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《櫻井ジャーナル》

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2016.07.27
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 沖縄の東村高江周辺におけるヘリパッド建設工事を沖縄防衛局は数百名の機動隊を投入して再開、反対派の中からけが人も出ているようだ。

新ガイドライン

 そうした中、7月26日にハリー・B・ハリス米太平洋軍司令官が安倍晋三首相と官邸で会談、「新ガイドラインの着実な実施等を通じて日米同盟を一層強化し、地域の平和と安定の確保に取り組んでいくことにつき一致」、「在日米軍再編につき、安倍総理大臣から、普天間飛行場の辺野古移設が唯一の解決策との日本政府の立場は不変である旨を述べ」、「ハリス司令官から、普天間飛行場の移設問題を含め、在沖縄米軍の活動に対する日本政府からの支援につき感謝する旨述べ」たという。

 「新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」は1997年にまとめられ、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾のアメリカ軍使用などを日本は担うことになっている。

 「旧ガイドライン」は1978年11月に作成されたもので、「1955年からおよそ20年間にわたって、歴代首相にも秘密裏に自衛隊と在日米軍の間で毎年つくりあげられていた『共同統合作戦計画』が、当時のソ連の脅威を背景に、米国側の圧力によって『オーソライズ』されたもの」だった。(豊下楢彦著『集団自衛権とは何か』岩波書店、2007年)

 この年、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部を日本側が負担するという名目で62億円が「在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)」として計上され、1990年代から急増した。

 つまり、その金額は歳出ベースで、1980年度が374億円、85年度は807億円、90年度は1680億円というように増え、95年度には2714億円、そして97度には2738億円に達している。その間、湾岸戦争の際には130億ドルを戦争資金としてアメリカに提供した。言うまでもなく、1991年12月にソ連は消滅、「ソ連の脅威」もなくなったはずだが、「思いやり予算」は増えているわけだ。1999年度は2756億円、2000年度は2755億円だったが、2010年度は1881億円に減少する。

 そうした減少を穴埋めするように登場したのがSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の関係経費や米軍再編関係費だ。防衛白書によると、SACO関係経費は1996年度から計上されていたが、97年度は61億円。それが2000年度に140億円となり、05年には263億円、10年度は169億円、米軍再編経費は07年度が72億円、08年度が191億円、09年度が602億円、10年度が909億円。こうした項目を合計すると、2010年度は2959億円になり、2000年度の2895億円を上回ってしまう。

 しかし、米軍再編経費は「地元負担軽減分」のみの数字で、本来なら加えるべき「地元負担軽減関連施設整備等分」や「抑止力の維持等に資する措置」が抜けている。例えば、2010年度は前者が78億円、後者が333億円。これらを加えると1320億円になる。2010年度の場合、基地周辺対策費や賃借料などで1737億円、防衛省以外の省庁が基地交付金などで384億円、土地の賃料で1656億円という負担があり、在日米軍の駐留経費を合計すると7147億円に達する。

ソ連消滅で暴走を始めた米国

 漠然とした「思いやり予算」から沖縄を意識、項目が具体的になったのが1997年の頃だが、その背景にはアメリカにおける戦略の変更がある。冷戦の終結で世界は平和になるという脳天気なことを言う人がいたが、アメリカの支配層は平和を憎悪している。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトや「平和の戦略」を訴えたジョン・F・ケネディはそうした支配層と対立していた。

 核兵器を手にしてからアメリカの支配層は世界制覇の野望を膨らませ、1949年にアメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とす計画を立て、1952年には水爆実験に成功している。

 この段階における核兵器の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めていたカーティス・ルメイ中将は大戦の終盤、日本の大都市に大量の焼夷弾を投下して庶民を焼き殺す「無差別爆撃」を推進した人物として知られている。1945年3月10日に行われた東京の下町に対する空爆では約300機のB-29爆撃機が投入され、10万人以上の住民が殺されたと言われている。

 SACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下し、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。またSACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標に対する攻撃では水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。攻撃目標にはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれている。

 ソ連に対する先制核攻撃の準備が始まったのは1957年だと言われている。この年の初頭には「ドロップショット作戦」が作成された。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたともいう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 アメリカがソ連を先制核攻撃した場合、反撃をどのように押さえ込むかが問題。そこでアメリカがICBM(大陸間弾道ミサイル)で圧倒している段階で攻撃しようということになる。1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかった。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やルメイ空軍副参謀総長を含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だった。それより遅くなるとソ連もICBMを配備すると見ていたのだ。核攻撃の障害になっていたケネディ大統領は1963年11月22日、テキサス州ダラスで排除されたが、CIAの情報操作をFBIはリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、開戦には至らなかったと言われている。

