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《櫻井ジャーナル》

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2017.01.17
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ドナルド・トランプは大統領選でロシアとの関係修復やTPPの拒絶を訴えていた。ネオコン/シオニスト、戦争ビジネス、金融資本などに担がれ、ムスリム同胞団と緊密な関係にある人物を側近中の側近として抱え、有力メディアから圧倒的な支援を受けていたヒラリー・クリントンとは正反対の主張だった。

 クリントンの世界戦略は1992年2月に国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツが中心になり、国防総省で作成されたDPGの草案(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)に基づいている。アメリカの支配層は1991年12月にソ連を消滅させ、ロシアを属国化することに成功した。中国にはウォール街やシティのネットワークが張り巡らされ、ライバルは消滅したかのように見えたことから、彼らはアメリカを「唯一の超大国」だと位置づけ、そのアメリカに君臨している自分たちが世界の覇者になることは確定的だと考えたのだろう。アメリカという国ではなく、私的な権力が世界を支配するファシズム体制だ。

 残るは雑魚。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するだけだとネオコンは考え、ウォルフォウィッツ・ドクトリンは作成されたわけだ。

 つまり、ネオコンの戦略はロシアや中国がEUや日本と同じようにアメリカの属国だという前提で成り立っている。自立した国が残されていたとしても、脅せば屈するような弱小国ばかりのはずだった。

 その前提を崩したのがロシアのウラジミル・プーチンを中心とするグループだ。ロシアを再独立させることに成功、米英の巨大資本と結びつき、法律を無視して国の富を略奪していた腐敗勢力、いわゆるオリガルヒはそうした犯罪行為を理由にして逮捕されていく。逮捕を免れるため、ロンドンやイスラエルに逃れたオリガルヒも少なくない。

 前提が崩れたウォルフォウィッツ・ドクトリンは機能しない。シリアでは手先に使ってきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記する)はロシア軍の空爆で大きなダメージを受け、崩壊寸前だ。今でもアメリカやサウジアラビアなどから武器/兵器など物資の支援はあるようだが、トルコ政府がネオコンの戦略から離脱したこともあり、兵站線も細っている。

 ネオコンの戦略が機能しなくなった原因はプーチン露大統領にあるとも言える。西側の政府や有力メディアが彼を悪魔化して描き、激しく攻撃している理由はそこにある。プーチンを排除し、ロシアを再属国化しなければ世界制覇の野望は実現しない。

 生産手段を放棄したアメリカは基軸通貨を発行する権利だけで生きながらえている国になっている。カネを発行し、回収、あるいは吸収するという作業を続けているのだが、この流れが止まれば終わりだ。国が潰れるだけでなく、その背後にいる巨大資本が崩壊してしまう。いかなる手段を使ってもロシアや中国を「レジーム・チェンジ」し、属国にしなければならないのだ。だからこそ、ヒラリーはロシアや中国と核戦争も厭わない姿勢を見せていた。

 アメリカの歴史に登場する大統領の大多数は、こうした支配層のために尽くしてきた。0.01%にすぎない富豪の権力を強化するため、カネと情報がそこへ集中する仕組みを作ってきたのだ。そのためにアメリカの巨大金融資本は連邦準備制度を作って通貨の発行権を政府から盗み、「安全保障」を口実にして大多数の国民から情報を知る権利を奪った。

 ごく一部ではあるが、こうした仕組みを変えようとした大統領もいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディだ。ルーズベルト大統領の時代に作られたルールを変えるために支配層は数十年を要している。タカ派的な言動で大統領に当選したケネディはソ連に対する先制核攻撃のプランを潰し、巨大産業の横暴と戦い、パレスチナ人を弾圧するイスラエルを批判、1963年6月にはアメリカン大学の学位授与式でソ連との平和共存を訴えた。いわゆる「平和の戦略」演説だ。

 ルーズベルトの当選を決めた投票が行われたのは1932年11月8日。その3カ月後、大統領就任式が17日後に迫った1933年2月15日にフロリダ州マイアミの集会で銃撃事件に巻き込まれている。

 銃撃した人物はレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラ。弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡している。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。組織的な背景があるのかどうかも調べる必要があるはずだが、銃撃犯から何も聞き出せず、徹底した調査が行われないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。

 1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の大物たちがルーズベルトの排除を狙ったクーデターを計画していたと言われている。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかにされている。バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で語った。

 ケネディーの場合、アメリカン大学の演説から5カ月後の11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。公式見解はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行。オズワルドはソ連へ「亡命」していた人物だが、アメリカへ戻っていた。

 すんなりアメリカへ戻れたのも奇妙な話なのだが、そのオズワルドをFBIは1963年10月9日に監視リストから外している。11月2日にケネディ大統領はシカゴを訪問する予定だったが、これはキャンセルされた。シカゴで大統領を暗殺する計画があるとする警告を警備当局が受け取ったからだ。

 警告してきたのはふたり。ひとつはFBIの情報源だった「リー」。もうひとりはシカゴ警察のバークレー・モイランド警部補だった。FBIが入手した情報は、パレードの途中で4名のスナイパーが高性能ライフルで大統領を狙うという内容で、シークレット・サービスにも伝えられている。シークレット・サービスのシカゴ支部は容疑者を監視、11月1日に2名を逮捕したが、残りの2名には逃げられたという。

 ケネディ大統領に関して不穏当な話をする常連客がいることをカフェテリアの経営者から聞いたモイランド警部補はその人物がトーマス・ベイリーだと確認、シークレット・サービスに連絡している。ベイリーは元海兵隊員で、人種差別主義者の団体として知られているジョン・バーチ協会に所属していた。この人物はシカゴで「オズワルド」的な役割を演じさせられる予定だったのではないかと推測する人もいる。

 こうした出来事があったとなれば、ダラスにおける警備は通常より強化されていなければおかしい。が、そうしたことはなかったようだ。ちなみに、当時のダラス市長アール・キャベルの兄はケネディにCIA副長官の職を解かれたチャールズ・キャベル。CIA長官だったアレン・ダレスもケネディから解任されている。

 はたしてトランプはフランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディのように、命をかけて支配層と対決する度胸はあるだろうか?






最終更新日  2017.01.17 12:32:49

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