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《櫻井ジャーナル》

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2013.09.19
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 イスラエルの駐米大使で7月に辞任を表明しているマイケル・オーレンは、イスラエルがアル・カイダと手を組んでシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしてきたと言明したようだ。

 イスラエルと一心同体の関係にあるネオコンは、1991年の段階でイラン、イラク、シリアを攻撃する計画を持ち、2007年までにアメリカ、サウジアラビア、イスラエルはシリアやイランをターゲットにした秘密工作を開始したと伝えられている。イスラエルがシリアの体制転覆を目論んできたことは公然の秘密なわけだが、ベンヤミン・ネタニヤフ首相に近いと言われる大使の口からそうした発言が出た意味は重い。

 オーレンによると、イスラエルはイラン、シリア、レバノンのつながりを危険視、その要石をシリアと位置づけ、そのシリアのアサド体制を倒すためには、イランを背景に持たないアル・カイダとは手が組めるということだ。

 1980年代から90年代にかけてイスラエル/ネオコンはイラクのサダム・フセイン体制を最大のターゲットだとしていた。イスラエルの友好国、ヨルダンとトルコの間にイラクが存在、そのイラクを抑えればシリアとイランを分断できるという戦略だった。

 オーレンによると、イスラエルと湾岸諸国との間には、シリア、エジプト、パレスチナ、イランの問題で合意があるという。1970年代の終盤にアメリカが始めたアフガニスタンでの秘密工作でイスラエルとサウジアラビアは協力しはじめるが、それも自然なことだったのだろう。

 イランも王政時代にはイスラエルと緊密な関係にあったが、1979年にイスラム革命が起こるとイランでも秘密工作を開始、後に「イラン・コントラ事件」として発覚することになる。このスキャンダルが明るみ出た一因はイラクをめぐるネオコン/イスラエルと別の支配グループの対立にあった。

 イラクのフセイン体制を倒すチャンスが1990年にやってくる。金融問題と資源問題の対立でイラク軍がクウェートへ軍事侵攻、それを口実にして91年にアメリカ軍はイラクを攻撃したのだ。ネオコンはそのままフセインを排除するつもりだったようだが、当時のジョージ・H・W・ブッシュ政権はその前に停戦した。

 その怒りがイラン、イラク、シリアを殲滅するというポール・ウォルフォウィッツ国防次官の発言、そして1992年に書かれたDPGの草稿につながる。軍事力で世界を制圧するというDPGは政府の内部でも反対する人がいたようで、メディアにリークされ、書き直されることになったという。

 封印されたDPGの草稿に基づく報告書「米国防の再構築」をネオコンのシンクタンク、PNACが2000年に公表し、それに基づく政策をジョージ・W・ブッシュ政権は推進していく。このブッシュ・ジュニア政権がスタートした2001年の9月11日に起こったのが世界貿易センターへの航空機突入と国防総省本部庁舎への攻撃。この出来事の直後にアメリカはアフガニスタンを先制攻撃、それから間もなくしてイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画を作成している。

 辞任を表明して緊張感が緩んみ、口が滑ったのかもしれないが、オーレンの発言は中東情勢に影響を与えそうだ。






最終更新日  2013.09.19 11:47:25

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