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《櫻井ジャーナル》

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2020.08.09
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 長崎に建つカトリックの浦上天主堂(無現在の聖母司教座聖堂)の上空で原子爆弾(プルトニウム239)が炸裂したのは1945年8月9日のことだった。広島へ原子爆弾(ウラニウム235)が投下されてから3日後の出来事である。長崎では6万から8万人が死亡したと言われているが、その中には天主堂にいた西田三郎、玉屋房吉というふたりの神父と十数人の信徒も含まれている。

 第2次世界大戦後、天主堂を再建しようという動きが起こるが、その一方、破壊された天主堂を原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべきだとする意見も強くあり、長崎市議会は1958年2月の臨時議会で天主堂の保存を求める決議を全会一致で可決した。

 しかし、その決議を無視する形で長崎市長だった田川務と長崎司教の山口愛次郎は取り壊しを決定、3月から解体工事が開始され、鉄筋コンクリート製の新しい天主堂が作られている。田川はアメリカを訪問した後に意見を変え、天主堂の解体に向かったのだ。

 田川がアメリカを訪れた目的は、セントポール市と姉妹都市の提携をするため。この提携を持ちかけたのはアメリカ側で、渡航費用はアメリカ側が負担していたという。そして田川はアメリカで意見を変えた。

 言うまでもなく、日本で最初にキリスト教の布教をしたのはイエズス会。16世紀のことだ。備前で龍造寺隆信と戦っていた有馬晴信はそのイエズス会に支援を要請、イエズス会は有馬と島津の連合軍へ大砲も提供したという。その結果、龍造寺を打ち破ることに成功した有馬晴信は浦上をイエズス会に寄進、有馬自身はキリシタン大名と呼ばれるようになる。

 その後、豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、徳川体制もキリスト教を禁じる。浦上でも信徒は迫害されたが、徳川時代を生き抜き、キリスト教禁制の高札は1873年に撤去された。

 イエズス会が運営している教会が東京の四谷にある。東京大司教区にある麹町教会(イグナチオ教会)だ。戦争で破壊されたこの教会を再建する上で重要な役割を果たしたとされている人物がイエズス会に所属、上智学院長だったブルーノ・ビッテル。

 この聖職者はニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、スペルマンはCIA/OSSと教皇庁を結ぶ人物だった。その当時、アメリカの情報機関の最も重要な協力者はローマ教皇パウロ6世(ジョバンニ・モンティニ)だったが、スペルマンはそれに準ずる重要度の人物だ。

 そのビッテルは闇ドル事件にからんで逮捕されたことがある。霊友会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だが、すぐにふたりのアメリカ人が警視庁を訪れ、重要書類を持ち去ってしまう。闇ドルに関する捜査も打ち切りになった。闇ドルの背後には秘密資金が存在、秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。

 ビッテルは靖国神社の存続でも大きな役割を演じたと自身で語っている。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では、多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していたが、それをビッターの働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

 当時、中国のような日本に占領されていた地域の人びと、そしてイギリス、オーストラリア、ソ連のような国々は天皇の戦争責任を問おうとしていた。天皇制官僚システムの象徴である靖国神社を焼き払おうという将校がアメリカ軍の中にいても不思議ではない。ビッテルの主張が事実なら、靖国神社をアメリカの支配者、あるいは情報機関が守ったと考えられる。

 本ブログでは繰り返し書いてきたので詳細は割愛するが、明治維新以降、第2次世界大戦の前も後も日本はアメリカやイギリスの金融資本に支配されてきた。それが天皇制官僚システム。その象徴的な人物がJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーだということも指摘してきた。原爆で破壊された天主堂が解体撤去された背景にはそうした歴史が反映されている。







最終更新日  2020.08.09 10:00:47



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