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《櫻井ジャーナル》

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2016.01.24
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 キエフのクーデター政権はロシアへの債務返済ができなくなり、デフォルト状態。それでもIMFはルールを変更して融資を続け、反クーデター派が支配している東部のドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)をクーデター軍は攻撃している。そうした中、キエフ政府軍の兵士20名以上が死亡、200名以上が入院するという出来事があったようだ。致死性のウイルスが研究施設から漏れ、感染した結果だという。当然、住民へ感染する可能性もある。

 問題の研究施設はハリコフから30キロメートルの場所にあり、アメリカ軍の専門家が働いているのだが、以前からロシア政府はアメリカやNATOが軍のバイオ研究所をウクライナ、ジョージア(グルジア)、カザフスタンなどロシア周辺で建設していることに懸念を示していた。生物兵器の研究、開発、生産、散布の拠点になっている可能性があると考えるのは当然だろう。こうした研究所がウクライナで最初に建設されたのは2010年だが、今ではリビウ、オデッサ、ルガンスクなどで11施設に達すると見られている。

 アメリカが細菌兵器の研究や開発を進めているだけでなく、実際に使っている疑いも持たれている。2013年12月からアフリカ西部のギニアでエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、大きな騒動になったが、この時もそうした噂が流れた。その際に注目されたのがアメリカの研究者である。

 アメリカ軍には生物化学兵器を研究開発しているグループが存在する。その拠点がメリーランド州のフォート・デトリック。日本医学界の手先として生体実験を行っていた旧日本軍「関東軍防疫給水部本部」、いわゆる「満州第七三一部隊」も関係したところだ。そこの研究者とテュレーン大学の研究者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたのである。感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。

 8月2日には現地で治療にあたっていたふたりのアメリカ人、ナンシー・ライトボールとケント・ブラントリーが感染、アメリカへ運ばれて治療を受け、ふたりは快方へ向かったという。ふたりはリーフバイオ社とデフィルス社が開発している「ZMapp」が投与されたほか、現地で回復した少女の血が輸血されたとされている。

 突然、治療法が見つかったというわけだが、WHOのマーガレット・チャン事務局長は9月13日にエボラ出血熱のアフリカ西部における流行はコントロール不能な状態になっていると語っている。この人物、2009年には豚インフルエンザが大流行していると宣伝、日本で「タミフル」なる薬を売る手助けをした過去がある。タミフルを開発したギリアド・サイエンス社では1997年から2001年までドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていた。ちなみに、2005年12月4日付けのサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師はタミフルが効かなかったと話している。

 そして9月16日、バラク・オバマ米大統領はナイジェリア、リベリア、シエラレオネへ3000名程度の部隊を派遣すると言い始める。「エボラとの戦争」だが、アメリカが軍隊を派遣する場合、多くは資源が絡んでいる。アフリカの西部に石油が存在していることは有名な話であり、シエラレオネは世界最大のダイヤモンド産出国だ。

 エボラ出血熱が最初に発見されたのは1976年で、場所はザイール(後のコンゴ)。ウラニウムやダイヤモンドなど資源の宝庫で、かつてはベルギーの植民地だった。1960年2月に独立、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれる。

 アメリカの支配層は裏取引を拒否し、民主化を目指すルムンバを危険だと判断、同年8月にドワイト・アイゼンハワー米大統領はアレン・ダレスCIA長官に対してルムンバの排除、つまり暗殺を許可、CIA支局長だったローレンス・デブリンがクーデターと暗殺の2本立て工作を開始する。

 結局、9月にモブツ・セセ・セコというアメリカ支配層に選ばれた人物がクーデターを成功させ、12月にルムンバは家族を助けようとして拘束されてしまった。

 1960年にアメリカで行われた選挙で当選したジョン・F・ケネディが大統領に就任するとルムンバの排除が困難になるとアメリカ支配層は考えたはずだが、実際、就任の3日前に彼は刑務所から引き出され、ベルギーのチャーター機でルムンバの敵が支配する地域へ運ばれて死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団に殴り殺された。

 当然、CIAの承認を受けての殺害であり、ルムンバの移送をデブリン支局長は事前に知らされていたが、ケネディには伝えていない。1月26日にダレス長官はコンゴ情勢についてケネディ大統領に説明しているが、このときにもルムンバ殺害について触れなかった。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 エボラ出血熱が発見された後、この病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘の研究「プロジェクト・コースト」が1980年代の前半から南アフリカで進められた。その中心にいた科学者がウーター・ベイソン。

 1985年にベイソンはイギリスのある研究所を訪ね、デイビッド・ケリーという研究者に会った。この研究者は兵器の査察官になるのだが、2003年7月、アメリカが偽情報を撒き散らしながらイラクを先制攻撃した際、変死している。公式見解は手首を切っての「自殺」だが、それにしては出血が少なすぎ、心臓の活動が停止した後に切った、あるいは切られた疑いが強いのだ。死の直前、イギリスの治安機関MI5がケリーからベイソンの件で話を聞いたと言われている。

 しかし、ケリーの死は別の出来事と関係している可能性が高い。イラクを先制攻撃した当時、アメリカの国務長官だったコリン・パウエルは2002年3月28日にトニー・ブレア首相がアメリカの軍事行動に加わるとメモに書いている。つまり、この時点でブレアは軍事侵略に同意していた。

 ところが、その当時、イギリスでも開戦を認めるような雰囲気ではなかった。そこでアメリカやイギリスの政府はイラク攻撃を正当化するために「大量破壊兵器」を宣伝、ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を2002年9月に作成した。パウエルのメモが書かれた半年後のことだ。

 イラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張するその報告書の内容は外部にリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物で、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。

 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。

 その結果、2003年3月20日にイギリス軍はアメリカ軍に付き従ってイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、今でも殺戮と破壊は続いている。その実態は本ブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。






最終更新日  2016.01.25 15:32:51



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