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トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアを訪問、8月27日にウラジミル・プーチン露大統領と会見した。2016年から接近しはじめたロシアとトルコだが、それ以前の経緯もあってシリアの西部地域であるイドリブの問題で両国は対立していた。そのイドリブから武装勢力を排除し、地域を正常化することで両国は合意したようだ。 トルコはすでにロシアから防空システムS-400を配備しているが、さらなる導入も表明された。この取り引きへの「制裁」としてアメリカ政府はF-35戦闘機の売却を中止すると警告しているが、これは欠陥戦闘機であり、たいした脅しにはならないだろう。今回の訪問でロシア製のSu-35やSu-57を調べている。 アメリカの武器/兵器を導入するリスクはイラクにおけるイスラエル軍の攻撃で明らかなっている。この攻撃の際、アメリカはイラク軍のレーダーを止めてしまったとする話がイラク軍の上層部から流れている。トルコが懸念している自体が実際に起こっているということだ。 トルコは2011年3月からシリア侵略に参加、配下の傭兵を送り込んでいた。この侵略はトルコのほか、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、パイプライン建設でシリアと対立したカタールなどによって実行された。トルコやカタールは2016年に入ってから侵略グループから離脱している。戦争の長期化による経済への悪い影響が深刻化したことが大きい。 ネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランの殲滅を計画していた。まずイラクのサダム・フセイン体制を倒してイスラエルの属国に作り替えてシリアとイランを分断、そしてシリアとイランを潰そうとしたのだ。この3カ国が消えればイスラエルに刃向かう可能性のある国は中東から消える。 1991年1月から2月にかけてアメリカ主導軍はイラクを攻撃したが、ジョージ・H・W・ブッシュ(シニア)政権はフセインを排除しなかった。ブッシュ大統領たちはフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤だと考えていたのでフセイン体制を残したのだろうが、ネオコンは激怒した。 アメリカが属国軍を率いてイラクへ軍事侵攻するのは2003年3月。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後のことだ。 イラクへの軍事侵攻でフセイン体制は倒したものの、親イスラエル体制の樹立には失敗、イラクとイランを接近させることになる。そこでアメリカの支配層はフセイン体制を支えていたスンニ派と手を組み、武装勢力を編成してサウジアラビアの情報機関にコントロールされていたアル・カイダ系のグループと合流させている。ちなみに、フセイン政権はアル・カイダ系武装集団を人権無視で弾圧していた。 スンニ派を中心とする武装勢力を傭兵として使う手法は1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが始めたもの。サウジアラビアが戦闘員と資金を提供、その戦闘員をCIAが訓練して武器/兵器を提供、イスラエルも協力していた。アメリカ軍が使える現地の武装勢力を選んだのはパキスタンの情報機関である。 イラクでこの仕組みが復活するのだが、そうした動きは遅くとも2007年に始まっている。その年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いた記事によると、ジョージ・W・ブッシュ(ジュニア)政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにしたという。その過激派の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団である。 2009年1月にアメリカの大統領はブッシュ・ジュニアからバラク・オバマに交代、新大統領は傭兵の主力をムスリム同胞団に決める。そして2010年8月にPSD-11を出し、「アラブの春」が始まる。その流れの中でリビアやシリアも侵略された。リビアへの侵略ではNATOがアル・カイダ系のLIFGと連携していることが発覚している。シリアでも基本的に同じことが行われたが、ロシアがNATOの軍事介入を阻止。傭兵の大半は2015年9月に軍事介入したロシア軍が殲滅した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.28 13:11:37
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