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《櫻井ジャーナル》

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2011.03.05

 
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 サウジアラビア王室が支配体制を維持しようと必死だ。民主化を要求する抗議活動が展開されているバーレーンに先月28日、約30両の戦車を送り込んでいるようだが、次の金曜日、つまり3月11日にサウジアラビア国内で予定されている2万人規模の示威活動への対策として、4日には北東部の地域へ約1万人の治安部隊を派遣したという。

 昔からサウジアラビアには王室に批判的な武装勢力が存在している。2003年5月にリヤドで建造物が爆破されて35名が死亡、160名以上が負傷するという事件があったが、これもそうした勢力が引き起こしたとわけだ。

 爆弾を積み込んだ小型トラックとSUVが突入して建造物を爆破したのだが、攻撃のターゲットはVinnellというアメリカの会社だったと見られている。この攻撃で殺された人のうち、少なくとも9名はVinnellで働いていたという。この会社はノースロップ・グラマンの子会社で、サウジアラビア王室の私兵的な存在だとも言われる国家警備隊を訓練していた。

 現在のサウジアラビアが建国されたのは1932年のことで、初代国王はアブドゥルアジズ。次の国王、サウド・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウドの失政と浪費を批判して実権を握ったのがファイサル・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド。1964年のことだ。イスラム主義とパレスチナ民族主義を支持する一方、コミュニズムを敵視していた。

 ファイサルの時代、サウジアラビア王室はアメリカと一線を画し、ヘンリー・キッシンジャーと対立するようになる。この対立が解消されたのが1975年3月。国王が甥のファイサル・ビン・ムサイドに暗殺されたのである。Vinnelがサウジアラビアで訓練を始めるのは、この事件から間もなくのことだった。

 1980年代に発覚した「イラン・コントラ事件」、つまりアメリカの情報機関が秘密裏に実行したイランへの武器密輸とニカラグアの反革命ゲリラ「コントラ」への支援工作をサウジアラビアが協力していたのだが、この事件にはエジプトも関係している。秘密工作のメンバーがエジプトの情報機関とEATSCO(エジプト・アメリカ輸送サービス)という会社を創設しているのだ。

 この会社の幹部だったエドウィン・ウィルソンはリビアへ武器を密輸したとして有罪判決を受けているのだが、実際はアメリカの情報人脈が行っていた工作の一環だった可能性が高い。つまり、テッド・シャックリーやリチャード・シーコードなど情報世界の大物たちも深く関わっていたということだ。アメリカの情報活動という接着剤で、アメリカ、サウジアラビア、エジプト、リビアは深く結びついているとも言える。

 このうちエジプトではホスニ・ムバラク体制が崩壊し、リビアも内戦状態。サウジアラビア国内でも緊張が高まり、アメリカが中東/北アフリカに張り巡らせてきた支配システムが揺らいでいる。






最終更新日  2011.03.05 16:55:27


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