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《櫻井ジャーナル》

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2016.07.06
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 ジェームズ・コミーFBI長官によると、FBIは司法省に対し、ヒラリー・クリントンの不起訴を勧告したという。(映像)FBIは7月2日、ヒラリーから公務の通信に個人用の電子メールを使った件に絡む問題で3時間半にわたって任意の事情聴取を行っていた。機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性があり、また、そうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めた上での決定だが、過去の似た事件、例えば4年前に米海軍のブライアン・ニシムラが有罪になったケースに比べて不自然だとも指摘され、もしヒラリーが大統領になった場合、法規を無視して軽率に核戦争を始めかねないとも皮肉られている。

 FBIは強引に幕引きを図ったようだが、メールの内容が漏れているほか、夫のビル・クリントンをも戦争へと導き、国務長官時代にはシリアやリビアへの軍事侵略へ深く関与している実態が露見するなど逆風が強まっていることは間違いない。FBIの内部でも不満が高まるだろう。今後、何らかの形で告発があっても不思議ではない。

 消去したメールについてヒラリーは私的な通信だと説明、彼女の側近であるヒューマ・アベディンはスケジュールに関するメールを「機密書類入れ」に入れ、消去する準備をしていたと証言したと報道されている。スケジュールは公的な記録であり、残しておかなければならないので法律に違反していることになるが、リビアやシリアへの軍事侵攻、あるいはホンジュラスのクーデターに関連した、より深刻な内容のメールも含まれていたはずだ。アベディンの証言は「ダメージ・コントロール」、一種の人心操作だった可能性がある。

 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、好戦派の友人であるマデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いたことは本ブログで何度も指摘した。

 2009年1月にバラク・オバマが大統領になるとヒラリーは国務長官に就任、その年の6月にはホンジュラスでクーデターがあり、マヌエル・セラヤ政権が倒された。クーデターの中枢には少なくとも2名のSOA卒業生が含まれているのだが、これは1946年にアメリカがパナマに設置した軍事訓練施設。ラテン・アメリカから集めた軍人に対し、対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教え込むことが創設の目的で、その出身者は帰国後にクーデターを実行したり暗殺部隊を編成している。

 こうしたこともあってSOAは悪名をとどろかすことになり、1984年にパナマから追い出された。今はアメリカのジョージア州フォート・ベニングに移動、2001年から名称をWHISC(またはWHINSEC)へ変更した。

 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているが、当時、現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クリントン国務長官も実態をしっていた。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。

 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているが、現地のアメリカ大使館はその当時、国務省に対してクーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告していた。つまりクーデター政権には正当性がないと明言している。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。

 クーデターを支援していたひとり、ミゲル・ファクセが麻薬取引が富の源泉であることもアメリカ側は認識していた。ちなみに、ミゲルの甥にあたるカルロス・フロレス・ファクセは1998年から2002年にかけてホンジュラスの大統領だった人物である。

 リビアとシリアに対する軍事侵略でもヒラリーは中枢グループのひとりだった。この両国に対する侵略が本格化するのは2011年の春で、その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒され、その際にカダフィは惨殺された。それをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。

 NATOとアル・カイダ系武装集団が連携していることは当事者の証言で明らかになっていたが、カダフィ惨殺後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。アル・カイダ系武装集団がアメリカ/NATOと深く結びついていることを示す事実が追加されたと言える。この段階でアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装勢力と手を組んでいることは隠しようがなくなった。

 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまり武器の輸送はCIAが黒幕だった。

 そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実にしようとしたと言われている。

 ヒラリーは2013年2月1日まで国務長官を務めていたが、その前年8月にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は反シリア政府軍について、主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとホワイトハウスへ報告している。シリアのアル・カイダ系武装集団としてアル・ヌスラが有名だが、DIAによると、アル・ヌスラはAQIの別名で、こうした集団は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしていた。

 DIAがシリア情勢に関する報告書を出した翌月、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺されたのだが、領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。

 言うまでもなく、ヒラリーはスティーブンスの上司にあたり、戦闘員や武器の輸送を彼女も報告を受けていたはず。2012年11月にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。

 そのヒラリーに信頼された友人で、クリントン家の顧問にもなっているシドニー・ブルメンソールのメール・アカウントが後にハッキングされ、4通のメールがロシア系メディアのロシア・トゥデーにリークされ、明らかになった。2013年3月のことだ。

 その後、この4通のうち長官時代の3通は本物だということが確認されたが、残りの1通は2013年2月16日付け、つまり長官を辞めた半月後のために公表の対象でなく、確認はされていないが、恐らく本物だろうと考えられている。

 その4通目にはスティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された事件に関する情報が含まれ、ベンガジを含む襲撃に資金を出したのはサウジアラビアのスンニ派だということを示す証拠をフランスとリビアの情報機関が持っているとしている。この当時、サウジアラビアとカタールとの間で内紛が起こっていたとも言われている。

 ヒラリーが電子メールを消去していなければ、また彼女に対する捜査が徹底的に行われたなら、こうした問題の真相も明るみに出る可能性があった。

 ちなみに、中国人実業家から130万ドル(約1億6000万円)の賄賂を受け取った疑いで昨年、逮捕されたジョン・アシュ元国連総会議長はヒラリーに関する証言をする直前、6月22日に心臓発作で急死したという。





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最終更新日  2016.07.06 23:51:53



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