、復興に必要な資金を調達するために日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガンだ。

この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモント。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

この政権が進めた政策はレッセ-フェール、つまり新自由主義的なもので、その責任者で「適者生存」を信じるある井上は失業対策に消極的。その結果、貧富の差を拡大させて街には失業者が溢れて労働争議を激化させ、農村では娘が売られると行った事態になった。一般民衆に耐え難い痛みをもたらすことになったわけだ。

当然のことながら、アメリカでもJPモルガンを中心とするウォール街の住人は強い影響力を持ち、1929年に大統領となったハーバート・フーバーもそのひとり。フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

ところが、1932年の大統領選挙でフーバーは負けてしまう。当選したのは巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。大きな力を持っていたとはいえ、今に比べるとアメリカ支配層の力はまだ小さく、選挙で主導権を奪われることもありえた。

このフーバーはホワイトハウスを去る少し前、1932年にJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。なお、この年に井上準之助は血盟団のメンバーに暗殺されている。

グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻で、グルーが結婚していたアリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后だという。

グルーの皇室人脈はそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

こうした人脈を持つグルーが日本軍の動向に関する機密情報を入手していても不思議ではないが、このグルーとルーズベルト大統領との関係が良好だったとは言えない。情報がきちんと伝えられていたかどうか疑問があるが、JPモルガンへは詳しく伝達されていただろう。

グルーが大使として日本へ来る前年、1931年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こした。この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だ。1932年には「満州国」の樹立を宣言するのだが、この年にアメリカでは風向きが変わっていた。本来なら日本はその変化に対応する必要があったのだが、そのまま進む。そして1937年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしたのだ。そして1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗した。

本ブログで何度か指摘したように、このソ連侵攻作戦はアングロ・サクソンの長期戦略に合致している。その作戦が失敗したことから南へ向かい、米英の利権と衝突するわけだ。ドイツ軍がソ連に対する大規模な軍事侵攻、いわゆるバルバロッサ作戦を開始したのはその2年後、1941年6月のことだ。

この作戦でドイツは軍の主力を投入したが、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張、反対している。日本が真珠湾を攻撃する前で、アメリカは参戦していないが、それでもイギリスがその気になれば、西側からドイツを容易に攻略することができるからだ。この反対意見を退けたのはアドルフ・ヒトラー。この非常識な「判断」との関連で注目されているのがヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスの動きだということも本ブログでも指摘した。1941年5月10日にヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛んでいるのだ。

ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。主力を失ったドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。

その4カ月後、1943年5月に米英両国はワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。このとき、アメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのことである。ノルマンディー上陸作戦の結果、ドイツ軍が負けたと思い込んでいる人も少なくないようだが、これはハリウッドによる洗脳の効果を証明している。

その一方、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した後にアレン・ダレスなどアメリカ支配層はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部たちと接触を始めている。例えば、1942年の冬にナチ親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探るために密使をOSSのダレスの下へ派遣、ドイツ降伏が目前に迫った45年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊の高官、カール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)イタリアとスイスとの国境近くでウルフがパルチザンに拘束された際にはダレスが部下を派遣して救出している。(Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

ドイツは1945年5月に降伏しているが、その前の月にルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはルーズベルトとの関係が希薄。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりとして知られている。






最終更新日  2017.12.09 01:29:09
2017.12.08
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小野寺五典防衛相は12月8日、閣議後の記者会見で長距離巡航ミサイルを導入すると表明したようだ。JASSM-ER、LRASM、JSMだという。

JASSM-ERはロッキード・マーチン製で射程距離は約1000キロメートル。B-1、B-2、B-52、F-15、F-16、F/A-18に搭載できるが、F-35も可能だという。対艦ステルス・ミサイルのLRASMもロッキード・マーチン製で、射程距離は600キロ程度だと見られている。まだ配備されていないようだ。搭載できるのはF/A-18、B-1B、F-35など。レイセオンとノルウェーのコングスベルグが共同開発したJSMの射程距離は約300キロメートルで、F-35に搭載できる。

この決定が「専守防衛」に接触するかどうかで議論されているようだが、日本はとうの昔にそうした方針を捨て去っている。1992年2月にアメリカのネオコンが世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成してから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきた。その戦争マシーンは軍事侵略が目的であり、専守防衛という考え方とは相容れない。

