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《櫻井ジャーナル》

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2016.09.30
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 東京都中央卸売市場を築地から移転させる先の豊洲が化学物質で汚染されていることは最初から明らかだった。ベンゼンの場合、2008年当時、環境基準の最大4万3000倍に達している。その豊洲市場で東京都が行った地下水の調査で環境基準を超えるベンゼンとヒ素が検出されたという。

 環境基準が安全基準でないことは、東電福島第一原発が事故で破壊された後にも指摘されていたこと。豊洲の場合、マスコミに言わせると「わずかに」超えたというが、超えなければ良いという問題ではない。原発事故の影響は予想以上に速いペースで顕在化しているが、それでも影響はないと言い張っているのが「エリート」や「権威」だ。遺伝子組み換え作物の問題でも同様。

 化学物質の人体に対する影響の問題では「内分泌攪乱物質」、いわゆる環境ホルモンが有名。1996年に出された『奪われし未来』で知られるようになった現象だが、化学業界では遅くとも1970年代の半ばには噂されていた。その当時、測定限度ぎりぎり、おそらく測定不能なほど微量でも生殖機能にダメージを与える化学物質が次々に見つかっているという話を聞いた記憶がある。その話をしていた人物は、外でこのことを口にすると就職できなくなると付け加えていた。もし、企業から公的な研究機関に出向している研究者が所属している企業、あるいは業界にとって不都合な事実を発見した場合、それを発表することも難しいだろう。

 今では有機水銀中毒だと知られている水俣病の場合、さまざまな「権威」が企業やその後ろに控えている集団にとって都合の良い仮説を宣伝していた。胎児性水俣病、つまり胎盤を通った有機水銀が胎児を病気にしていることも判明しているが、「専門家」は毒物が胎盤を通るはずがないと思い込み、事実から目を背けていた。既成の概念や知識から逸脱したり、支配層の利益に反することを口にしたなら「権威」になることはできない。

 水俣病の場合、1956年5月にチッソ付属病院の細川一が水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患の発生」について報告、59年10月に動物実験で水俣病の原因は工場廃液だと確信するが、会社側の意向で発表はしていない。細川がこの実験について証言したのは死が間近に迫った1970年だった。その一方、1959年7月に熊本大学の水俣病研究班は、病気の原因物質は水銀化合物、特に有機水銀であろうと正式発表している。この熊本大学の説に反論するためにも細川の実験結果は隠蔽し、嘘を主張したわけだ。

 おそらく、細川や熊本大学より早く有機水銀が環境中に放出されている可能性が高いことを知っていたのはチッソのエンジニアである。触媒として使われていた水銀が減少していることは化学反応を見ていれば明らかで、どのように物質が変化しているかを計算していたなら、おおよその見当はついていたはずだ。

 実際、チッソの技術部門に所属していた塩出忠次は、合成中に有機水銀化合物ができることを会社側へ1950年に報告していたという。この人物はエンジニアとして当然のことを行い、その結果を報告していたのだが、それを会社の幹部は握りつぶしたということになる。会社の利益も問題だっただろうが、日本の産業界全体の問題でもあった。

 有機水銀が水俣病の原因だということになると、日本の化学業界は困った状況に陥る。水銀を使った場合と同程度のコストで生産する技術を持っていたのはアメリカの企業で、特許料を支払うと日本の化学業界はアメリカと競うことができないからだ。日本政府が水俣病の原因をチッソの工場から出された有機水銀だと認めた1968年頃、そのアメリカの技術に対抗できる方法を日本企業も獲得したようだ。

 こうした人びとより早く病気に気づいていたのは漁師だと言われている。1942年に水俣市月の浦という漁村で最初の患者が出て、53年から被害が大きくなったようだが、そうしたことを漁師は身を以て知っていたということ。「専門家」や「権威」は事態が深刻化しないと認識できない。身近な場所で「何かおかしい」ことが起こっていると「素人」が感じた段階で、何らかの対策を取る必要があるのだ。これは豊洲の問題でも言える。同じことが繰り返されるのは、これまで責任をとらずにすんできたからだろう。高を括っている。






最終更新日  2016.10.01 13:39:18


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