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ブリュッセルで3月22日に引き起こされた爆弾攻撃に加わったひとりと言われているベルギー生まれのイブラヒム・バクラウィをトルコ当局は昨年6月にシリアとトルコとの国境近くで「逮捕」し、護送要員もつけず、民間の旅客機でオランダへ「国外追放」したと伝えられている。
バクラウィは「テロリスト」だと認定されていた人物。トルコ政府の行動は不自然だ。「テロリスト」を全く警戒していない。トルコの当局者はシリアとトルコとの国境近くで彼と合流し、オランダへ送り出したということだろう。トルコ政府がベルギー政府へ警告したかどうかという次元の問題ではない。「テロ」の首謀者だと疑われても仕方のない状況だ。 オランダの空港で警備を請け負っているICTSの担当者はバクラウィの通過を許しているのだが、彼が正規のパスポートを所持していたとするならば、すぐに「危険人物」だということがわかったはず。ICTSにも疑惑の目が注がれている。 前にも書いたように、ICTSは1982年にシン・ベト(イスラエルの治安機関)の元メンバーらによって創設された会社。オランダ、ドイツ、スペイン、イタリア、ポルトガル、日本、ロシアなどの空港でも仕事をしている。 アメリカはサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと2007年3月5日付け「ニューヨーカー」誌で書いたシーモア・ハーシュは「ロンドン書評」誌の2014年4月17日号で次のように伝えた。 ハーシュによると、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめ、シリアでの政権打倒工作に関する秘密合意に達したという。トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送るという取り決めだったようだ。 2016年1月7日付け「ロンドン書評」誌でハーシュは、武器/兵器をシリアへ送り出す拠点になっていたのがベンガジのアメリカ領事館だったとしている。ここは2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された場所だ。 スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入国し、11月にリビアを離れ、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたという。 オバマ政権とエルドアン政権が秘密合意に達した当時の状況について、アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月に作成した報告書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。つまり「穏健派」は事実上、存在しないということ。 その年の初めにアメリカが合意した秘密工作は「過激派」への支援にほかならず、その主力であるサラフ主義者/ワッハーブ派はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげると警告、実際、その通りになった。その勢力をアメリカ主導の連合軍が攻撃しなかったことは必然だ。2012年8月当時、DIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。その「過激派」をロシア軍が空爆、大きなダメージを与えて戦況は一気に政府軍が優位になり、侵略勢力は混乱した。 ブリュッセルの爆破事件は不明な点が多いが、イブラヒム・バクラウィのような戦闘員を使ってきたのはアメリカ、イギリス、トルコ、サウジアラビア、カタール、そしてイスラエルのような国々。アメリカの支配層に従属しているEUのエリートはそうした工作を黙認してきたと言えるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.03.27 22:25:58
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