《櫻井ジャーナル》

2016/07/06(水)12:21

民主主義と平和を捨て去る改憲を目論む安倍晋三を支持するマスコミに操られる国民を待つ地獄

 安倍晋三政権は「改憲」を目論んでいる。日本国憲法を改定、あるいは別の憲法と取り替えようというわけだ。目前に迫っている参議院選挙で態勢を整えるつもりだろうが、問題はどのような憲法にしようとしているかである。  日本が正式に連合国へ降伏したのは1945年9月2日。政府全権の重光葵と大本営全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の旗艦ミズーリ上で降伏文書に調印したのがこの日だ。  しかし、日本の支配層は自分たちが敗北したという認識が希薄だったようで、戦前の治安体制を維持できると考え、政治犯を拘束し続けていた。そうした中、1945年9月26日に哲学者の三木清が獄死している。  日本の思想統制を担当していたのは内務省だが、その最高責任者である内務大臣だった山崎巌にロイターのR・リュベン記者が10月3日にインタビュー、その際に山崎は特高警察の健在ぶりを強調、天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切ったという。敗北の意味を理解できていなかったようだ。その日、岩田宙造法相は中央通訊社の宋徳和記者に対し、政治犯を釈放する意志はないと明言している。  ロイターや中央通訊社の報道後、ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官は「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令、10月10日に政治犯は釈放された。安倍政権は「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限」を復活させ、政治犯を拘束しようと目論んでいるように見える。  1947年1月に上海から帰国した作家の堀田善衛は引き揚げ船が佐世保沖で足止めになっていたとき、様子を見にきていた警察官に日本で流行っている歌をうたわせたところ、出てきたのは「リンゴの唄」だった。  これを聞いた堀田は、「敗戦ショックの只中で、ろくに食べるものもないのに、こんなに優しくて叙情的な歌が流行っているというのは、なんたる国民なのかと、呆れてしまったんです」と書いた。しかも、「明白な敗戦なのに"終戦"とごまかしている。この認識の甘さにも絶望しました」という。(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)  内務大臣や法務大臣だけでなく、日本全体が戦争に負けたという事実を認識できていなかった、あるいは目をそらしていたようだ。いや、今でも歴史を直視しようとしない人がいる。戦争の経験者が少なくなるにつれ、そうした人びとの妄想は現実から乖離していく。  1946年11月3日に公布、47年5月3日に施行された日本国憲法の柱は天皇制の継続、民主化、交戦権の放棄だと言えるだろう。敗戦後も維持するつもりだった支配システムとは天皇制官僚国家。官僚にとって天皇制の継続は大きな問題だっただろう。  しかし、日本の外では、当然のことながら、天皇に対して違った見方をしていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年)が、侵略されたアジアの人びとだけでなく、イギリス、オーストラリア、ソ連なども天皇に批判的だった。  日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は事実上、アメリカ軍だったが、時間を経るに従って天皇に批判的な声が高まることは避けられない。第2次世界大戦の前から日本の支配体制と強く結びついていたアメリカの支配層、つまり巨大資本としても天皇制官僚国家を維持したかったはずで、民主主義と平和主義の衣をまとった天皇制を定めた憲法を速やかに作り上げることになった。  勿論、安倍政権が目指す改憲で天皇制が否定されることはないだろう。民主主義と平和主義をかなぐり捨てたいのだ。これはアメリカを拠点とする巨大資本の意思でもある。  この巨大資本は1933年3月から45年4月にかけての期間、ニューディール派が主導権を握る政府と対立関係にあった。その中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領。  スメドリー・バトラー少将の議会証言によると、ウォール街を拠点とする巨大資本は1933年から34年にかけての時期、ニューディール派を排除するためにクーデターを計画していた。バトラー少将から話を聞いたポール・フレンチ記者はクーデター派を取材し、「コミュニズムから国を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を聞いたと議会で証言している。勿論、議会での証言である以上、記録に残っている。  クーデター派の中心だった巨大金融機関のJPモルガンは日本とも関係が深い。1923年の関東大震災で大きな打撃を受けた東京周辺を復興させるために必要な資金を日本政府は外債の発行で調達しようとしたが、その債券を引き受けたのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も親しかった日本人と言われているのが井上準之助だ。  また、1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グルーは、いとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させたジャパン・ロビー(ACJ)で中心的な役割を果たすことになる。