 中国を核攻撃する場合、沖縄が出撃拠点になる可能性が高い。その沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物が後の統合参謀本部議長、レムニッツァーだ。この人物は第2次世界大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行していた。

 世界制覇の野望にとって最大の障害だったソ連が1991年12月に消滅したわけで、その野望が眠りから目覚めるのは必然だった。そして1992年の初めに国防総省内で作成されたのがDPG。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようというものだ。

戦争機械に組み込まれた日本

 1995年2月に公表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」では、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能は強化され、使用制限は緩和/撤廃されることになった。

 この報告が作成される切っ掛けを作ったのは国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンで、ふたりは友人のカート・キャンベル国防次官補を説得し、ナイとエズラ・ボーゲルに彼らの考えを売り込んだという。

 ナイ・レポートが公表された2年後に「新ガイドライン」は作成され、「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃する。アメリカで大統領選があった2000年にはネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにして「米国防の再構築」という報告書を発表、2001年に登場するジョージ・W・ブッシュ政権はこれに基づく政策を推進していく。

 2000年にはナイとリチャード・アーミテージのグループによって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」も作成されている。この報告では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。集団的自衛権はアメリカ側の要求、あるいは命令だということだ。

 こうした動きを加速させる出来事が2001年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。これを利用してアメリカの好戦派は国内で憲法の機能を停止させ、国外では軍事侵略を本格化させた。

 日本では2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、アメリカがイラクを先制攻撃した03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明した。改憲の要求、あるいは命令だ。

 2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。2012年にもアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。

戦争を始めた米国の好戦派

 その間、2006年に興味深い論文が発表された。外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスのもので、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとしている。1963年後半にアメリカの一部支配層はソ連を先制核攻撃しようとしたが、その精神状態と似ていると言えるだろう。

 この時期、日本の有権者はナイやアーミテージに操られている日本の「エリート」に対する怒りを膨らませていた。そして始まったのが東京地検特捜部とマスコミがタッグを組んだ小沢一郎と鳩山由紀夫に対する攻撃だ。この攻撃は首相になった鳩山由紀夫が2010年6月に辞任するまで続く。

 その間、アメリカは中東を制圧する秘密工作を始めている。シーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、その時点でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたというのだ。この構図は今も続いている。

 2008年8月にはジョージア(グルジア)の大統領だったミヘイル・サーカシビリは自国軍に南オセチアを奇襲攻撃させたが、ロシア軍の反撃で惨敗した。ジョージアの背後にはアメリカとイスラエルが存在、軍事物資を提供し、将兵を訓練していたことがわかっている。イスラエルが作戦を立てたという情報もある。

 その後もアメリカの支配層はアル・カイダ系の武装集団やネオ・ナチを使って「レジーム・チェンジ」を目論む。こうした侵略行為をロシアだけでなく、そしてアメリカ軍の情報機関なども危険だと警告していたが、それを承知の上でのことだ。日本でカルト色濃厚の安倍晋三たちを使うのは必然なのだろう。

 しかし、そうしたアメリカ支配層の好戦派は足下がぐらつき始めている。核戦争の脅しでロシアや中国を屈服させるという「凶人理論」や「狂犬戦法」に固執していることに危機感を持つ人が増えてきているようだ。この戦術がロシアや中国に通用しないことから離反する「友好国」も現れている。恐らく、最後の望みはヒラリー・クリントンなのだろうが、彼女に対する風当たりも強い。

 第2次世界大戦の前、日本の支配層はJPモルガンをはじめとするアメリカの巨大資本に支配されていた。これは本ブログで何度も指摘してきたことだ。その日米関係が1932年の米大統領選挙で破綻した。JPモルガンの手先だったハーバート・フーバー大統領が再選に失敗、ウォール街と対立していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのである。

 1933年から34年にかけてニューディール派を排除してファシズム政権を樹立させようというクーデター計画もスメドリー・バトラー少将の議会証言やカウンター・クーデター宣言などで失敗する。JPモルガンはジョセフ・グルーを駐日大使として送り込んだが、日本は迷走を始め、真珠湾攻撃でアメリカと戦争を始めた。グルーはその後も日本に滞在、1942年に離日する直前、岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)このときと同じ間違いを岸の孫は犯している。





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最終更新日  2016.07.27 20:18:29



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