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《櫻井ジャーナル》

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2017.11.27
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大阪市がサンフランシスコ市との姉妹関係を解消するのだという。サンフランシスコ市内に建てられた慰安婦像とその維持費の寄贈を受け入れる決議案にエドウィン・リー市長が署名、これに大阪市の吉村洋文市長が反発しているとも伝えられている。

いわゆる「慰安婦」を日本軍が使っていたことは否定できない。日本軍の管理下、彼女たちが強制された行為を考えれば、性奴隷と呼ばれても仕方がないだろう。兵士としてその様子も見てきた人から筆者自身、日本兵の無様な様子を聞いたことがある。その無様な様子を現地の人々は目撃していたのだ。「なかったこと」にしようとすれば、日本人の置かれた状況が悪くなるだけである。

こうした女性の数は5万から30万人と言わている。敗戦が決定的になった後、日本軍は自分たちに都合の悪い書類を大量に処分したこともあり、正確な数字はわかっていない。その多くは工場労働者や看護婦の採用だと思って応募したというが、中には暴力的に連れ去られたケースもあったようだ。いずれにしろ、誘拐であることに変わりはない。

日本軍がこうした仕組みを作り上げた理由は日本兵による現地女性に対するレイプ対策だったとも言われている。今でも沖縄ではアメリカ兵によるレイプ事件が問題になり、第2次世界大戦の終盤、中国へ侵攻してきたソ連軍も似たことを行ったようだ。つまり、程度の問題はあるが、戦争ではこうしたことが引き起こされる。

日本が特殊なのは、軍という組織がレイプを統制しようとしたことにある。そうしたことをすると組織の責任が問われるため、通常は行われない。慰安婦を生み出したのは日本の男性支配層が抱く女性観にあるとも言える。

昭和天皇の「終戦の詔勅」が放送された直後、東久邇稔彦内閣は占領軍向けの性的な慰安施設設置を命令した。「特殊慰安施設を可及的すみやかに整備せよ」という指令が内務省警保局長から全国の警察へ伝えられているのだ。そしてRAA(特殊慰安施設協会)が8月26日に設置され、本部事務所は銀座の歌舞伎座に置かれた。施設で働く女性の数は、東京都内だけで約1600人、全国で4000人に達したという。

施設で働く女性として当初は水商売を生業とする人々が想定されたようだが、何が行われようとしているかを理解できた「遊興業者」が警察の協力要請に難色を示したこともあり、簡単には集まらない。そこで新聞広告で一般女性を集めている。広告には「女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」、「特別女子従業員募集、衣食住及高給支給」、「キャバレー・カフェー・バーダンサーヲ求ム」といったことが書かれていた。応募した女性の少なくとも半数は身体を売る仕事だと知らずに応募したと言われている。夫が戦死するなど、家族を養うためにやむを得ずそうした仕事をした人もいたようだ。

大森海岸の料亭「小町園」が慰安所第1号に指定されたのは1945年8月27日。厚木基地へ到着した連合国軍先遣部隊の兵士がそこへ行く。その後、同じような施設が全国に設置されたが、1946年1月21日にGHQから「日本における公娼廃止に関する覚書」が出され、内務省は同年2月2日に内務省令第3号を公布、即日これを施行し、警保局公安発第9号「公娼制度廃止に関する件」の通達が発せられ、この仕組みは廃止へ向かう。同年3月10日にはGHQの命令によって全ての慰安所に進駐軍将兵が立ち入ることを禁じられ、RAAは1949年4月22日に閉鎖された。

日本の支配層は自国の女性に対してもこの程度のことは平気で行う。侵略先のアジア諸国では推して知るべしだ。

慰安婦の問題が浮上すると、商売として行っているのだから問題がないと言う人が出てくるが、そうした状況を作り出したことが最大の問題である。ビジネスだから問題ないと開き直るのは見苦しい。

第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用されて庶民の生活は悪化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になっている。支配層は裕福になり、庶民は貧困化、つまり貧富の差が拡大したわけだ。こうした経済政策を推進したのは浜口雄幸内閣。そうした政策に反発する人も少なくなかった。

その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣でJPモルガンと最も親しくしていた井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。5月には五・一五事件が引き起こされている。そして1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはあると言われている。(別に、行動を肯定しているわけではない。念のため。)

ちなみに、この間、1932年にアメリカで実施された大統領選挙でウォール街が担いでいたハーバート・フーバー大統領は再選されず、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選した。1933年から34年にかけてJPモルガンをはじめとする勢力がクーデターも目論むが、これは失敗している。(その辺の事情は本ブログで何度か書いているので、今回は割愛する。)日本の支配層が従属していたウォール街のホワイトハウスでの影響力が小さくなり、日本が迷走する一因になったと言えそうだ。戦前レジームに戻るということはウォール街に従属することを意味する。






最終更新日  2017.11.27 16:58:56

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