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新しいローマ教皇にブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選ばれ、フランチェスコ1世を名乗るという。この人物、軍事政権下のアルゼンチンで展開された「汚い戦争」、要するに巨大資本のカネ儲けにとって邪魔だとみなされた人間の虐殺に責任があると批判されているのだ。
当然、軍事政権は現地の経済界とも友好的な関係にあった。経済大臣に選ばれたホセ・アルフレド・マルティネス・デ・ホスは経済界の大物で、デイビッド・ロックフェラーの親友としても知られている。経済政策は1973年に軍事クーデターがあったチリと同じように、強者総取りの新自由主義。つまり、アルゼンチン人の富はアメリカの巨大資本とその手先であるアルゼンチンの支配層に盗まれることになった。 ベルゴリオは1973年から79年にかけて、イエズス会アルゼンチン管区の管区長を務めている。この間、1976年にクーデターで軍事政権が誕生、83年まで続いた。チリのクーデターと同じように、黒幕はヘンリー・キッシンジャーだと言われている。 軍事政権下で「行方不明」となった人数は3万人とも言われている。実は、1976年にふたりの司祭が誘拐され、拷問を受けた事件でベルゴリオ自身も告発されている。 アルゼンチンに限らないが、ラテン・アメリカのカトリック教会は上層部と末端の聖職者は分裂している。つまり、上層部は基本的に軍事政権を支持したのに対し、貧困層の中に入って活動していた聖職者は「解放の神学」を唱え、貧困、抑圧、不正義と戦う姿勢を鮮明にしていた。ベルゴリオは上層部に属していたということだ。 アメリカから自立しつつあるラテン・アメリカ。そのリーダー的な存在だったベネズエラのウゴ・チャベス大統領の死とタイミングを合わせたかのように「アメリカの教皇」が誕生したと言う人もいる。1978年、ヨハネ・パウロ1世の急死(今でも他殺を信じている人は少なくない)を受けて行われたコンクラーベでポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(カロル・ユゼフ・ボイティワ)が誕生したことを思い出す人もいるだろう。 パウロ6世は1963年に教皇となるが、その前からCIAの大物、例えばアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンと緊密な関係にあったことが知られている。そのパウロ6世の側近だったシカゴ出身のポール・マルチンクスが1971年にIOR、いわゆるバチカン銀行の総裁に就任した。この時代にバチカン銀行を舞台として、債券偽造事件や不正融資事件が起こるが、いずれも非公然結社のP2が関係、アメリカ政府の東欧工作を支援していた。 1977年頃にはイタリア銀行監督局のマリオ・サルチネッリ局長が調査を命令、78年4月になるとアンブロシアーノ銀行の調査が始まる。1979年になると関係者が殺されるなど捜査妨害が活発化するが、81年3月にP2の頭目、リチオ・ジェッリの自宅や事務所が家宅捜索され、イタリアの情報機関、SISDEとSISMIの長官、ジュリオ・グラッシーニとジュゼッペ・サントビトを含むP2の会員リストが国家機密文書のコピーとともに発見された。P2は「NATOの秘密部隊」、つまりグラディオと結びついていたのである。P2はアルゼンチンにも強力な人脈を持っている。 アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは1982年6月にロンドンで変死しているが、そのカルビは生前、アンブロシアーノ銀行経由で流れた不正融資の行き先はポーランドの反体制労組「連帯」だと家族や友人に話していた。 またアメリカのジャーナリスト、カール・バーンスタインによると、連帯が受け取った資金の出所はウィリアム・ケイシーCIA長官(当時)と関係が深い「民主主義のための愛国的援助」で、そこからバチカンや西側の労働組合などを介して流れたというのだ。 連帯に送られたのは資金だけではなく、当時は珍しかったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドに密輸されたという。連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。こうした工作とボイティワの教皇選出が無関係だと考える方が不自然だ。 かつての東欧と同じように、今後、ラテン・アメリカでもアメリカは秘密工作を展開する可能性がある。アメリカの巨大資本にとって邪魔な体制を転覆させるということだが、今度も思惑通りになるとは限らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.15 00:38:46
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