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《櫻井ジャーナル》

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2016.09.12
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 1990年代、ボリス・エリツィンが大統領だった時代のロシアで政権の中枢と手を組んで国民の富を略奪、巨万の富を築いて「オリガルヒ」と呼ばれるようになった一団が存在する。その象徴的な人物だったボリス・ベレゾフスキー(亡命後に「プラトン・エレーニン」へ改名)は2013年3月23日にイギリスで死亡する。ロシアへ戻る動きを見せた直後のことだった。ベレゾフスキーの背景にはチェチェンの戦闘集団や犯罪組織が存在した。

 そのベレゾフスキーに焦点を当て、エリツィン政権の腐敗を明らかにしたアメリカのジャーナリスト、ポール・クレイブニコフは2004年7月にモスクワで射殺されている。「全ての悪事はウラジミル・プーチンの為せる業」だと唱える人もいるが、暗殺の背後にベレゾフスキーがいたのではないかと疑う人も少なくない。(Paul Klebnikov, "Godfather of the Kremlin", Harcourt, 2000)

 ベレゾフスキーの下で働いていたアレクサンドル・リトビネンコは2006年11月に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたとされているが、このリトビネンコもロシアへ帰国する動きを見せた直後の死だった。ポロニウム210は放射性物質であり、明白な痕跡を残す。何十年も前から痕跡を残さないで人を殺せる薬物は開発されていると言われているので、ポロニウム210を使ったというのは不自然。殺害には別の毒物が使われ、ポロニウム210は追跡させるために利用されたのではないかというのだ。

 その死について、兄弟のマキシム・リトビネンコはアメリカ、イスラエル、イギリスの情報機関に殺された可能性があると主張している。死の数週間前、ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会うためにイスラエルを訪れていていたことも知られている。

 リトビネンコの体調が悪くなった日、ロンドンの「寿司バー」で彼と会っていたというのがイタリア人のマリオ・スカラメッラ。事件後、イタリアで逮捕されているが、この人物はイタリアのカンパニア州を拠点としていて、ECCP(環境犯罪防止プログラム)という組織を運営、その一方でナポリの犯罪組織、カモッラともつながっていた。

 それだけでなく、スカラメッラはイタリアの情報機関とも緊密な関係にある。2002年5月にはローマの近くで開かれた秘密会議に出席しているのだが、同席者の中には情報大臣だったフランコ・フラティニ、SISDE(治安機関)のマリオ・モッリ長官、SISMI(対外情報機関)のニッコロ・ポッラーリ長官、ルイジ・ラムポーニ元SISMI長官も含まれていた。

 ポッラーリ長官はその後、CIAによる拉致事件に絡んで解任されるのだが、この拉致にはスカラメッラも協力していたと言われている。スカラメッラとつながっていたロバート・セルドン・レディはCIAのミラノ支局長だと噂されている人物だ。

 ところで、9月7日付けのサン紙はイギリスの情報機関が殺害したとする主張を紹介、その理由として挙げられているのはエジンバラ公(フィリップ・マウントバッテン)の「ポルノ写真」。1950年代に彼の友人が「木曜クラブ」で撮影したもので、イギリスの当局へ提出ずみだったという。ベレゾフスキーは自身の悪事が明らかにされることを防ぎたかったというのだが、王室サイドはそうした話が漏れることを恐れ、情報機関が動いたという説である。真偽は不明だが、説得力に欠ける印象は否めない。

 ベレゾフスキーはエリツィンと親しかったが、西側では「メディア王」とも呼ばれるルパート・マードック、1980年代に「ジャンク・ボンド」を売りまくってウォール街の敵対的買収を下支えしたマイケル・ミルケン、ジョージ・W・ブッシュの弟でS&L(アメリカの住宅金融)スキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュ、ジェイコブ・ロスチャイルド卿、その息子のナサニエル(ナット)・ロスチャイルドらと親しくしていた。

 エリツィン時代からロシアで西側勢力とつながり、富の略奪を続けているグループの中心人物はエリツィンの娘であるタチアナ。飲んだくれで心臓病を抱える父親に代わり、クレムリン内外の腐敗勢力と手を組んでロシアを食い物にしていた。1996年に父親のボリスはタチアナを個人的な顧問に据えている。彼女は2000年、ウラジミル・プーチンから解雇された。

 ウラル・エネルギーのCEOだったアレクセイ・ドゥヤチェンコと離婚したタチアナは2001年、エリツィンの側近で広報担当だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。その娘であるポリナ・ユマシェバと結婚したオレグ・デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨するイスラエル系オリガルヒで、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。

 タチアナの利権仲間に属すひとり、アナトリー・チュバイスは1992年11月にエリツィンが経済政策の中心に据えた人物で、HIID(国際開発ハーバード研究所)なる研究所と連携していた。ここはCIAとの関係が深いUSAIDから資金を得ていた。言うまでもなく、USAIDはCIAが資金を流す際に使う機関だ。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015)

 エリツィン時代の経済政策はジェフリー・サックスを含むシカゴ派の顧問団が作成、今でも影響力を保持している。基本的に新自由主義に基づく政策を推進、西側巨大資本がロシアを揺さぶるための手先でもある。中央銀行総裁エリヴィラ・ナビウリナ、経済開発大臣アレクセイ・ウリュカエフや、新旧財務大臣のアントン・シルアノフとアレクセイ・クドリンもその仲間だ。こうした勢力を排除できないところにプーチンの弱点があると言われている。

 ベレゾフスキーがプーチンとの和解に成功してロシアへ帰国した場合、今でもロシア経済に大きな影響力を持つ親西側資本勢力のネットワークが明らかになる可能性があった。すでにロスチャイルドを中心とするネットワークと強く結びついていることは判明しているが、ロシア国内のつながりが露見した場合、ロシア制圧は今よりさらに難しくなる。ベレゾフスキーが死んだことにより、西側支配層にとって最悪の事態にはならなかったと考えることができるだろう。





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最終更新日  2016.09.12 15:27:39



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