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《櫻井ジャーナル》

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2017.01.29
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テレサ・メイ英首相はアメリカを訪問、ドナルド・トランプ米大統領と会談した。その中でトランプはイギリスに対する永久的支援を約束、両首脳はNATOに対する責務を再確認したという。メイによると、トラップはNATOを100%支持しているという。この流れに乗って安倍晋三首相も「日米同盟」への支持を取り付けたいところだろう。何しろ、それが自分たちの地位とカネを保証する。

 NATOは1949年4月に創設された軍事同盟で、当初の加盟国はアメリカとカナダの北米2カ国、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国だった。その後、1952年にギリシャとトルコ、55年に西ドイツが加わり、現在は東へ拡大して26カ国になっている。

 ソ連軍の侵略に対抗することが目的だとされたが、その当時のソ連には西ヨーロッパに攻め込む能力はなかった。ドイツとの戦闘で2000万人以上のソ連国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だったのである。軍にも西ヨーロッパへ侵攻する余力は残されていなかった。

 第2次世界大戦でドイツと最も激しく戦ったのはソ連。両国軍が激闘を繰り広げている様子をアメリカやイギリスは傍観していた。ドイツ軍はスターリングラードまで攻め込んだものの、そこでソ連軍の反撃にあって壊滅、1943年1月にドイツ軍は降伏した。その4カ月後にアメリカとイギリスはワシントンDCで会議を開き、7月にアメリカ軍を中心とする部隊がシチリア島へ上陸した。その際、アメリカはマフィアの協力を受けている。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸(オーバーロード)作戦は1944年6月のことだ。

 この頃にはアレン・ダレスなどアメリカ側の一部はナチスの幹部と秘密裏に会い、善後策を協議している。そして1945年4月にフランクリン・ルーズベルト大統領が執務中に急死、5月にドイツは降伏する。

 その直後、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃するための作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は参謀本部に拒否されて実行されず、チャーチルは7月26日に退陣するすることになった。その10日前、7月16日にアメリカのニューメキシコ州ではプルトニウム原爆の爆発実験(トリニティ実験)が行われ、8月6日に広島、そして9日に長崎へ原爆が投下される。

 下野したチャーチルは翌年の3月にアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言、1947年にはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようトルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。

 米英支配層はソ連の殲滅だけでなく、ヨーロッパのコミュニズムを潰す準備も進めている。大戦の末期にゲリラ戦部隊のジェドバラを設置したのはコミュニストの影響を強く受けているレジスタンス対策だったが、そのジェドバラ人脈は戦争が終わってからも消えずに残り、ジョージタウン・セットと呼ばれている。その人脈で創設された秘密工作部隊がOPC。

 この秘密機関は1951年にCIAに入り込んで計画局になる。秘密工作が外部に漏れたこともあって1973年に名称を作戦局に変更、現在はNCS(国家秘密局)だ。この部署はヨーロッパで秘密部隊を編成、1948年頃にはCCWU(西側連合秘密委員会)が統括していた。

 1949年にNATOが創設されるとその内部へ入り込み、CPC(秘密計画委員会)の下で活動、その下部機関としてACC(連合軍秘密委員会)が1957年に作られた。NATO加盟国はこのACCを通じて情報を交換していると言われている。NATOへ加盟する国は秘密の反共議定書にも署名する必要があるという。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)スイスの研究者ダニエレ・ガンサーによると、「右翼過激派を守る」ことを秘密の議定書は義務づけているとNATOの元情報将校は語っている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)この「右翼過激派」はファシストとも言い換えられるだろう。

 NATOの秘密部隊はアメリカ支配層が作り上げた秘密工作ネットワークの一部ということになる。1947年6月に社会党系政権の内務大臣に就任したエドアル・ドプによると、政府を不安定化するために右翼の秘密部隊が創設されたとしている。

 しかも、その年の7月末か8月6日には米英両国の情報機関、つまりCIAとMI6が手を組んで「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行、シャルル・ド・ゴールを暗殺する予定になっていたという。ド・ゴールはフランスを自立した国にしようと考えていたため、米英支配層には嫌われていた。

 この計画は事前に発覚、フランス北部に彼の城で重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されている。シナリオでは、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って『テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出するという流れだった。イタリアの「緊張戦略」と基本的に同じで、フランスの情報機関SDECEが関与していたと疑われたが、調査を行ったのはそのSDECEの長官だった。

 この事件のほとぼりが冷めた頃、新たな秘密部隊「ローズ・ド・ベン(羅針図)」が創設され、この部隊が1961年に組織されたOAS(秘密軍事機構)につながるとも考えられている。このOASはOPC人脈と関係が深い。

 1961年4月にOASはスペインで秘密会議を開いてアルジェリアでのクーデター計画について話し合っている。その計画では、まずアルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧することになっていた。その中心にいた人物はモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍。

 クーデターが動き始めるとアメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。つまり、パリが攻撃された場合、アメリカ軍を投入するということ。CIAは驚愕したという。ケネディの決断もあり、クーデターは4日間で崩壊した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE長官を解任するが、この人物はOPCの局長でアレン・ダレスの側近だったフランク・ウィズナーと親しかったことで知られている。(前掲書)

 そして1962年8月、OASのジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐が率いるグループがパリでド・ゴールの暗殺を試み、失敗している。その暗殺未遂から4年後の1966年、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出され、ベルギーのモンス近郊へ移動している。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年。完全復帰は2009年になってからだ。

 ド・ゴール暗殺未遂の翌年、ケネディ大統領が暗殺された。両者の運命を変えたのは情報機関の状況にあったとも言われている。グロッシンSDECE長官を解任した後、フランスの情報機関は自国の大統領を守るために働いたが、アメリカは違ったということだ。ただ、ド・ゴールが退任した後、フランスの情報機関はCIAの指揮下に入ったとも言われている。

 NATOの秘密部隊として最も知られているのはイタリアのグラディオだろう。1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、「左翼」と呼ばれている人びとの信頼度を下げ、社会不安を利用して治安体制を強化、つまりファシズム化を推進したのである。いわゆる「緊張戦略」だ。グラディオの存在は1990年8月にジュリオ・アンドレオッチ内閣が公式に確認、10月には報告書を出してNATOの秘密部隊が存在することを明らかにした。

 NATOにはふたつの大きな目的がある。ソ連/ロシアを制圧し、ヨーロッパで米英巨大資本のカネ儲けに邪魔な人や団体(右とか左は関係ない)を殲滅することだ。それがアメリカ支配層にとっての「防衛」にほかならない。

 ちなみに、1991年にフランスのフランソワ・ミッテラン大統領とドイツのヘルムート・コール首相がWEU(西ヨーロッパ連合)の実現を訴え、外交と軍事政策を統合し、「ユーロ軍」を創設しようとしたが、これは潰された。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt, 2009)





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最終更新日  2017.01.29 12:46:49
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