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《櫻井ジャーナル》

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2015.02.18
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 曽野綾子なる人物が産経新聞に書いたコラムの内容が問題になっているようだ。そこで「曽野綾子の透明な歳月の光」を読んでみたところ、その出だしで「他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい」と主張している。その事例として「イスラム国」を挙げているが、この集団はイスラムという文化に反する武装勢力にすぎない。

 その戦闘員はサラフィーヤ/ワッハーブ派が多いと見られているが、「精鋭部隊」と言われているのはチェチェンの反ロシア勢力。グルジアのパンキシ渓谷を拠点にし、そこでCIAにリクルートされた人びとが軍事訓練を受けている。グルジアはアメリカやイスラエルの強い影響下にある国だ。

 昨年2月、ウクライナの首都キエフでクーデターを成功させた勢力を支える柱のひとつはネオ・ナチ(ステファン・バンデーラ派)だが、その中にはチェチェンで戦った経験を持つ人もいる。そのクーデター、そして東/南部で展開されてきた民族浄化の背後にはドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事がいる。

 この人物は「オリガルヒ」(一種の政商)のひとりで、ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストだ。その背後にはネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの支配層が存在している。つまり、ここではシオニストとネオ・ナチが手を組んでいる。

 曽野の主張を読むと、「文明の衝突」論を連想する。ネオコンの戦略に大きな影響力を及ぼしてきたONA(国防総省内部のシンクタンク)のアンドリュー・マーシャルはバーナード・ルイスを師としているが、このルイスはサミュエル・ハンチントンと同じように「文明の衝突」を主張していた人物。このふたりはシオニストを支持し、反イスラムの立場だった。曽野にはネオコンの臭いがするということでもある。

 しかし、彼女が言いたいことは別にある。「若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならない」ということだ。違法にしろ合法にしろ、移民が増えている欧米では賃金水準の引き下げや労働環境の悪化が問題になっている。支配層にとって労働移民は労働者の力を削ぐ手段のひとつで、だからこそEUでは移民を規制すべきだという政党への支持が増えているのだ。

 介護の現場で問題になっているのは労働力の不足ではなく、低賃金で劣悪な環境で働く若者を集められないことにあり、適切な対価を事業者や労働者へ支払えば解決される。この問題の根は非正規雇用の増大や残業代ゼロ法案と一緒だ。

 非正規雇用の問題でも支配層は働き方の多様化というようなことを宣伝していたが、ならば、賃金だけでなく保険や年金についても同一条件にしなければならない。勿論、実際は違うわけで、本音は賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を推進したいということにほかならない。

 曽野のコラムを読むと、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ」と主張している。「優しければそれでいいのだ」という。

 介護のためには専門的な知識が必要なのであり、「孫」が面倒を見るにしても、知識を得るために専門家からアドバイスを受ける必要がある。運動能力を維持させるだけでも専門家と施設が必要だ。こうした知識がなく、経済的な余裕もないことから悲劇が起こってきた。

 コミュニケーション能力を無視しているということは、介護者だけでなく、介護を受ける必要のある高齢者の人格を考慮していないということでもある。「姥捨て」の発想だ。

 曽野が想定している労働移民は、賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を意味している。当然、貧困問題が深刻化し、犯罪も増えるだろう。これは「他民族の心情や文化」の問題ではなく、経済の問題だ。

 貧富の差が拡大していけば、アメリカのように居住地域は所得/経済力によって色分けされてくる。経済力による棲み分けが起こるのが先だ。「高級住宅地」に低所得者は住めない。曽野綾子は原因と結果を取り違えている。アメリカでは歴史的な背景から人種と経済力に相関関係があり、人種の問題のように見えるが、実際は経済問題。

 南アフリカでも同じことが言える。ヨーロッパ系の人びとが先住の人びとを支配するアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞したが、批判の声はある。彼は政治的な平等を実現するために努力したものの、経済の仕組みが温存されたため、貧富の格差は解消されず、そうした格差に基づく社会不安は解決されなかったからだ。南アフリカの問題も「他民族の心情や文化」ではなく、経済に根ざしている。

 アメリカでは貧困を犯罪にしようという動きもあるが、アパルトヘイトは特定の地域を収容所にするという制度であり、問題を力で封じ込めるという政策だ。現在、イスラエルで導入されている。「他民族の心情や文化」を強調するのは、被支配者を分断したいからにほかならない。

 本来、居住をともにするために理解し合う努力をしなければならないのであり、交流すれば、自然と理解は進む。そうした理解が進むことを恐れるのは支配層だ。フランス国王ルイ11世は「分割して支配せよ」と言ったそうだが、互いに反目させ、争わせ、統一的な反対勢力を形成させないようにするのは支配者たちの常套手段である。

 ところで、曽野の結婚相手で教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は「ゆとり教育」について次のように語っている:

 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年)

 被支配階級である庶民には「実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」ということだ。余計なことを考える力をつけさせたくないということだろう。介護者は「優しければそれでいいのだ」という曽野の主張と共鳴し合っている。






最終更新日  2015.02.18 18:36:19



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