14034332 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

《櫻井ジャーナル》

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

バックナンバー

2015.04.16
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 テレビ朝日の番組「報道ステーション」に準レギュラーのコメンテーターとして元経産官僚の古賀茂明が出演していたらしい。その古賀が3月いっぱいで番組を降板することになり、3月27日の放送中、「テレビ朝日の早河会長、古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で、私は今日が最後です」と発言、その直後にメイン・キャスターの古舘伊知郎と口論になって話題になったようだが、問題はそうした事態が生じた理由。安倍晋三政権からの圧力のためだというのだ。

 安倍首相は14年前にも番組の内容を変えさせるためにマスコミへ圧力をかけたとして話題になっている。2001年1月30日にNHKはETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、その内容が政治的な圧力で改変されたとされているのだ。その当事者のひとりが安倍だった。

 2007年1月に東京高裁が出した判決によると、松尾武放送総局長や野島直樹国会担当局長が国会議員などと接触、「その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」

 松尾総局長と野島局長を呼び出したのは中川昭一や安倍で、「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたと伝えられている。そうした会談を受け、松尾、野島、そして伊東律子番組制作局長が参加して「局長試写」が行われる。

 当初、安倍やNHKは報道内容を全面否定、それに対し、取材に協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」は、その改変を問題にして損害賠償を求める裁判を起こす。結局、最高裁第一小法廷は「報道の自律性」を尊重、「番組内容への期待や信頼は、原則として法的保護の対象とならない」と判断し、東京高裁の判決を破棄したのだが、高裁の事実認定を否定していない。政治家の「意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にする」ことも「報道の自律性」に含まれるというわけだ。

 事実上、最高裁が言うところの「報道の自律性」が認められているのは編集や経営の幹部にすぎないわけだが、現在、そのNHKの経営幹部は安倍の傀儡ばかりになっている。そうしたひとり、籾井勝人がNHK会長に就任する際、記者会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあったこと。」と口にしている。

 記者から「慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが」と言われ、新会長は「韓国だけにあったことだとお思いですか。」と聞き返し、「戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。」「行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。」少し後で、再び「僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。」と繰り返している。

 まず自分の発言に関する調査の責任を相手に押しつけ、「あったはず」という推測から「あった」という断定に変わり、「ないという証拠もないでしょう」と一気にトーンダウンする。口から出任せ。何か違反なり犯罪なりの容疑で捕まった人物が別の次の人物を指し、「あいつが悪いことをしていない証拠を出せ」と居直っているようだ。

 「ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか?そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、オランダに今ごろまでまだ飾り窓があるんですか?」とも言っているが、オランダの「飾り窓」は「従軍慰安婦」とまったく別の話。

 安倍首相はマスコミをなめきっているが、マスコミ側にもなめられても仕方のない歴史がある。戦前戦中には戦意高揚のプロパガンダを展開、敗戦後、その責任を問われず、自分たちで責任をとろうとしなかった。戦前戦中の体質を戦後も持ち続けたということだ。

 そのひとつの結果が1960年6月17日に東京の7新聞社、つまり朝日新聞、産業経済新聞、東京新聞、東京タイムズ、日本経済新聞、毎日新聞、そして読売新聞が掲載した宣言。「6月15日夜の国会内外における流血事件は、その事のよってきたるゆえんを別として、議会主義を危機に陥れる痛恨時であった。」ではじまるのだが、安保改定を政府と与党が強行採決、それに抗議するデモ隊を警察が暴力で鎮圧し、ひとりの死者と多くの負傷者を出したことには言及していない。

 1960年1月に岸信介首相は日米安全保障条約の改定でアメリカ側と合意、5月19日に自民党は国会へ警官隊を導入、会期延長を単独採決した直後、20日未明に新安保条約を強行採決している。それを受け、20日には約10万人のデモ隊が国会を取り巻き、6月4日には全国で460万人が参加したというストライキが実行されたわけだ。言うまでもなく、岸は安倍の祖父にあたる。

 そうした事態を見た岸首相は6月7日にマスコミの幹部を官邸に呼びつけている。読売新聞の正力松太郎社主、産経新聞の水野成夫社長、NHKの前田義徳専務理事、毎日新聞の本田親男会長、東京新聞の福田恭助社長をそれぞれ個別に官邸へ呼び、その翌日には共同通信、時事通信、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、日経新聞、さらに民放の代表を招き、9日には朝日新聞の代表にも協力を要請している。駐日大使のダグラス・マッカーサー2世も7日に各新聞社の編集局長を呼んで「懇談」したという。そして17日の宣言につながる。

 支配層がマスコミへの影響力を強める節目になった事件として「沖縄返還」をめぐる密約の問題も忘れてはならない。返還にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりするという密約の存在を毎日新聞の記者だった西山太吉がつかみ、その事実が議員から漏れ、問題になった出来事だ。その後、この報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。

 西山は密約に関する情報を外務省の女性事務官から入手していたのだが、マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。

 1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。このキャンペーンにマスコミも協力、こうしたキャンペーンが毎日新聞の経営にダメージを与え、倒産の一因になった可能性があるのだが、これは偶然でないと見る人もいる。密約を知らせた事務官が自衛隊の情報将校とつながっていたと言われているからだ。

 1987年にもマスコミを脅す事件が引き起こされた。5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃されたのである。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が侵入、小尻知博が射殺され、犬飼兵衛記者は重傷を負った。これで日本のマスコミが萎縮したことは間違いない。このころから日本でもマスコミは急速にプロパガンダ色を強めていく。

 古賀が「報道ステーション」を降板させられた直接のきっかけは、1月23日の放送されたIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の人質事件に関する報道だったとされている。本ブログでは何度も書いているように、ISはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが作り上げたモンスター。人質事件自体、そうした黒幕国の意思で行われた可能性が高い。

 番組の中で古賀は安倍首相の外交姿勢を批判、「I am not ABE”」というプラカードを掲げたという。古賀の主張によると、これで官邸が激怒し、古賀降板、チーフプロデューサーと恵村順一郎朝日新聞論説委員の交代という形になったわけだ。

 しかし、日本のマスコミはとうの昔に死んでいる。今はゾンビ状態。ジャーナリストのむのたけじは1991年に「ジャーナリズムはとうにくたばった」と「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったという(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、その後、状況はますます悪くなっている。だからこそ、今回のようなことが起こるとも言える。






最終更新日  2015.04.16 17:03:49

Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.