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《櫻井ジャーナル》

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2012.12.07
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 今から71年前の12月7日の朝(現地時間)、ハワイの真珠湾にある米海軍基地を日本軍が奇襲攻撃した。日本側の暗号をアメリカ軍が事前に解読していたことは確かなようだが、それはアメリカ側の事情にすぎない。つまりアメリカが偽装攻撃したわけではなく、日本が奇襲攻撃した事実に変化はないわけで、日本の「免罪」にはならない。

 当時、ルーズベルトが第2次世界大戦、特にヨーロッパ戦線に参加したいと思っていたことは確かだろう。大戦の当初、ナチスの勢いは凄まじく、アメリカが参戦する必要があると考えたはずだ。

 大戦は1939年9月1日に始まった。飛び地になっていた東プロイセンを奪還するためにドイツがポーランドに軍事侵攻、3日にはイギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告したのである。

 しかし、少なくとも1930年代のはじめ、アメリカ、フランス、イギリスの支配グループ内にファシストがいたことは間違いない。例えばイギリスの場合、ウィンストン・チャーチルはアドルフ・ヒトラーに好感を持っていたと言われ、イギリス国王エドワード8世(後のウィンザー公爵)はナチと密接な関係にあった。

 アメリカの場合、JPモルガンをはじめとする金融界がヒトラーを支援していた。1932年の大統領選挙でハーバート・フーバー大統領が再選されていたなら、ナチスとアメリカ金融界の蜜月は続き、アメリカもファシズム化していた可能性が高い。強者総取りの経済を推進すれば、庶民の反発を力で抑え込むしかないからだ。

 このシナリオを狂わせたのがフランクリン・ルーズベルトの大統領就任だった。金融界にとってルーズベルトの掲げる政策が脅威だったようで、ルーズベルトは就任式の前に銃撃され、1933年になるとJPモルガンを中心とする勢力がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。

 この反ルーズベルト・クーデターの計画はスメドリー・バトラー少将の議会での証言で明らかにされて失敗に終わるのだが、大戦の末期、ドイツが降伏する前の月にルーズベルトが急死すると親ファシスト派は復活し、ナチス残党の逃亡を助け、保護し、雇い入れている。日本で民主化が止まり、「右旋回」が起こった背景はここにある。

 日本の場合、関東大震災の復興資金調達で世話になった縁でJPモルガンから大きな影響を受けていた。つまり、1932年までの日本はアメリカの支配層と手を組んでいた可能性が高い。

 アメリカと日本の支配層を結びつける上で重要な役割を果たしていたのが駐日大使も務めたジョセフ・グルー。大戦勃発後も東条英機内閣と友好的な関係にあった。

 グルーのいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻。つまりジョセフ・グルーはモルガン財閥の中枢に属している。戦後、日本の「右旋回」を演出したのはジャパン・ロビーと呼ばれるグループだが、グルーはその中心メンバーでもあった。

 19世紀のアヘン戦争以来、アングロ・サクソンは清/中国を食い物にしてきた。徳川幕府を倒した勢力はイギリスと手を組み、長州藩は1863年に井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)をロンドンに送り込んでいる。イギリスは中国侵略の手先として日本を使ったとしか見えない。「脱亜入欧」とはそういうことだ。そして関東大震災からはJPモルガンの支配下に入った。

 ルーズベルトの大統領就任で狂った支配層の歯車は1945年4月に修正される。ルーズベルトが急死したのだ。5月にはドイツが降伏するが、その頃、イギリスのチャーチル首相は合同作戦本部に対し、ソ連への奇襲攻撃の立案を命じている。数十万人の米英軍が再武装したドイツ軍約10万人と連合して奇襲攻撃するという内容だ。ただ、この計画は軍の反対で実行されていない。

 アメリカの金融界にしろ、イギリスのチャーチルにしろ、ルーズベルトは邪魔で仕方のない存在だっただろう。彼らにとってはタイミング良く急死したわけである。





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最終更新日  2012.12.08 03:11:27
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