《櫻井ジャーナル》

2016/10/17(月)13:11

誰に攻撃されたか不明だとしながらサウジアラビアと戦っている相手を巡航ミサイルで攻撃した米軍

 アメリカのミサイル駆逐艦ニッツェはフーシ派が紅海に面した場所に設置していた3カ所のレーダー施設を巡航ミサイルで破壊した。別の駆逐艦メーソンの近くにミサイルが撃ち込まれたことに対する報復だとされているが、アメリカ軍のスポークスパーソンのピーター・クックは誰がミサイルを発射したのかは不明だと13日に発言している。誰が撃ってきたのか不明だが、サウジアラビアと戦っているフーシ派をとりあえず攻撃したというわけだ。なお、フーシ派はアメリカの艦船に対する攻撃を否定している。  アメリカ側はイエメンでの戦闘に介入したのではなく、防衛的な攻撃だったとしているようだが、苦境のサウジアラビアを助けるための攻撃だった疑いは濃厚。ベトナム戦争へ本格的に介入する切っ掛けになったトンキン湾事件を思い出した人もいる。10月8日にサウジアラビアが主導する軍隊がイエメンで葬儀を爆撃して140名以上を殺害、500名以上を負傷させ、問題になっていたことも関係しているだろう。  トンキン湾事件とは、1964年8月2日にアメリカの駆逐艦マドックスがトンキン湾で北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたというもの。リンドン・ジョンソン大統領は宣伝、65年2月には「報復」と称して本格的な北爆を始めた。  しかし、この事件はアメリカ側が仕掛けたものだった。1964年1月にジョンソン大統領はOPLAN34Aと名づけられた計画を承認、その一環として64年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃した。それに対し、北ベトナムは高速艇を派遣したが、すでに攻撃した哨戒艇は姿を消していた。残っていたのは情報収集活動中のマドックスだ。  翌31日にはアメリカ海軍の特殊部隊員が約20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くにあったレーダー施設を襲撃、この襲撃に対する報復として北ベトナムは8月2日にマドックスを攻撃したと言われている。マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船はアメリカ軍機などの攻撃で撃沈された。  この戦闘をアメリカでは北ベトナムが「先制攻撃」したということにされ、8月7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決したわけだ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)  サウジアラビアが戦闘機を100機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣して攻撃を始めたのは昨年の3月。アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加したようだ。その際、フーシ派を指揮していた3名の幹部を殺害したという。  サウジアラビアは2009年、フーシ派を倒すために特殊部隊や空軍をイエメンへ派遣、その年に同国ではAQAP(アラビア半島のアル・カイダ)が組織されているのだが、それでもフーシ派は勢力を拡大、サウジアラビアは大々的な空爆をする必要に迫られたようだ。アル・カイダ系武装勢力とサウジアラビアの雇用関係は本ブログで何度も書いてきた。この武装勢力はアブド・マンスール・ハーディー派と連携している。  フーシ派の攻勢がアメリカやサウジアラビアを慌てさせる事態になった一因はCIAのイエメンにおける活動内容が漏れたことにあるとも言われている。イエメンの情報機関とCIAは緊密な関係にあるが、治安機関のオフィスが制圧された際に機密文書の一部がフーシ派へ渡ったというのである。

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