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《櫻井ジャーナル》

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2016.01.01
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 現在、アメリカの支配層が進めている世界戦略は1992年の初めに国防総省でポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に作成されたDPGの草案が出発点になっている。3月中に発表されることになっていた。1991年12月にソ連が消滅、「冷戦」に勝利したアメリカが唯一の超大国になったという前提で書き上げられたもので、新たなライバルが西ヨーロッパ、アジア、旧ソ連圏で出現することを防がなければならなず、エネルギー資源を抱える地域を制圧しなければならないとしている。

 DPGの草案では西ヨーロッパや日本をアメリカ主導のシステムへ組み込むとしているのだが、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)はそのための仕組みとして機能するだろう。アメリカの支配層は軍事的な支配だけでなく、経済的にもヘゲモニーを握ろうとする。

 ソ連が解体された後にできた国々をアメリカの軍事的なライバルと見なしていないが、それでもロシア自体、さらにロシアがウクライナやベラルーシなどと再統合されることを警戒している。DPG草案ではアメリカに対する脅威になるとしているが、実際は東へ拡大しているNATOがロシアの脅威だ。

 結果としてソ連を消滅させる方向へ舵を切ったのはミハイル・ゴルバチョフ。1985年3月にソ連共産党の書記長に、また88年9月には最高会議幹部会議長に就任し、90年には一党体制を放棄して大統領制を導入、初代大統領に選ばれた人物だ。

 1990年には東西ドイツが統一されたが、その際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に対し、統一されたドイツはNATOにとどまるが、東へNATOを拡大させることはないと約束したことが記録に残っている。勿論、その約束は守られなかった。

 そのゴルバチョフに対し、西側支配層は1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談でショック療法的な経済政策、いわゆる「ピノチェト・オプション」を強要された。新自由主義的な政策を推進しろということだが、国民の大多数を貧困化させることは明白なため拒否、そこで西側支配層とゴルバチョフは対立することになり、ボリス・エリツィンが台頭してくる。G7の直前にロシアの大統領に就任した人物だ。

 エリツィンがロシア大統領に就任した翌月、ソ連を存続させようとしていたグループは「国家非常事態委員会」を組織して権力の奪還を狙うものの、失敗。エリツィンは党を禁止、西側支配層の支援を受けながらソ連の解体、消滅へ突き進んでいく。

 そして1991年12月8日にベロベーシの森でウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチと秘密会談を開き、エリツィンはソ連からの離脱を決めた。エリツィンは西側の傀儡であり、その娘の人脈が今でも西側支配層と結びついていることは本ブログでも指摘した。つまり、DPGの草案が作成された段階のロシアは西側支配層の属国にすぎなかったが、その体制が倒れる可能性もDPGは考慮していたということだろう。

 ゴルバチョフを含むソ連の幹部たちはソ連の消滅を想定していなかったこともあり、エリツィンは独裁体制を一気に整えた。経済政策はジェフリー・サックスを含むシカゴ派の顧問団が作成することになる。

 1992年11月にエリツィンが経済政策の中心に据えたアナトリー・チュバイスはHIIDなる研究所と連携するが、ここはCIAとの関係が深いUSAIDから資金を得ていた。チュバイスはエリツィンの娘、タチアナ・ドゥヤチェンコ(注)の利権仲間としても知られている。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015)

 独裁色を強めるエリツィン大統領に対し、議員は国民の支持を背景にして1993年3月に立ち上がるが、エリツィン大統領は国家緊急事態を宣言して対抗、9月には議会を解散して憲法を廃止しようとする。議員の一部が議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるとエリツィンは軍隊を投入、戦車に議会ビルを砲撃させた。殺された人の数は100名以上、議員側の主張によると約1500名に達するという。

 1993年9月2日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙には、西側の有名人が署名したボスニアへの軍事介入を求める公開書簡がに掲載された。署名した人物には、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官のほか、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、あるいはネオコンとして知られているジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールも含まれている。

 そしてアメリカ/NATOの東への侵略が始まる。2014年2月にネオコン/シオニストが主導し、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用して行ったクーデターはその一幕にすぎない。この西側の好戦派は現在、ロシアから反撃を受けている。


(注)タチアナは結婚相手が捜査の対象になったこともあって2001年に離婚し、すぐにエリツィンの側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。ユマシェフの娘、ポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒで、ロシアのアルミニウム産業に君臨、ナサニエル・ロスチャイルドから「アドバス」を受けている一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。






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最終更新日  2016.01.01 19:13:55



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