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ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を倒すためにアメリカの支配層が舞台に上げた人形がフアン・グアイド。このグアイドが2月下旬に不法出国、22日にコロンビアへ入り、マイク・ペンス米副大統領と会談してからラテン・アメリカ諸国を歴訪、3月4日にベネズエラへ戻った。 ベネズエラの法律が適用されるとグアイドは懲役30年を言い渡される可能性もあるらしいが、実際はマドゥロ政権に無視され、無事入国できた。入国を拒否される、逮捕されるといった話が飛び交っていたが、そういう展開をアメリカの支配層は望んでいたのだろう。 本ブログでも書いたことだが、グアイドは事前に何かが23日に起こると予告、その日にイギリスの富豪が主催するコンサートが開かれ、同じ日に「人道的援助物資」を積んだUSAID、つまりCIAのトラックがコロンビア領内に出現し、現在は使われていない橋を渡ってベネズエラ領へ侵入しようと試みた。 その際にグアイド派の一団は石と火炎瓶を投げ始め、その直後にトラックが火に包まれた。その原因はベネズエラ側にあるとグアイド派のメディアは主張、西側の有力メディアは同調するのだが、火炎瓶がトラックへ投げ込まれ、ガソリンがまかれる様子を撮影した映像がインターネット上で流れている。 コンサートに20万人以上が集まったとワシントン・ポスト紙は伝えていたが、その様子を撮影した写真から実際は1万5000人くらいと推測されている。 これも前にも書いたことだが、西側の有力メディアなどはベネズエラで物資が欠乏し、国民は食事もままならないと伝えているが、現地を取材したジャーナリスト、マックス・ブルメンソールはそうした事実を否定する映像をインターネットで伝えている。 また、ピンク・フロイドのメンバーだったロジャー・ウォルタースはカラカスにいる彼の友人から伝えられた現地の様子を書いているが、それによると現地では内戦も混乱も殺人も独裁も反対派の大量拘束も言論封殺もないという。 1月28日にジョン・ボルトン国家安全保障補佐官は記者会見の場へ「5000名の部隊をコロンビアへ」と書き込んだノートを持ち込んで話題になったが、ロシア安全保障会議のニコライ・パトルシェフによると、アメリカの特殊部隊がプエルト・リコやコロンビアへ入ったという。 グアイドが帰国した際に逮捕などで混乱した場合、何らかの「偽旗作戦」を実行し、一気に戦乱へというシナリオがあったかもしれない。 国民の多数はマドゥロを支持、アメリカの支配層は軍を買収することに失敗、通常のクーデターは難しい状況。周辺国を使った軍事侵攻や傭兵の調達もも容易ではないようだ。 そこで思い出す出来事がある。フィリピンでフェルディナンド・マルコスのライバルだったベニグノ・アキノ・ジュニアが1983年8月に帰国した際、マニラ国際空港で殺され、86年2月にアメリカ軍がマルコスを拉致したのだ。マルコスに替わって大統領に就任したのはベニグノの妻、コラソン・アキノ。ベニグノとコラソンの息子であるベニグノ・アキノ3世と同様、アメリカの傀儡として働くことになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.06 03:11:09
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