アメリカ軍は日本列島を中国への軍事侵攻を行うための「巨大空母」と認識、それを首相時代の中曽根康弘が口にしている。アメリカが沖縄を軍事基地化した1950年代、アメリカ軍ではソ連や中国に対する先制核攻撃計画が動き始めた。「核の傘」とは先制核攻撃の拠点になることを意味する。

日本政府が導入を決めた地上配備型イージスシステム「イージス・アショア」は韓国へ持ち込まれているTHAAD(終末高高度地域防衛)と同様、攻撃兵器へ容易に変更できる代物。韓国政府が導入に反対した理由のひとつだ。そうした反対の声を封じる上で朝鮮のミサイル発射や核兵器開発の果たした役割は大きい。旧ソ連圏を含むヨーロッパ各地にアメリカ軍/NATO軍が配備してきたミサイルと目的は同じだ。

高額低性能で「空飛ぶダンプカー」とも呼ばれるF-35は2015年1月、カリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦で完敗、攻撃してきた戦闘機を迎え撃つには適さないことが明白。唯一のセールスポイントはステルス性能で、これを生かすためには敵の艦船や基地に近づいて攻撃するしかない。専守防衛を本当に理念としているなら、こんな戦闘機を購入するはずがない。

今年(2017年)10月16日、イスラエル軍はロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣の同国訪問に合わせてシリアを攻撃したが、その際にシリア軍は保有する旧型の防空システムS-200で応戦、イスラエル軍のF-35が損傷を受けたのではないかとも言われている。

イスラエル軍のF-35がコウノトリと衝突して飛行できない状態になったと発表されたのだが、その状況を示す写真などが明らかにされていなこともあり、ミサイル攻撃での損傷ではないかというわけだ。これが事実ならF-35のステルス性能も怪しく、S-400はF-35を容易に撃墜できると推測できる。

本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカは第2次世界大戦の直後からソ連に対する先制核攻撃、中国に対する軍事侵攻を目論んできた。朝鮮戦争やベトナム戦争もその一環だと私は考えている。そう考えるのが自然であり、それを裏付ける証言もある。だからこそ、中国は朝鮮戦争に介入してきたわけで、現在もアメリカが朝鮮を先制攻撃したなら阻止すると警告しているのだ。そうした軍事侵攻があったなら、ロシアも動くだろう。






最終更新日  2017.12.08 22:50:30
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アメリカの情報機関と治安機関、つまりCIAとFBIをドナルド・トランプ大統領はコントロールできていない。こうした機関はヒラリー・クリントンを担いでいた勢力の手先として動いていると言え、大統領は信用していない。そこで​トランプは私的な情報機関を編成しようと計画​していうとする情報が伝えられている。

2017年12月5日付けのインターセプトによると、1997年に傭兵会社のブラックウォーター(2009年にXE、11年にアカデミへ名称変更)を創設したエリック・プリンスにトランプの私的情報機関を作らせようとしているという。プリンスの姉、ベッツィ・デボスはトランプ政権で教育長官を務め、夫のディック・デボスは「アムウェイ」の創設者だ。

エリックは海軍の特殊部隊SEAL出身で、熱心なキリスト教原理主義者。今は未公開株を取り引きするフロンティア・リソース・グループを経営、軍事的サービスを提供するフロンティア・サービス・グループの会長を務めている。いずれもアフリカをビジネスのターゲットにしているようだ。

歴史的に見て、イギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAは金融機関と関係が深い。例えばアメリカの場合、第2次世界大戦の際に創設されたOSSの長官、ウィリアム・ドノバンはウォール街の弁護士。ドノバンの友人で、その当時から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレスもウォール街の弁護士。ダレスの側近で、大戦後に破壊活動を指揮したフランク・ウィズナーもウォール街の弁護士。

やはりOSS時代からダレスの側近だったリチャード・マクガラー・ヘルムズの母方の祖父にあたるゲーツ・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取であり、ジェラルド・フォード政権でCIA長官と務めたジョージ・H・W・ブッシュの父親プレスコット・ブッシュ、その妻の父親であるジョージ・ハーバート・ウォーカーは大物銀行家で、ウォール街からナチへ資金を流す重要なパイプのひとつだったと言われている。ジョージ・H・W・ブッシュのHはハーバート(Herbert)、Wはウォーカー(Walker)のイニシャル。それだけウォーカーはブッシュ家にとって大きな存在だと言える。

