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《櫻井ジャーナル》

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2017.10.26
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今年10月22日が投票日だった衆議院議員選挙で安倍晋三の率いる自民党が465議席のうち284議席(61%)を獲得した。自民党と与党を形成してきた公明党が29議席、自民党の別働隊とも言うべき希望の党が50議席、日本維新の会が11議席で、この4党の合計は374議席(80%)に達する。決して人気があるとは言えない安倍政権で、選挙前には苦戦も噂されているが、結果は違った。

この選挙で自民党が使ったキャッチフレーズは「この国を、守り抜く」。ミサイル発射や爆破実験を続ける「北朝鮮の脅威から、国民を守り抜きます」ということらしい。安倍政権はアメリカに従い、朝鮮半島の周辺や南シナ海などで軍事的な示威活動を続けているのだが、それには口をつぐんで「平和に向けた外交努力を続け、断固、国民を守り抜きます」と主張している。

本ブログでは繰り返し書いてきたが、1991年12月にソ連が消滅した直後の92年2月、アメリカ国防総省ではDPG草案という形で世界制覇計画を書き上げた。そのときの国防長官がリチャード・チェイニー、作成の中心は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツやその教え子であるI・ルイス・リビー国防次官補だ。そこで、この計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれ、その危険性から有力メディアへリークされている。





この当時、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを制圧しようと目論んだ。そのため単独行動主義を打ち出している。ソ連という邪魔な存在が消え、ロシアは傀儡のボリス・エリツィンが支配、軍事侵略を自由にできると考えたようだ。

ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツ次官は1991年、イラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたてから10日ほど後にクラークがペンタゴンを訪れると、かつての同僚からイラクを攻撃すると聞かされる。クラークも同僚の理由はわからなかったという。そして数週間後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺が攻撃予定国のリストを作成したという話を聞く。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。(3月10月





ウォルフォウィッツ・ドクトリンを受け、1992年にPKO法が公布/施行され、91年には細川護熙政権の諮問会議「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方」、いわゆる樋口レポートを発表するが、その内容にネオコンは怒る。国連を中心としたものだったからだ。1994年には武村正義官房長官が解任されたが、これはアメリカの命令だとされている。

日本の国連中心主義を問題にしたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに接触、「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と主張、1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。

1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立、2000年にはネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにした「米国防の再構築」が発表されているが、この年にはナイとリチャード・アーミテージのグループが「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成している。

9/11後の2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を、03年にはイラク特別措置法案を国会に提出した。2004年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明している。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄される。

2006年になると、アメリカ支配層の機関誌とも言えるフォーリン・アフェアーズ誌にキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」が掲載されているが、そこにはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張されていた。この段階でもネオコンなどアメリカの好戦派は全面核戦争で圧勝できると信じていたのだろう。そして2012年にはアーミテージとナイのコンビが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表した。

リーバーとプレスの論文が発表された2年後、2008年にジョージア(グルジア)のミヘイル・サーカシビリ政権は南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕されている。南オセチアでの戦闘でアメリカやイスラエルはロシア軍の強さを認識したはずだ。

流れを見ると、この年の7月10日にはアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問、そして8月7日にサーカシビリ大統領は分離独立派に対話を訴え、その8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008)2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。

この当時、ジョージア政府はイスラエル色が濃かった。例えば、流暢にヘブライ語を話せる閣僚がふたりいたのだ。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当していた再統一担当大臣のテムル・ヤコバシビリだ。

南オセチアで戦争が行われる前年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。工作の手先がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団になることも示されている。

アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めるため、朝鮮を利用してきた。中国に対する恫喝だと言える。当然、中国もそれは承知しているはずで、もしアメリカと韓国が朝鮮の体制を転覆させ、朝鮮半島の政治的な様相を変えようと攻撃したなら、中国はそれを阻止するとしている。

「この国を、守り抜く」と宣伝しているが、安倍政権は日本をアメリカの核戦争に巻き込みかねない好戦的な政策を推進してきた。その政策を後押ししてきたのがマスコミにほかならない。





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最終更新日  2017.10.27 13:04:29



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