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《櫻井ジャーナル》

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2017.01.15
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アメリカの大統領就任式は1月20日に予定されている。式の警備はワシントンDCの州兵が担当、その司令官はエロル・シュワルツ少将が務めることになっていたのだが、就任式の途中、シュワルツは司令官の任を解かれるという。異例のことだ。

 昨年の大統領選挙でヒラリー・クリントンを担ぎ、ジョン・マケイン上院議員のような血まみれの人びとが属している勢力は就任式で大規模な抗議活動を計画しているとも言われている。「パープル革命」でドナルド・トランプを葬り去ろうということだが、そうした事態が予想されているにもかかわらず、就任式の最中に司令官が辞めるというのは尋常でない。

 1991年12月にソ連が消滅して以来、アメリカの支配層は世界制覇を実現するため、少なからぬ国の体制を「カラー革命」で倒してきた。例えば、2003年にジョージア(グルジア)で行われた「バラ革命」や2004年から05年にかけてウクライナで行われた「オレンジ革命」。

 イギリスのガーディアン紙によると、ユーゴスラビアの体制崩壊とグルジアでの「バラ革命」で黒幕的な役割を果たしたのはリチャード・マイルズなる人物。ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した際にマイルズはベルグラードのアメリカ大使館で総責任者を務め、ジョージア駐在大使に就任したのは2003年だ。着任すると、西側支配層が手先として使っていたミヘイル・サーカシビリの陣営をコーチしている。

 選挙でサーカシビリは大統領に選ばれるが、彼はロビイストとしてネオコン/シオニストのランドール・シューネマンを雇っていた。この人物は後にジョン・マケインの顧問になり、NATOの拡大、つまりロシアに対する軍事的な圧力を強めることにも積極的だ。

 ウクライナはナチズムへの親近感を持つ人の多い西部とロシアに親近感を持つ東部や南部に分かれる。政治的な思惑から人工的に作られた国のため、統一感は薄い。2004年の大統領選挙では東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチが当選したのだが、西側支配層はビクトル・ユシチェンコを大統領を支援していた。

 そこで西側はメディアを使ってヤヌコビッチ陣営が選挙で不正を働いたとする主張を展開、デモや政府施設への包囲も行われてキエフは大混乱になった。これは西側が仕掛けたことで、結局、東部や南部の住民の意思は無視され、ヤヌコビッチが大統領になる。

 ヤヌコビッチ政権は新自由主義を推進、政府と癒着した一部の集団が国の富を盗んで富豪になり、オリガルヒと呼ばれるようになった。それに対する反発で新自由主義派の人気は急落、再びヤヌコビッチが2010年の選挙で大統領に選ばれる。

 そのヤヌコビッチ政権を西側はネオ・ナチを使って倒した。このクーデターは2013年11月に始まる。キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集まり、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。

 そのクーデターを指揮していたグループに属すひとりのビクトリア・ヌランド国務次官補は2013年12月13日、米国ウクライナ基金の大会で、アメリカ政府は1991年からウクライナへ50億ドルを投入してきたと話している。

 翌年の2月4日にはヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っている音声が何者かによってインターネット上にアップロードされた。会話の中でヌランドは話し合いで解決しようとするEUに不快感を露骨に示し、「EUなんかくそくらえ」と口にしている。

 リークされた音声によると、ヌランドはジェフリー・フェルトマン国連事務次長とも連絡を取り合っていたようだが、このフェルトマンの評判も良くない。1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビア解体に関与したと言われている。

 2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めたが、その間、2005年2月にラフィク・ハリリ元レバノン首相が殺害されている。この暗殺事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴された。

 この法廷は2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノン。

 2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務めたが、その間、2005年2月にラフィク・ハリリ元レバノン首相が殺害されている。この暗殺事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴された。

 この法廷は2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノン。

 この事件では当初、「シリア黒幕説」が流され、2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出している。イスラエルやアメリカの情報機関が殺害計画を知らなかったと想像しなかったようだ。

 アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、ドイツのシュピーゲル誌は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。

 しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサドだという。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。

 もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。

 メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。

 2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴された。ウクライナでクーデターを仕掛けた人脈とシリアの体制転覆を目論んでいる人脈は同じだと考えて良いだろう。

 ところで、ウクライナでは2014年2月18日頃からネオ・ナチは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始め、広場では狙撃も行われる。この狙撃は西側支配層が操るネオ・ナチだった可能性が高い。

 例えば、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告しているが、それによると、パエト外相は次のように語っている:

 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体(反政府側)の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして「新連合はもはや信用できない。」としている。この音声は3月5日にYouTubeへアップロードされた。

 パエトがウクライナ入りする3日前、ヤヌコビッチは暴力的に排除されている。憲法の規定を無視したクーデターだったことは間違いない。そのクーデターに反発、ウクライナからの離脱を住民投票で決めた「民意」を西側は非難し続けている。






最終更新日  2017.01.15 02:45:28


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