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《櫻井ジャーナル》

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2016.03.22
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 アメリカやイギリスの支配層はロシアを締め上げるため、その周辺に軍隊を配備してきた。1904年にハルフォード・マッキンダーが発表した「ハートランド理論」(注1)が元になった戦略だとされている。後にヨシフ・スターリンはソ連の周辺を制圧するが、その理由のひとつは米英の戦略に対抗することにあった。

 1990年に東西ドイツが統一される際、ジェームズ・ベーカー米国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、NATOを東へ拡大させることはないと約束したことが記録に残っているのだが、1991年12月にソ連が消滅すると、アメリカ支配層は約束を破り、東へ勢力を拡大しはじめる。

 そして2014年2月22日、アメリカの支配層はウクライナの再制圧に乗り出す。選挙で合法的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領をネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)によるクーデターで排除したのだ。反クーデター派の抵抗に遭って思惑通りには進まなかったが、それでもアメリカはロシアの喉元にナイフを突きつけている状態である。米英の支配層はこうした戦略を112年にわたって続けてきたのだが、ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだときには激しく反発、核戦争を始める姿勢を見せていた。

 ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだ理由のひとつはアメリカ内部で計画されていた先制核攻撃にある。例えば、1949年には、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告が統合参謀本部(JCS)から出され、1954年になると戦略空軍総司令部(SAC)はソ連に600から750発の核爆弾を投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。

 1956年にSACが作成した核攻撃計画に関する報告書によると、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が攻撃目標に含まれていた。

 1957年初頭に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊することになっている。(注2)この作戦が作成された当時、JCS議長はライマン・レムニッツァー、またSACの司令官はカーティス・ルメイ。レムニッツァーは大戦中の1944年、アレン・ダレスとナチス高官に接触し、降服について話し合っている。また、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務め、沖縄の軍事基地化を進めている。

 1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかったが、レムニッツァーやルメイといった好戦派は1964年になればソ連もICBMを配備できると見通し、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年の終わりに奇襲攻撃を実行しようとしていた。

 ICBMを実戦配備できていないソ連が報復するとしたなら、アメリカの近くから中距離ミサイルで攻撃するしかない。そこでアメリカもソ連もキューバを注目したはず。まずアメリカの好戦派は1961年4月に亡命キューバ人部隊をキューバのピッグス湾(プラヤ・ギロン)へ上陸させるが、失敗する。攻撃部隊や作戦内容が貧弱だっただけでなく、事前に情報が漏れていた。これで侵攻作戦が成功するはずはない。

 亡命キューバ人部隊が撃退された直後、チャールズ・キャベルCIA副長官(当時)は航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したが、アメリカ軍が前面に出た侵攻作戦の要求を大統領になって間もないジョン・F・ケネディは却下し、キャベル副長官は1961年11月、アレン・ダレス長官やリチャード・ビッセル計画局長と一緒に解任された。大統領はCIAの解体も考えていたようで、その代替機関として想定されていたDIAが1961年10月に創設されている。

 レムニッツァーたちはその後もアメリカ軍によるキューバ侵攻、さらにソ連への先制核攻撃を目論んでいる。そうした攻撃を正当化するために立てられたのが「ノースウッズ作戦」だ。作戦に関する文書は大半が破棄されたと言われているが、レムニッツァー議長が国防長官あてに作成した1962年3月13日付けの機密文書が残っていて、作戦の概略が説明されている。

 それによると、まずキューバ軍を装ってアメリカの施設や船舶を攻撃、さらにフロリダ州マイアミなどの都市で「テロ」を実行、ドミニカなどキューバの近隣国でも破壊活動を展開して恐怖を煽り、最終的には、アメリカを離陸した旅客機をキューバ近くで自爆させてキューバ軍に撃墜されたことにし、軍事侵攻の口実にしようというシナリオ。

 ノースウッズ作戦についてレムニッツァー議長はロバート・マクナマラ国防長官に説明するが、拒否されたと言われている。その後、ケネディ大統領はレムニッツァーの議長再任を拒否、米ヨーロッパ軍司令官に指名する。1962年11月のことだ。翌年の1月に着任し、同時に欧州連合軍最高司令官となった。

 好戦派の動きをケネディ大統領は懸念、上院外交委員会のアルバート・ゴア上院議員、つまりビル・クリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴアの父親を中心にするグループが軍内部の好戦派を調べはじめる。

 キューバを軍事侵略し、ソ連を先制核攻撃するという好戦派の計画を阻止したケネディ大統領は1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行った。単に「平和の理念」を語ったのではなく、アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」だと語りかけ、「関係者すべての利益になる一連の具体的措置と有効な協定に基づく、実際的で達成可能な平和に力を注ごう」と主張する。

 大統領はソ連とアメリカとの間で全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されると主張し、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らし、相手国に対して「屈辱的な退却か核戦争」を強いるのではなく、緊張の緩和を模索するべきだと語る。

 さらに、自分たちの遠大な関心事は「全面完全軍縮」だと表明、核実験の禁止を訴え、他国がしない限りという条件付きで、アメリカは大気圏の核実験をしないと宣言、戦争と軍備の廃棄はアメリカの利益と人間の利益に合致していることを強調し、「自信を持ち、恐れることなく、われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」と演説を締めくくっている。(注3)

 ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのは演説の5カ月後、1963年11月22日のことだ。アメリカの好戦派は大統領暗殺の黒幕はキューバ、あるいはソ連だと宣伝して戦争を始めようとするがこれは失敗に終わる。FBIがCIAの工作に関する情報をリンドン・ジョンソン大統領へ伝えたことも一因だ。

 アメリカの支配層は戦争を計画しただけでなく、キューバ革命の象徴的な存在であるフィデル・カストロの暗殺を試みている。CIAがカストロの命を狙ったのは合計638回だというが、この工作にはアメリカの犯罪組織が協力していた。

 フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」は犯罪組織の大物に証言させようとする。そのひとりがジョン・ロッセリ。委員会へ呼び、1975年6月24日と9月22日にカストロ暗殺計画について、76年4月23日にはケネディ大統領の暗殺について聞いている。その3カ月後、7月28日から行方不明になり、後にマイアミ近くの海に漂っていたドラム缶の中から腐敗した死体が発見されている。

 シカゴを拠点とする犯罪組織の大物、サム・ジアンカーナも委員会でケネディ大統領暗殺について証言する予定だったが、その直前、1975年6月19日に射殺されている。ジアンカーナを誰が殺害したのかは謎だが、夜遅くに部屋へ招き入れていること、健康上の理由から彼はスパイスを使った食べ物を口にしなかったのだが、ソーセージの胡椒炒めを料理していたことから、射殺に彼の信頼している人物が関係していると推測する人は少なくない。

(注1)ハートランド理論でマッキンダーは世界を3つの地域に分けて考えていた。ヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本を含む「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」だ。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシアを指している。
 広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、その外側に「外部三日月地帯」をマッキンダーは想定した。パレスチナにイスラエルを作った理由のひとつはこの辺にあるだろう。
(注2)Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012
(注3)長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年






最終更新日  2016.03.22 21:40:39
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