CIA長官に就任した際、ジョージ・H・W・ブッシュを情報の素人であるかのように言う人がいたが、エール大学に在学中、CIAのリクルート担当だった人物と懇意で、もし彼がCIAに入っていなければ驚きだ。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された7日後の1963年11月29日に作成された大統領暗殺に関係したFBIの文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という表現があることをジョセフ・マクブライドがネイション誌の1988年7月16/23日号で明らかにした。

これに対し、CIAのスポークスパーソンはAPの記者に対し、「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだが、その後、マクブライドは「ジョージ・ウイリアム・ブッシュ」が文書の登場するブッシュでないことを確認している。

また、有力メディアと同様、FBIや軍の内部にはカネと地位で懐柔された人物が少なくないと見られている。少なくとも今回の件でFBIの幹部が公正でないことは再確認されている。

司法省も信頼できなことを示す出来事が1980年代に発覚している。ある私企業が開発した不特定多数の情報を収集、蓄積、分析するシステムを司法省が不公正な手段で手に入れて情報機関へ渡し、そのシステムにトラップ・ドアを組み込んで各国政府、国際機関、大手金融機関などに売っていた疑いが強まったのだ。

この件は裁判になり、1988年2月にワシントン破産裁判所のジョージ・ベイソン判事は司法省が不正な手段を使って会社を破産させ、システムを横領したと認め、翌年の11月にはワシントン連邦地裁のウィリアム・ブライアント判事も破産裁判所を支持する判決を言い渡している。1992年9月には下院の司法委員会が破産裁判所の結論を支持する内容の報告書を公表した。下院の調査により、相当量の重要書類が「行方不明」になっている事実も明らかになっている。

破産裁判所のベイソン判事は判決後に再任を拒否された。後任の判事は裁判で司法省側の弁護士が就任する。また控訴裁判所は「破産裁判所と連邦地裁に裁判権がない」という理由で原判決を破棄、1997年8月に最高裁判所は司法省の言い分を認める判決を言い渡した。イラン・コントラ事件で偽証して有罪になったロバート・マクファーレン、あるいは証券詐欺や銀行詐欺などでロサンゼルスの連邦地裁で有罪の評決を受けるアール・ブライアンを「信頼できる証人」だとしての逆転判決だった。

こうした事情はあるが、勿論、私的な情報機関を大統領が編成することは問題が大きい。1970年代に議会が情報機関の秘密工作にメスを入れたことから議会の目を避けるため、80年代には私的情報機関が作られ、活動した。実際にはCIAと連携していたが、形式的に別組織だとされたわけだ。ちなみに、イスラエルも「元情報機関員」が多くの「私的企業」を創設し、情報活動を行っている。

アメリカやイギリスの支配層は現在、巨大資本が国を支配する体制を築き上げようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)はそのための協定。ISDS(投資家対国家紛争解決)条項によって、各国の立法府も司法府も無力化されてしまう。この条項によって巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら企業は賠償を請求できることになり、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を国が守ることは難しくなる。

法律家の話を聞くと、この問題には法律体系の問題があるという。TPPの場合、アメリカのほかオーストラリア、カナダ、ニュージーランドは判例法を基本とする英米法の国であるが、日本は国会で制定された法律を基本とする大陸法を採用している。統一した法体系を作りあげることは不可能だ。そして、問題が起こって仲裁になると出てくる法律家は英米法の人間だろう。日本が主導権をとることはできない。米英の巨大資本が日本を支配するということだ。

フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

私的情報機関は傭兵組織と同様、そうした体制の暴力装置になるだろう。






最終更新日  2017.12.08 04:02:26
2017.12.07
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アメリカのドナルド・トランプ大統領は12月6日午後1時にエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をした。エルサレムを聖地だと考えているイスラム教徒をはじめ、少なからぬ人から批判されている。軍事的な緊張を一気に高め、新たな戦争の引き金になりかねないからだ。アメリカやイスラエルの言いなりになってきたパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領もトランプ大統領を批判せざるをえない。

本ブログでもすでに指摘したが、イスラエルとサウジアラビアだけでイランを倒すことは難しい。ヒズボラが相手でも勝てないだろうと推測する人がいる。つまりアメリカ軍を引き込む必要がある。アメリカ支配層としても、ロシアに押されている状況を変えるため、ギャンプルに出ても不思議ではない。自爆攻撃のようにも見える。