(詳細は割愛)  安倍政権が目指している「日米同盟」は、1923年から32年までの日米関係をモデルにしているように見える。この時期の関係を「対米協調」とも表現するが、明治維新以降、日本は東アジアと協調しようとしていない。侵略、破壊、殺戮、略奪だ。明治維新によって日本は周辺国との友好関係を破壊、侵略国家に変貌したと言えるだろう。  安倍政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これを矛盾と言うことはできない。遅くとも関東大震災以降、日本はウォール街に従属し続けている。フランクリン・ルーズベルト政権の時代が例外なのだ。日本の支配層にしてみると、こうした政権がアメリカに登場することを阻止しなければならない。そのため、さまざまなことが行われているだろう。そうした工作で「金の百合」が「ナチ・ゴールド」と同じように重要な役割を果たしてきたことは想像に難くない。  安倍政権を含む日本政府が進めてきた政策は基本的にウォール街発。TPPはアメリカを拠点とする巨大資本が国を支配する仕組みだが、日本の支配層にとっては必然なのだろう。安保法制は1992年にアメリカの好戦派によって作成された世界制覇プロジェクトに基づいて作られたが、その背景には世界を自分の所有物にしたいという強欲な巨大資本や富豪が存在する。  緊急事態条項は1980年代にアメリカで導入されている。ドワイト・アイゼンハワー政権当時、アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画したことは本ブログでも繰り返し、書いてきた。ソ連/ロシアを制圧すれば、世界の覇者になれると米英支配層の少なくとも一部は信じてきた。1960年代の前半まで、彼らは自分たちが圧勝できると信じていたようだが、それでも核戦争後に国を動かす「秘密政府」の仕組みを準備している。(James Bamford, "A Pretext For War", Random House, 2004)  その仕組みがジミー・カーター政権でFEMAという形になり(Andrew Cockburn, "Rumsfeld," Scribner, 2007)、ロナルド・レーガン政権でCOGになった。このプロジェクトは1987年7月に「イラン・コントラ事件」の公聴会でジャック・ブルックス下院議員がオリバー・ノース中佐に質問している。  それに対し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にして質問を遮った。ブルックス議員はマイアミ・ヘラルド紙などが伝えていると反論、緊急時に政府を継続する計画が練られていて、それはアメリカ憲法を停止させる内容を含んでいると説明している。(このCOGに関する話を後にCNNの番組を紹介するという形で日本のテレビ局が深夜に放送していたが、そこに登場した著名な某記者は「ガセネタ」扱いしていた。)  1988年になると大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。これが安倍政権の言い出した緊急事態条項の見本だろう。この変更があったため、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は「愛国者法」によってアメリカ憲法の機能を停止させることができた。  安倍政権は個人情報の収集と分析にも力を入れているが、世界的に見ると、こうしたことは1970年代から問題になっていた。ランパート誌1972年8月号にNSA元分析官の内部告発が掲載されてNSAの存在が明るみに出たが、その際、NSAは「全ての政府」を監視しているとされている。  NSAのパートナーと言えるイギリスの電子情報機関GCHQの存在を明らかにしたのはダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボール。ふたりは1976年にタイム・アウト誌で調査結果を発表したのだが、それによってアメリカ人のホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関のMI5から監視されるようになった。全世界の通信を傍受できるシステムECHELONの存在を1988年に暴露したのもキャンベルだ。(Duncan Campbell, 'Somebody's listening,' New Statesman, 12 August 1988)  集められた情報を集積、分析するシステムの開発も進められた。1970年代の終わりに開発されたPROMISはその代表例で、アメリカやイスラエルの情報機関はトラップ・ドアを組み込んだ上で国際機関、各国政府、金融機関などの売っていた。このシステムは民間企業が開発したのだが、それを司法省が盗んだとアメリカの破産裁判所、地方裁判所、下院司法委員会は見なしている。  このシステムには日本の法務総合研究所も注目、1979年と80年に『研究部資料』として公表している。この当時の駐米一等書記官は原田明夫であり、実際に動いていたのは敷田稔。原田は法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任、敷田は名古屋高検検事長を務めた。日本の「エリート」を過小評価してはならない。  安倍晋三はアメリカを拠点とする巨大資本の傀儡だということになるが、その巨大資本が現在、揺らいでいる。何度も書いてきたが、最大の問題はドルが基軸通貨の地位から陥落しそうなこと。ロシアや中国の実力も彼らは見誤った。アメリカと特別な関係にあるとされているイギリスもアメリカ離れを始めている。ネオコン/シオニストの暴走はこうした流れを加速させているようだ。ネオコンが最後に頼るのは核戦争の脅しだろう。

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