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《櫻井ジャーナル》

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2019.09.15
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 ​インディペンデント(アラビア語版)​によると、ロシア政府のイスラエル政府に対する姿勢が厳しくなった。これまでロシアはロシア人がターゲットにならないかぎりイスラエルによるシリア攻撃を黙認するという姿勢だったが、この報道が事実なら、その姿勢が変化したようだ。8月にはシリアに対するイスラエルの攻撃を3度止めさせたという。さらに、イスラエル軍機が領空を侵犯した場合、戦闘機や防空システムのS-400で撃墜するとプーチンはロシア訪問中のネタニヤフに通告したとも伝えられている。

 ロシアがイスラエルとの戦闘を避けてきた理由のひとつはイスラエルにアメリカ軍の秘密基地があり、同国が兵器庫として機能しているためだとも言われている。イスラエルとの戦争に発展することは避けたいだろうが、侵略には反撃するという意思を示したのだろう。

 イスラエルでは9月17日に議会選挙が予定されているが、3年前から汚職容疑で捜査の対象になっているネタニヤフにとって今年の選挙は通常より大きな意味がある。そこで、選挙対策として軍事的な行動に出たと推測する人は少なくない。

 4月9日の選挙では120議席のうちベンヤミン・ネタニヤフが率いる「リクード」が38議席を獲得し、3名の元参謀総長(ベニー・ガンツ、ガビ・アシュケナージ、モシェ・ヤーロン)をリーダーとする「青と白」の35議席を上回ったが、組閣に失敗して再選挙になった。

 ネタニヤフの父、ベンシオン・ネタニヤフは「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ジャボチンスキーの秘書だった人物。その流れを汲む人びとは今でも大イスラエル、つまりユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配しようとしている。

 イスラエルではゴラン高原に続いてヨルダン川西岸を併合しようとする動きがあるが、それは序の口にすぎない。イスラエルの支配地域をイラク、シリア、イラン、レバノン、エジプトに広げると公言している活動家もいるのだ。

 ジャボチンスキーは「ユダヤ人の国」の建設を公言していたが、その構想は19世紀に描かれている。その構想を実現するために多額の資金を提供した富豪がいるのだが、そのひとりがエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルド。テル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供している。

 この富豪はフランス人だが、イギリスにも同調者はいた。例えば、同じ一族のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。そのライオネルと親しかったベンジャミン・ディズレーリはイギリスの首相を務めているが、その際にスエズ運河を買収している。

 エドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドの孫にあたるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドもイスラエルの支援者として有名。この人物やアメリカの富豪アブラハム・フェインバーグはイスラエルの核兵器開発を後押ししていたことでも知られている。なお、フェインバーグはハリー・トルーマンやリンドン・ジョンソンのスポンサーとしても有名だ。このふたりは前任大統領の死によって副大統領から昇格したという共通項がある。

 この流れはシオニストの本流的な存在で、傍流のジャボチンスキー派とは違いがある。時代によって変化はあるが、両派の対立は無視できない。ヒラリー・クリントンを担いでいたネオコンの背景は本流、ドナルド・トランプの背景は傍流と言えるだろう。

 ジャボチンスキー派は1970年代にアメリカのキリスト教系カルトと手を組んで影響力が増大、イスラエルでも主導権を握ってリクードが労働党を押さえ込むようになる。

 21世紀に入ってその構造に変化が生じるが、その一因はロシアからオリガルヒが逃げ込んできたことにあるだろう。言うまでもなくオリガルヒとはボリス・エリツィン時代に西側の巨大資本やクレムリンの腐敗勢力の手先になって巨万の富を築いた人びと。つまりシオニストの本流に近い。

 シオニストの本流は19世紀にイギリスで作られた長期戦略に従って動いているように見える。ユーラシア大陸の周辺地域を支配し、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧して世界の覇者になるというプランだ。

 この戦略は1904年にハルフォード・マッキンダーという地理学者が発表しているが、その前から支配層の内部では考えられていたのではないだろうか。

 19世紀の半ばからイギリスは中国(清)の制圧に乗り出す。そのために引き起こされたのが1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年までの第2次アヘン戦争だ。

 これらの戦争でイギリスは勝利したが、それは沿岸部の制圧にとどまる。内陸部を制圧する戦力がなかったからだ。内陸部を支配し、中国を完全な植民地にするためには傭兵が必要。そこで彼らは日本に目をつけたのだろう。イギリスが薩摩や長州を支援、その薩長を中心とする明治体制が琉球、台湾、朝鮮、そして中国を侵略していく。その流れが止まるのは日本軍がソ連軍に惨敗した1939年のノモンハン事件だ。

 ネオコンは1991年12月にソ連が消滅、自分たちの傀儡であるエリツィンがロシア大統領に就任した時点で世界制覇の達成は目前だと考えたのだろう。アメリカを「唯一の超大国」と表現し、1992年2月には世界制覇プランのウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成している。このドクトリンに基づき、ネオコン系のPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)は2000年に報告書を発表、ジョージ・W・ブッシュ政権はそれに基づく政策を打ち出していく。

 しかし、21世紀に入り、そのプランの前提であるロシアの属国化が崩れる。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを再独立させたのだ。それ以降、ネオコンはプーチン体制を破壊しようと必死だ。バラク・オバマ政権がロシアとの関係を悪化させ、ヒラリー・クリントンがロシアを恫喝、その後の反ロシア工作(ロシアゲート)につながる。

 こうした中、プーチンはネタニヤフに寛大な姿勢を示してきた。ネオコンを牽制するためだろうが、アメリカの影響力が急速に弱まっていることもあり、ロシア政府の姿勢が変化してきたのだろう。

 今年6月23日に​ネタニヤフはイスラエルでアメリカのジョン・ボルトン国家安全保障補佐官とイランを巡る問題について話し合い、24日と25日にはボルトンのほかイスラエルで国家安全保障担当の顧問を務めるメイア・ベン・シャバトやロシアのニコライ・パトルシェフ安全保障会議長官が加わった会議が開かれた​という。そのボルトンは補佐官を解任された。






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最終更新日  2019.09.15 16:59:20



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