バラク・オバマ大統領は地上部隊を派遣しないとしていたが、実際は相当数のアメリカ兵がシリアへ侵入、居座っている。アメリカの国防総省によると、アメリカ軍の部隊はイラクに8892名、アフガニスタンに1万5298名、シリアに1700名、​合計2万5910名​いるとしているが、実際はこの数字を大幅に上回っていると言われている。シリアの場合、トルコ政府によると、クルドが支配している北部に13基地を建設済み。将兵は7000名に達するとする情報もある。

アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が考えていた最初の計画では、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒してサラフィ主義者の国を作ることになっていた。それが破綻、次にシリアを解体しようとしたが、これも失敗、イラン、イラク、シリア、トルコにまたがるクルドの国を作るという計画も思惑通りに進まなかった。クルドがアメリカの思惑通りに動いていないようだ。

その間、イラク、イラン、シリア、ロシアが連携を深め、そこへトルコやカタールも加わるという展開になり、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は窮地に陥っている。シリア占領軍も孤立し、撤退せざるをえなくなるかもしれない。戦闘になればアメリカ軍は新たな泥沼へはまり込むことになる。

アメリカではトランプを担ぐ勢力とヒラリー・クリントンを担ぐ勢力が今でも激しく対立しているが、その背後には前者がシェルドン・アデルソンやベンヤミン・ネタニヤフ、後者には投機家のジョージ・ソロス、さらにその後ろにはロスチャイルドがいる。少し前からネタニヤフとソロスの対立が伝えられているが、その理由はこうしたところにある。





2016年の大統領選挙でトランプへ最も多くの資金を提供したのはアデルソンだが、そのアデルソンと緊密な関係にあるネタニヤフはチャールズ・クシュナー、つまりトランプの娘と結婚した相手の父親と友人関係にある。このネタニヤフ-クシュナーのラインに結びついているのがサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン皇太子。

ビン・サルマンに皇太子の座を奪われたホマメド・ビン・ナイェフはソロス-ヒラリー・クリントンのライン。皇太子の交代はアメリカ大統領がクリントンでなくトランプになったことと関係しているとも言われている。

その後、今年(2017年)11月4日からサウジアラビアで反皇太子派に対する大規模な粛清が始まり、48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれているとされている。

例えば、サウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメル、そしてバンダル・ビン・スルタンといった名前も流れた。​拘束された人々はアメリカの傭兵から拷問を受けているとする情報​も伝えられている。

本ブログでは何度も書いてきたが、バンダル・ビン・スルタンはブッシュ家に近く、1983年10月から2005年9月にかけてアメリカ駐在大使、2005年10月から2015年1月にかけて国家安全保障会議事務局長、2012年7月から2014年4月にかけて総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)長官を務めた。サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やチェチェンの反ロシア勢力を動かしていたことでも知られている。リビアやシリアを侵略する際、サラフィ主義者を動かしていたのはビン・スルタンにほかならない。暴力的という点では皇太子派も前皇太子派も大差はないということだ。

しかし、両派のボスには違いがある。前皇太子派はブッシュ家、ヒラリー・クリントン、ジョージ・ソロス、ロスチャイルドであり、現皇太子派はクシュナー親子、そしてネタニヤフにつながる。

粛清が始まる数日前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪れていることから、粛清との関係が噂されている。クシュナー親子はネタニヤフと近く、粛清にイスラエル政府が関与している可能性もある。ネタニヤフ首相の父親はウラジミール・ジャボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。ネタニヤフは一時期、頻繁にロシアを訪問していた。イランを攻撃するため、ロシアを排除したかったのだろうが、失敗している。パレスチナ問題でも批判されたようだ。

【追加】

トランプがエルサレムをイスラエルの首都として認めると発表した6日、​ロシア軍参謀本部はシリアをダーイッシュから解放したと発表​した。ダーイシュを壊滅させたということだが、この武装組織はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの傭兵であり、新たなプロジェクトで傭兵が集められ、新たな武装集団が編成される可能性はある。アメリカの軍や情報機関はダーイッシュやアル・カイダ系武装集団の幹部を救出してきたので、実際、そうしたことを目論んでいるのだろう。






最終更新日  2017.12.07 11:49:45

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