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《櫻井ジャーナル》

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2013.03.24
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 ソ連が消滅した後、ロシアに君臨したのはボリス・エリツィン。その政権に食い込み、「規制緩和」と「私有化」を利用して巨万の富を築いた「オルガルヒ」のひとりにボリス・ベレゾフスキーなる人物がいる。ベレゾフスキーはウラジミール・プーチンが実権を握ってからイギリスへ亡命していたが、3月23日に死亡したという。

 ベレゾフスキーは亡命後に「プラトン・エレーニン」へ改名しているが、「プラトン」は言うまでもなくギリシア時代の哲学者、「エレーニン」は妻の名前からとっている。ネオコン(親イスラエル派)の思想的な支柱と言われるレオ・シュトラウスもプラトンを研究していた学者だった。

 ヨーロッパでプラトンが「再登場」してくるのはルネッサンスの時期で、キリスト教とのつながりだけではなく、ゾロアスター教と結びつけて解釈する学者もいた。カバラを看板に掲げた神秘主義の興隆につながったとも言われている。ゾロアスターのドイツ語読みがツァラツストラであり、19世紀後半にフリードリヒ・ニーチェが『ツァラツストラはかく語りき』というタイトルの本を書いたことを軽く考えるべきではない。

 エリツィンは健康に問題を抱えていたこともあり、娘のタチアナ・ディアチェンコ(後に再婚してユマシェーバ)を含む取り巻きがロシアの政治経済を動かしていたのだが、その政策は新自由主義、つまり強者総取り。このグループにベレゾフスキーも食い込んでいたようだ。

 当時、オルガルヒと呼ばれた富豪たちは「マフィア」を抱えていたが、ベレゾフスキーの場合はチェチェンのグループ。チェチェンの反ロシア政府軍はアル・カイダと関係があるとロシア政府は主張している。

 アメリカの支配層もチェチェン情勢に影響を及ぼしているが、そのための機関のひとつがACPC(チェチェンの平和のためのアメリカ委員会)。委員には、ネオコンのリチャード・パール、エリオット・エイブラムス、マイケル・リディーン、元CIA長官のR・ジェームズ・ウールジー、元情報将校で軍需企業のロッキード・マーチンで副社長を務めたことのあるブルース・ジャクソンも含まれている。

 チェチェンの親ロシア政府軍のラムザン・カディロフによると、彼らはアメリカやイギリスの情報機関と戦っていると話していた。戦死した反ロシア軍のリーダーがCIA工作員の運転免許証を所持しているのを見つけ、アメリカ人であることを示す書類もあったという。米英はロシアからコーカサスを奪い取り、ロシアという主権国家を破壊することが目的だとカディロフは考えている。

 ベレゾフスキーがイギリスへ亡命したのは2001年だが、この人物、少なくとも一時期はイスラエルの市民権を持っていた。オルガルヒ仲間の中にはイスラエルへ逃れた人も少なくない。

 2006年1月、ベレゾフスキーのボディー・ガードを務めていたアレクサンドル・リトビネンコが放射性物質のポロニウム210で毒殺された。殺される数週間前にリトビネンコはイスラエルを訪れ、ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会っている。

 リトビネンコはロシアの情報機関FSBに所属していたことがあり、どの時点かでベレゾフスキーに雇われることになった。エリツィン時代、オルガルヒは多くの情報機関員や特殊部隊の隊員を雇っているので、リトビネンコもFSB時代から働いていた可能性はある。イギリスへ亡命した後、リトビネンコはMI6(イギリスの対外情報機関)の仕事をしていた

 リトビネンコの体調が悪くなった日、ロンドンの「寿司バー」で彼と会っていたというのがイタリア人のマリオ・スカラメッラ。事件後、イタリアで逮捕されているが、この人物はイタリアのカンパニア州を拠点としていて、ECCP(環境犯罪防止プログラム)という組織を運営、その一方でナポリの犯罪組織、カモッラともつながっていた。

 それだけでなく、スカラメッラはイタリアの情報機関とも緊密な関係にある。2002年5月にはローマの近くで開かれた秘密会議に出席しているのだが、同席者の中には情報大臣だったフランコ・フラティニ、SISDE(治安機関)のマリオ・モッリ長官、SISMI(対外情報機関)のニッコロ・ポッラーリ長官、ルイジ・ラムポーニ元SISMI長官も含まれていた。

 ポッラーリ長官はその後、CIAによる拉致事件に絡んで解任されるのだが、この拉致にはスカラメッラも協力していたと言われている。スカラメッラとつながっていたロバート・セルドン・レディはCIAのミラノ支局長だと噂されている人物で、1980年代にはホンジュラスのテグシガルパで活動している。

 同じ時期、1981年から85年にかけてホンジュラス駐在のアメリカ大使だったのがジョン・ネグロポンテ。この当時、ホンジュラスはニカラグアに対する秘密工作の拠点で、ホンジュラス国内では労働組合の指導者、学生、政治活動家など200名近くが「行方不明」になった。対ニカラグア工作には、ACPCのエイブラムスやリディーンも参加している。また、ポッラーリの副官だったニコラ・カリパリは2005年3月、イラクのバグダッドでアメリカ軍に殺されたのも気にかかるところだ。

 ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃する前、イラクがニジェールからイエローケーキ(ウラン精鉱)を輸入しようとしていう偽情報が流されたが、その発信源はイタリアの情報機関だったが、それだけイタリアの情報機関はCIAと強く結びついているということだ。こうした関係、工作の中でリトビネンコはMI6の人間として活動していた。ちなみに、リトビネンコの父親は息子を殺したのはベレゾフスキーだと疑っていた。

 このベレゾフスキー、欧米の権力層に強力なコネクションを持っていた。例えば、ブッシュ・ジュニア大統領の弟でS&Lの金融スキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュと共同でビジネスを展開し、1980年代に「ジャンク・ボンド」を売りまくり、その裏で行っていた違法行為が発覚して有罪判決を受けたマイケル・ミルケン、盗聴事件を引き起こして苦境に立っている「メディア王」のルパート・マードック、そしてジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナサニエル・ロスチャイルドと親しい。

 こういう強力な人脈はベレゾフスキーに利益をもたらしただろう。が、状況によっては本人に牙を剥くことになる。

 ベレゾフスキー関係の話をする際、「ベレゾフスキー対プーチン」という単純な構図で描くことが間違っていることは明白だろう。この単純な構図でベレゾフスキーを語るメディアがあったなら、それは無知なのか、何らかの事実を隠したのか、どちらかだ。





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最終更新日  2013.03.25 04:42:04



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