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《櫻井ジャーナル》

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2016.07.08
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 ウクライナの首都キエフでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデターを2014年2月22日に成功させたアメリカ政府だが、クリミアの制圧には失敗した。そこにあるロシア黒海艦隊の拠点、セバストポリを押さえることはクーデターの大きな目的のひとつだった。

 そこで4月上旬にアメリカ軍はミサイル駆逐艦のドナルド・クックを黒海へ入れ、ロシア領海の近くを航行させて威嚇したのだが、4月12日に非武装のSu-24戦闘機が12回にわたって駆逐艦の近くを飛行して警告する。

 ロシアから流れてきた情報によると、そのときにSu-24は「キビニECMシステム」を搭載、ドナルド・クックのイージス・システムを麻痺させたという。14日にこの駆逐艦はルーマニアの港へ急遽入り、その後、ロシアの国境には近づかなくなった。ロシア側の報道は正しいと見られている。

 キエフのクーデターでポーランドは工作の拠点。ポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、その「学生」はワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練を受けたという。

 そのポーランドで大統領を務めたことがあり、「民主化」の象徴的な存在になっているレフ・ワレサはこの出来事に関し、アメリカ側の対応が甘いとおだを上げている。「もし自分がその艦船の司令官で、もしそうした航空機が飛行したなら、私は撃ち落とす。ただ、殺しはしない。翼を吹き飛ばすだけだ。」とラジオ自由ヨーロッパに語ったのだ。電子戦のことなど気にもしていない。「気合い」で戦争に勝とうとしたどこかの国の軍人に似ている。

 しかし、ワレサの発言で興味深いのは別の箇所だ。ロシア軍機の翼を吹き飛ばすような敵対行為はNATOとロシアの本格的な軍事衝突を招くのではないかと質問され、「無理だね。どんな戦争だい。誰も衝突を望んでいないし、ロシアも望んでいない」と答えたという。ロシアにそんな余裕はないというわけだ。つまり、ロシアは何をされてもおとなしくしているとワレサは考えているのだろう。

 この発想はネオコン/シオニストに酷似している。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官(SACEUR)によると、1991年1月にアメリカ軍を中心とする軍勢がイラクを攻撃した際、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はサダム・フセインを排除しないまま攻撃を止めたジョージ・H・W・ブッシュ大統領の決定を怒り、5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたという。こうした不満だけでなく、アメリカ軍の軍事介入をソ連が傍観していたことを彼は喜んでいた。そしてネオコンは1992年の初めに国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。

 このプランがリークされたのは、その危険性を懸念する人が支配層にもいたからだと推測されているが、同じ頃、ウォーターゲート事件で名を売ったジャーナリストのカール・バーンスタインはアメリカ政府とローマ教皇庁が実行したソ連圏に対する秘密工作について書いている。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)

 この記事によると、1982年6月7日にロナルド・レーガン米大統領とローマ教皇のヨハネ・パウロ2世はバチカンで50分間にわたって会談、ソ連圏の解体を早めるための秘密工作を実行することで合意した。

 その会談の3週間ほど前、レーガン大統領はNSDD 32を出し、ソ連を「無力化」するために経済的、外交的、そして秘密工作を使うことを承認している。1983年にはNSDD 77を出し、民主化を口実にしてアメリカの巨大資本にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させようという「プロジェクト・デモクラシー」を始動させた。この手法は今も続いている。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)

 秘密工作の手先として活動していたのが1980年9月に創設された反体制労組の「連帯」で、NEDなどを経由してCIAの資金が流れ込んでいたほか、ローマ教皇庁や西側の労働組合が持つ銀行口座も利用されていた。

 その後、イタリアの大手金融機関、アンブロシアーノ銀行やバチカン銀行(IOR/宗教活動協会)から連帯へ不正な形で送金されていたことが発覚(David A. Yallop, “In God`s Name”, Poetic Products, 1984/日本語版では送金が違法だったとする部分は削除されている)、当時のポーランドでは入手が困難だったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたと言われている。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年)こうした不正融資も原因になってアンブロシアーノ銀行は倒産、ロベルト・カルビ頭取は1980年5月に逮捕され、保釈後の翌年6月にロンドンで変死体になって発見された。

 バチカン銀行の工作で中心的な役割を果たしたのはシカゴ出身のポール・マルチンクス頭取。マルチンクスはローマ教皇パウロ6世(ジョバンニ・バティスタ・モンティニ)の側近で、このパウロ6世はモンティニ時代からCIAと緊密な関係にあった。CIAでパウロ6世/モンティニと最も強く結びついていた人物は防諜部門を統括、後に私信の開封工作が発覚して辞任することになるジェームズ・アングルトンだ。この人物もアレン・ダレスの側近として知られている。

 このパウロ6世は1978年8月に死亡、アルビーノ・ルチャーニが新教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ1世を名乗った。若い頃から社会的な弱者に目を向けていた人物で、CIAとの関係はなかったと見られているが、その新教皇は1978年9月に急死、そして登場してくるのがポーランド出身のカロル・ユゼフ・ボイティワ。1978年10月に次の教皇となり、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれるようになり、ポーランド工作に深く関与する。

 このヨハネ・パウロ2世は1981年5月に銃撃されているが、引き金を引いたモハメト・アリ・アジャはトルコの右翼団体「灰色の狼」に所属していた人物。この団体はトルコにおける「NATOの秘密部隊」の一部という。この事件では3名のブルガリアが起訴されたが、1986年3月に無罪の判決が言い渡されている。

 バチカンを舞台にしたポーランド工作にはポーランド出身のズビグネフ・ブレジンスキーが重要な役割を果たしたとされているが、この人物はソ連軍をアフガニスタンへ誘い込んで「ベトナム戦争」を味わわせるという計画を立てている。1979年4月にCIAはサウジアラビア、パキスタン、イスラエルなどと共同で秘密工作を開始、ジミー・カーター大統領は7月に計画を承認している。事後承諾だ。その年の9月にハフィズラ・アミンがモハメド・タラキ首相を暗殺して実権を握り、12月にはソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してくる。

 第2次世界大戦の前からバチカンの内部にはバルト海からエーゲ海までを統一してカトリックの国を作ろうという動きがあった。いわゆる「インターマリウム」だ。イギリスやフランスの情報機関から支援され、メンバーは東ヨーロッパのカトリック信徒だった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 そうした計画(妄想)の背後には、ブリュッセルを拠点としたPEU(汎ヨーロッパ連合)が存在する。この組織はオットー・フォン・ハプスブルク大公らによって1922年に創設され、メンバーにはウィンストン・チャーチルも含まれていた。

 第2次世界大戦後、1948年にアレン・ダレスなどアメリカのエリートはウィンストン・チャーチルの協力を受け、ヨーロッパ統一を目指してACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)」を設立、その下にビルダーバーグ・グループも作られた。EUはその延長線上にある。

 ネオコンはワレサと同じ見通しでロシアを征服するプロジェクトを始めたが、そうした判断を間違いだとロシアは警告してきた。やんわりと戦闘能力の高さを見せつけているのだが、それを理解していないのではないかと懸念する人は少なくない。軍事的な圧力を強め、核戦争になると思えば屈服するという「信仰」に執着している可能性はある。次期米大統領がワレサ程度の思考能力しかなかったなら、世界はかなり危険な状況になる。





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最終更新日  2016.07.08 14:46:32
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