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1999年3月のユーゴスラビア空爆にしろ、2001年10月に始められたアフガニスタン戦争にしろ、2011年3月に開始されたリビアに対する軍事介入にしろ、攻撃側としてNATO軍が表に出てきた。現在、バラク・オバマ政権はシリアやイランへの軍事介入も視野に入れているようだが、その時にはやはりNATO軍が出てくるのだろう。
シリアの場合、アメリカ国務省は以前から反政府派に資金を供給、今年の夏頃からはイギリスやフランスがシリアの亡命組織と接触している。それだけではなく、NATOのメンバーであるトルコは「SFA(シリア自由軍)」を使い、事実上、軍事介入を始めている。 アメリカ軍が隠れ蓑に使っているように見えるNATO軍。1949年4月、ソ連の軍事侵攻に備えるという名目で組織されたのだが、当時のソ連はドイツとの戦争で疲弊し、西ヨーロッパに攻め込む余力はなかった。こうした事情をアメリカやイギリスは熟知、だからこそソ連に対する先制/奇襲攻撃を計画している。 先ずイギリス。ウィンストン・チャーチル英首相はドイツが降伏した直後の5月、数十万人の米英両軍と再武装させたドイツ軍10万人でソ連を奇襲攻撃する「アンシンカブル作戦」を作成するように命じている。この作戦は軍部が反対、7月にチャーチルが退任したことで立ち消えになった。 一方、アメリカの場合。日本がポツダム宣言を通告した約1カ月後、統合参謀本部は「必要なら」ソ連に対して先制攻撃することを決め、1946年6月に発効している。その後、核兵器の使用が想定されるようになり、この流れは1963年にピークを迎えた。この流れに立ち向かったひとりがジョン・F・ケネディ大統領だ。この年の11月、ケネディ大統領は暗殺された。 NATOに「秘密部隊」が存在した(している)ことは1990年にイタリア政府が明らかにしている。イタリアではグラディオと呼ばれていたが、ほかのNATO加盟国にも同じような組織が存在していた。例えばデンマークはアブサロン、ノルウェーではROC、ベルギーではSDRA8といった具合だ。 こうした組織をNATO参加国が設置したのは、NATOへ入る条件だったからだという。つまり、加盟の際に秘密の反共議定書へ署名することが求められていた。その議定書では「右翼過激派を守る」ことが義務づけられているとも言われている。 こうした秘密部隊の歴史はNATOよりも古く、NATOが創設される前、つまり1948年まではCCWU(西側連合秘密委員会)という組織が統括、1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動することになる。(この話の続きは次に出す著作で、と言いたいところだが、出版のメドは立っていない(笑)) こうしたNATOのような組織を太平洋でも創設しようとしているのではという推測がある。日本はアメリカと安全保障条約を結んでいるが、2007年にはオーストラリアとの間で「安全保障協力に関する日豪共同宣言」を発表、2008年には「日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言」が署名されているのだが、こうした結びつきの延長線上に太平洋版のNATOがあるのではないかというわけだ。 1951年、日本とアメリカが安全保障条約に署名する1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約に調印している。日米安保とANZUSを統合し、イギリスの植民地だったインドを巻き込んで太平洋にもアメリカが手駒として使える軍事同盟を築き上げようとしているのかもしれない。そうなったとき、この同盟でも秘密部隊が創設され、アメリカの支配にとって都合の悪い組織、団体、人物を抹殺していくことになる可能性がある。 ところで、かつてフランスにはOAS(秘密軍事機構)という組織が存在した。NATOの秘密部隊につながり、アルジェリア政府の要人を暗殺したり、イスラム教徒を殺害するだけでなく、資金を調達するために銀行を襲撃することもあった。 1962年にOASは活動を休止するのだが、ジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐に率いられた一派はこの決定に従わない。この年の8月にこの一派はシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みて失敗、9月に逮捕されている。ケネディ米大統領が暗殺される前の年の出来事だ。ド・ゴール暗殺未遂事件から4年後、1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にSHAPE(欧州連合軍最高司令部)はパリから追い出された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.30 01:58:36
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