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《櫻井ジャーナル》

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2016.12.25
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2005年から15年にかけてアメリカで生み出された仕事の94%は「代替労働」、その実態はパートタイムだった。定性的には以前から指摘されてたことだが、それをハーバード大学とプリンストン大学の経済学者、つまりローレンス・カッツとアラン・クルーガーが論文の中で認めた。就労を諦めている人が増えていることもあり、アメリカではフルタイムの労働者は減少し続けている。ジョージ・W・ブッシュ政権とバラク・オバマ政権が進めてきた経済政策の必然的な結果だ。日本やアメリカの有力メディアが宣伝する「景気回復」の実態はこうした代物。

 アメリカでは庶民から富を奪い、1%どころか0.01%の富豪へ富を集中させてきたのだが、それだけでなく生産活動を放棄、基軸通貨として認められてきたドルを発行する特権だけで生きている国になってしまった。製造業は労働コストの低い国、つまり低賃金というだけでなく、労働環境が劣悪で環境基準も甘い国々へ移動している。

 そうした低賃金、劣悪な労働環境、甘い環境基準を守ことは巨大資本のカネ儲けにとって重要で、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の目的に含まれる。

 庶民の生活を支える社会保障の仕組みを破壊するのも必然で、公的な健康保険や年金は消滅し、高等教育を受ける権利も庶民は奪われる。支配層を監視する仕組みも壊されるだろう。そうした「レジーム・チェンジ」のキーワードがISDS(投資家対国家紛争解決)条項だ。

 1991年12月にソ連が消滅した後、ボリス・エリツィンが大統領を務めていた時代のロシアはアメリカを拠点とする巨大資本の属国で、新自由主義に基づく政策で運営されていた。TPPやTTIPが目指す方向をロシア支配層も向いていたのだ。中国も新自由主義に浸食されていた。

 ソ連消滅後、新自由主義の信奉者たちはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、雑魚の処分に取りかかる。それが1992年2月に国防総省で作成されたDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)につながる。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潜在的なライバルと位置づけ、そうした国々は真のライバルに成長することを阻止しようというわけだ。そのためにも、膨大な資源を抱える西南アジアを支配する必要性が出てくる。

 ところが、21世紀に入ってロシアではウラジミル・プーチンを中心とするグループがロシアを再独立させ、ネオコンの前に立ちはだかった。ネオコンたちはウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいてウクライナ、中東、北アフリカを戦乱で破壊、東アジアで軍事的な緊張を高めてきた。本ブログで繰り返し書いてきたが、日本の軍事化推進もウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいている可能性が高い。

 ここにきて特に軍事的な緊張が高まっている南シナ海は中国の交易戦略「一帯一路」のうち海のシルクロードの東端。そこをアメリカが制圧し、中国の輸出入品運搬、特にエネルギー源の輸送を断ち切ろうとしている。

 そうしたアメリカの動きに対抗する意味もあり、中国はミャンマーの北部に石油/天然ガスのパイプラインを建設、銅山開発も進め、北部カチン州のイラワジ川上流では「ミッソン・ダム」を建設していた。そうした動きに対抗するようにアメリカはミャンマー政府と話をつけ、アウン・サン・スー・チーを支配者に据えた。

 そのスー・チーの支持母体である仏教徒はミャンマーの西部ヤカイン州に住んでいるイスラム教徒のロヒンギャを襲撃し、多くの人を虐殺してきた。襲撃グループのリーダーは「ビルマのビン・ラディン」とも呼ばれているアシン・ウィラトゥで、そのウィラトゥに率いられていたグループは「民主化運動」の活動家というタグが付けられている。

 ミャンマーはアメリカ支配層にコントロールされていると言えるが、ここにきてフィリピンが自立の動きを見せ、ベトナムもその後を追って中国との関係を改善しようとしている。中国に軍事的な圧力を加える手駒が手薄になってきたとも言えるだろう。日本だけでは足りない。

 そうした中、イギリスが登場してきた。イギリスの駐米大使、キム・ダロクはワシントンDCの某シンクタンクでイギリス軍を南シナ海で中国を威嚇する行動に参加することを明らかにしたのだ。10月から自衛隊との演習に参加する目的で派遣されている4機の戦闘機タイフーンを南シナ海で飛行させ、2020年に就役する2隻の空母を太平洋へ派遣すると語ったのだ。

 1904年にイギリスではハルフォード・マッキンダーがロシア(ハートランド)を周囲から締め上げる戦略を発表している。いわゆる「ハートランド理論」だ。広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを支配することが世界制覇につながると主張、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」、その外側に「外部三日月地帯」をマッキンダーは想定した。

 日本列島は内部三日月帯の東端に位置する。マッキンダーがこの理論を発表する前からこうした戦略をイギリス支配層は持っていたはず。日本では徳川体制を倒した薩摩藩と長州藩を中心とする勢力が新政府を樹立、中央集権化を進めるため、1871年7月に藩を廃して府県に改めた。いわゆる廃藩置県だが、その後1872年に琉球国を琉球藩にしている。もし、当初から新政府が琉球国を日本だと考えていたか、日本領にしようとしていたなら廃藩置県の前に琉球藩をでっち上げているはずだ。廃藩置県の後、何かが起こった。

 1871年10月に宮古島漁民の難破、台湾に漂着した漁民の一部が殺されたとされているのだが、それを口実にして日本政府は清に抗議、被害者に対する賠償や謝罪を要求、74年に軍隊を台湾へ送り込んだ。この派兵を正当化するためには宮古島、つまり琉球国が日本領だという形を作る必要があった。

 琉球藩が作られた1872年、厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが来日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めたという。それ以降、彼は1875年まで外務省の顧問を務めた。日本を離れたのは1890年。

 1875年に明治政府は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。

 1894年に朝鮮半島では甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、日本政府は軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。

 清の敗北でロシアへ接近することが予想され閔妃(高宗の王妃)をこの年、日本の三浦梧楼公使たちが暗殺している。暗殺に加わった三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になるが、この判決は暗殺に日本政府が関与している印象を世界に広めることになる。後に三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 明治維新で薩摩藩や長州藩の背後にはイギリスがいた。そのイギリスはすでにアヘン戦争(1840年から42年)で中国(清)を侵略しているが、イギリスが描いていた世界戦略を実現するためには兵員が不足していた。その穴埋めに目をつけられたのが日本。1902年に日本はイギリスと同盟協約を結び、04年にはロシアと戦争を始める。

 イギリスは日本の軍備増強に協力、ロシアとの戦争に必要な費用を融資したのはロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブだった。そのトップ、ジェイコブ・シフと親しくなるのが高橋是清だ。

 そして現在、イギリスはアメリカの戦力不足を補うために東アジアへ派兵しようとしている。その最終目的は巨大資本、富裕層が世界の富を独占することだ。






最終更新日  2016.12.25 02:48:36


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