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《櫻井ジャーナル》

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2020.07.09
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 中国で香港国家安全法が成立した。香港の基本法は第23条で中国政府に対する反逆、分離、扇動、転覆を禁止する内容の国家安全法を制定することを定めているが、これまで制定されず、結果として破壊活動を放置することになっていた。「民主化運動」というタグをつけられた活動家は香港の交通手段や店舗を破壊、そうした行為を抗議した市民に殴りかかったり火をつけるというようなことを行ってきたのである。

 破壊活動の実行部隊は黃之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、周永康(アレックス・チョウ)らを中心とする若者の集団で、その背後には元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)らがいる。その後ろ盾になっているのがアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6だ。

 昨年9月に黄之鋒、戴耀廷、李柱銘はフリーダム・ハウスなる団体に「栄誉」を称えられたが、その団体の資金源はCIAの工作資金を動かしていることで有名なNED。CIAが工作で利用している組織や人物へダイレクトに渡すだけでなく、NEDへ流れ込んだカネはNDI、IRI、CIPE、国際労働連帯アメリカン・センターなどへ渡り、そこから渡されることも珍しくない。

 こうした資金ルートは1980年代から整備された。その直前、1960年代から70年代にかけての時期、ベトナム戦争やラテン・アメリカでの汚い戦争などが影響してアメリカの評判は地に落ちていた。そうしたイメージを回復するため、宣伝に力を入れることにし、メディアの統制を強め、宣伝会社を使い始めるのだが、そうしたプロジェクトの一環だ。

 もっとも、その前からアメリカにプロパガンダ体制はあった。1970年代にはアフガニスタンでCIAが秘密工作を始めて体制を揺るがしているが、これは秘密にされ、アフガニスタンでの戦いを西側の有力メディアは「良い戦争」と表現、ソ連軍と戦うジハード傭兵を「自由の戦士」と呼んでいる。すでに情報機関や有力メディアにベトナム戦争での宣伝に関する反省が見られる。ちなみに、その傭兵を募集する仕組みとして作られたのが「アル・カイダ」である。

 しかし、実際のアフガン戦争は「良い戦争」からほど遠いものだった。ベナジル・ブット首相(1988年12月から90年8月、1993年10月から96年11月)の特別補佐官を務めていたナセルラ・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を始めている。

 そうした工作に耐えられなくなったアフガニスタンはソ連に支援を要請、1979年12月にソ連の機甲部隊が派遣された。そのソ連軍と戦わせるためにジミー・カーター政権の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが用意した戦闘集団はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が中心メンバー。その戦闘員を送り込んだのがワッハーブ派を国教とするサウジアラビアだ。

 その工作にはパキスタンの情報機関も協力したのだが、そこには障害があった。ズルフィカール・ブットだ。1971年12月から73年8月にかけて大統領、73年8月から77年7月まで首相を務めている。1977年に首相でなくなるのは、ムスリム同胞団のジアウル・ハク陸軍参謀総長による軍事クーデターがあったからだ。1979年にズルフィカール・ブットは処刑された。言うまでもなく、こうしたパキスタンの動きを背後から操っていたのはアメリカの支配層にほかならない。

 ロナルド・レーガン政権はイメージ戦略を本格化する。その始まりは1983年に署名されたNSDD77。国内での作戦は「プロジェクト・トゥルース」、国外での作戦は「プロジェクト・デモクラシー」と呼ばれている。それ以降、アメリカは侵略戦争を始める際、民主、自由、人道といったタグをつけるようになり、そうしたタグに即したストーリーを宣伝するようになる。そこで宣伝会社の役割が強まっていく。香港でも同じことが行われ、効果を発揮していると言えるだろう。

 ところで昨年8月、破壊活動が盛んだった時期に黃之鋒や羅冠聰を含む若者の指導者はジュリー・イーディー米領事とJWマリオット・ホテルで会っているところを撮影されている。香港の活動家は自分たちがイギリスやアメリカに従属していることを隠さず、両国の国旗を掲げ、国歌を歌っていた。

 イーディー本人によると、彼女の外交官としての赴任地はエルサレム、リヤド、ベイルート、バグダッド、台北、上海、ドーハ、そして香港。戦争地帯や秘密工作の拠点と言われる地域を移動していることもあり、彼女はCIAの非公然オフィサーだと噂されている。こうした構図は2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」と同じ。

 こうした運動を複雑化させている一因はイギリスが発行するBNOパスポート(海外市民旅券)。1997年より前から香港に住んでいる人は取得でき、約350万人が持っているという。香港での破壊活動で逮捕されてもBNOパスポートを持っているとすぐに釈放されていると伝えられている。香港はイギリスの植民地から脱していないということだ。

 香港は19世紀のアヘン戦争でイギリスへ割譲され、その後は麻薬取引やマネーロンダリングを含む秘密工作にイギリスやアメリカの情報機関は利用してきた。また米英は中国侵略の拠点として保持したいはずだ。日本の立場と似ている。

 アングロ・サクソンのアヘン戦争、中国からの略奪戦争はまだ続いている。外国からの中国に対する内政干渉の仕組みを今回の法律制定は壊そうとしているのだ。






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最終更新日  2020.07.09 15:15:31



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