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《櫻井ジャーナル》

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2015.12.10
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 イギリスのデイビッド・キャメロン政権はアメリカ主導の連合軍へ参加してシリアへの軍事攻撃を始めている。この攻撃はシリア政府の要請を受けたわけでなく、侵略行為にほかならない。12月6日にはアメリカが主導する連合軍がシリア政府軍のデイル・エズルにある野営地を攻撃して4名のシリア兵を殺害、16名以上を負傷させ、同じ日にハサカーでは市民20名以上を殺害、約30名を負傷させたと伝えられている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊した際、イギリスとフランスは中心的な役割を果たしていたのだが、このコンビがシリアでも前面に出て来たということだ。

 イギリスがシリアで表立った動きを見せていなかった理由は議会にある。シリアへの空爆に反対していたのだが、政府は2009年、つまりシリアで戦闘が始まる2年前にバシャール・アル・アサド政権を倒す計画はできていたようだ。1988年から93年までフランスで外務大臣を務めたロランド・デュマによると、イギリスで知り合いの政府高官からシリアへの軍事侵攻を準備していることを知らされ、仲間にならないかと誘われたという。

 2009年にはフランスでも大きな出来事があった。当時はニコラ・サルコジ政権だが、その年にフランスがNATOへ完全復帰したのだ。1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出していた。1962年にシャルル・ド・ゴール大統領暗殺未遂事件があったのだが、この事件を引き起こしたOASは「NATOの秘密部隊」とつながっていたと言われている。こうした秘密部隊は全てのNATO加盟国に存在、中でもイタリアのグラディオは有名だ。

 OASの暗殺計画を阻止する上で重要な役割を果たしたのは情報機関のSDECE。その当時は自立した組織だったが、ド・ゴールが失脚するとCIAに浸食され、下部機関になってしまう。なお、1982年からはDGSEと呼ばれている。

 もっとも、ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしたのは国防次官だった1991年のこと。湾岸戦争でアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権がイラクのサダム・フセイン体制を倒さなかったことに怒っての発言だが、その時にソ連軍が出てこなかったことがその後のネオコン戦略に影響する。つまり、アメリカ軍に攻撃させてもソ連/ロシア軍は尻込みして静観すると思い込んだのだ。

 1992年のはじめにアメリカの国防総省ではDPG(国防計画指針)の草案という形で世界制覇プロジェクトを書き上げた。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」で、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するとしていた。

 2006年にはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に興味深い論文が掲載される。キール・リーバーとダリル・プレスが書いたもので、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。その翌年、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いた。この工作の手先になるのがアル・カイダ系の武装集団だ。

 リビアへの軍事侵攻を見ると、西側の好戦派はNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団の地上戦を連携させようと考えていたのだろう。実際、それはリビアで機能したが、シリアでは目論見通りには進んでいない。ロシアが抵抗していることもあるが、シリア軍の存在は大きい。リビアとシリアでは軍事力に大きな差があった。

 そうした中、イギリスがシリアへの軍事侵攻に参加した。当初からイギリスはイスラエルの意向が反映されていたと見られているが、そのイスラエルは現在、アサド体制を倒すためにアル・カイダ系武装集団やIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)を支援してきた。パレスチナの子どもを平然と殺すイスラエルだが、そうした武装勢力の負傷兵は手厚く看護している。






最終更新日  2015.12.11 00:53:54



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