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《櫻井ジャーナル》

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2015.12.23
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 ウクライナやシリアをめぐってアメリカ支配層の内部に対立が生じていることは以前から指摘されていたが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはアメリカ軍がバラク・オバマ大統領の意向を無視してシリア政府と情報を交換してきたとしている。ネオコン/シオニストに対する危機感がアメリカ支配層の内部でもそれだけ強まっているということだろう。そのネオコンに服従しているのが日本の「エリート」であり、国際的な立場は敗戦前に似てきた。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃するとしていた。(ココココ

 イラクの場合、イスラエル第一派であるネオコンは1980年代にサダム・フセインを排除すべきだと主張、この体制をペルシャ湾岸産油国の防波堤役だと認識していたジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベーカー、ロバート・ゲーツらと対立してした。その頃ブッシュは副大統領でゲーツはCIA副長官。こうした対立がイラクへの武器密輸、いわゆる「イラクゲート事件」の発覚につながる。

 後にブッシュは大統領となるが、その時代に対立は再燃している。自分たちの石油をクウェート政府が盗掘しているとイラクは疑って両国は対立、CIAは1988年の時点でイラクによる軍事侵攻を予想していたのだが、アメリカ政府はイラク軍がクウェートへ侵攻することを容認するかのようなメッセージを出す。

 例えば1990年7月にアメリカ国務省のスポークスパーソンは記者団に対し、アメリカはクウェートを守る取り決めを結んでいないと発言、エイプリル・グラスピー米大使はフセインに対し、アラブ諸国間の問題には口を出さないと伝えている。

 こうしたメッセージは罠だとPLOの議長だったヤセル・アラファトやヨルダンのフセイン国王はイラク側に警告したのだが、警告を無視してイラク軍は1990年8月にクウェートへ攻め込み、それに対応するという形で91年1月にアメリカ軍が率いる連合軍がイラクを攻撃した。アメリカ支配層はイラク西部に眠っている石油を支配しようと目論んでいたとも言われている。

 ネオコンはこの戦争でフセインを排除できると期待したようだが、ブッシュ大統領は体制を倒さないまま停戦してしまう。それに激怒したひとりが国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツだ。ウェズリー・クラーク大将によると、その当時、ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると語ったという。1991年12月にはソ連が消滅、それを受けてネオコンは国防総省のDPG草案という形で世界制覇プロジェクトを92年はじめにまとめた。そのDPGをベースにしてネオコン系のシンクタンクPNACが「米国防の再構築」という報告書を作成、2000年に発表した。2001年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権の軍事戦略はこの報告書に基づいている。

 この報告書には大きな変革を実現するためには「新しい真珠湾」が必要だとしていたのだが、その「新しい真珠湾」が2001年9月11日に引き起こされ、実行犯として「アル・カイダ」の名前が宣伝された。この「アル・カイダ」がデータベースを意味しているにすぎないことは本ブログで何度も指摘してきた。

 2001年の攻撃でアメリカ国内では好戦的な雰囲気が高まり、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを2003年3月に先制攻撃するのだが、財務長官だったポール・オニールによると、2001年3月の段階でイラクへの軍事侵攻と占領について具体的に話し合われていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)NSC(国家安全保障会議)でイラク侵攻計画を作成していることを知り、ショックを受けたという。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 ネオコンは1980年代からフセインの排除を主張していたわけで、「9-11」の直後からイラクを先制攻撃しようとしていた。ブッシュ・ジュニア大統領を担いでいたのは好戦派のネオコンで、「摂政」とも言われていたリチャード・チェイニー副大統領やポール・ウォルフォウィッツ国防副長官も仲間。約1年の間、開戦が延期されたのは統合参謀本部の抵抗があったからだと言われている。攻撃の理由がなく、作戦自体も無謀だったからだろう。

 その後、イラク攻撃を批判する将軍が続出する。例えば、2002年10月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任し、06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将、翌年の2月に議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、そのほかアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などだ。

 最近、DIA(国防情報局)の長官を務めたマイケル・フリン中将もこのリストに加えられた。IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)の勢力を拡大させた原因はアメリカ政府の決定にあると語ったのだ。事実だが、今のアメリカで事実を口にすることは勇気が必要だ。

 フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成している。ハーシュによると、この翌年からアメリカ軍はシリア政府と接触を始めた。

 2011年10月に統合参謀本部議長となったマーチン・デンプシーはISを危険視、ロシアやシリアとも手を組む姿勢を明確にしていたが、今年に入って状況が変化する。戦争に慎重なチャック・ヘーゲルが2月に退任、次の長官になったアシュトン・カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。デンプシーも9月に退任、後任に選ばれたジョセフ・ダンフォードはロシアをアメリカにとって最大の脅威だと発言した人物。

 こうした動きがロシアのウラジミル・プーチン大統領に何らかの影響を及ぼした可能性もあるだろう。9月28日にプーチン大統領は国連の演説で国家主権について語り、暴力、貧困、社会破綻を招き、生きる権利さえ軽んじられる状況を作り上げた人びとに対して自分たちがしでかしたことを理解しているのかと問いかけたが、明らかにその矛先はアメリカの支配層に向けられている。そして9月30日にロシア軍はシリアで空爆を始める。

 ハーシュはイスラエル政府の役割についてほとんど触れていないが、アメリカの好戦派はベンヤミン・ネタニヤフ首相と近い。そのネタニヤフの側近であるマイケル・オーレンは駐米大使時代の2013年9月、公然とシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。デンプシー議長下のアメリカ軍がシリア政府と情報の交換を始めた時期と重なる。

 ネタニヤフのスポンサーがカジノを経営しているシェルドン・アデルソンで、2013年にはイランを核攻撃で脅すべきだと主張していた。そのアデルソンは2014年2月に来日、安倍晋三首相のグループとの親密な関係も指摘されている。

 ネオコンはイスラエルのほか、サウジアラビアやトルコとも手を組んでいる。最近、イラクでの戦闘で死亡したIS幹部の持っていた携帯電話が回収され、トルコの情報機関からの連絡内容からトルコ政府がISを支援していることが明確になったという。





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最終更新日  2015.12.23 16:22:40



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