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《櫻井ジャーナル》

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2020.09.23
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 アメリカは2018年5月、太平洋軍という名称をインド・太平洋軍へ変更した。太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱おうというわけである。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐ構図になるという。

 アングロ・サクソンにはユーラシア大陸の沿岸地域を支配し、内陸部を締め上げていくという長期戦略がある。その戦略をまとめ、1904年に発表したのが地政学の父とも呼ばれているイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその理論に基づいている。アメリカのインド・太平洋戦略はアングロ・サクソンの長期戦略と合致している。

 太平洋からインド洋にかけての海域は、中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」と重なる。この構想を習近平国家主席が北京で開かれたアジア太平洋経済協力首脳会議で提唱したのは2014年11月だが、始めて口にしたのは2013年の秋。これ以降、中国はアメリカとの関係を見直し、自立の道を歩み始めた。2019年3月にはイタリアがBRIに参加する。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、2014年は国際関係を大きく変える出来事が引き起こされた。2月にバラク・オバマ政権のネオコン(シオニストの一派)はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させてビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、9月から12月にかけては香港で反中国運動、「佔領行動(雨傘運動)」を仕掛けた。ウクライナではイスラエル、香港ではイギリスと手を組んでいる。そうした出来事はロシアと中国を急接近させることになった。

 2015年1月にロシアを中心とするEAEU(ユーラシア経済連合)が創設された。現在のメンバー国はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、そしてロシア。同年5月にそのEAEUとBRIが連結すると宣言される。ロシアと中国が戦略的同盟関係に入ったことを象徴する出来事だ。

 アメリカは新疆ウイグル自治区にジハード傭兵を侵入させ、アフガニスタンでは軍事介入を続けているが、その理由のひとつはBRI潰しだと見られている。ジハード傭兵の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。ワッハーブ派はミャンマー、インドネシア、フィリピンなどでも活動している。

 アメリカのインド・太平洋戦略は中国と同盟関係にあるロシアも刺激し、ロシアと中国をさらに接近させることになったが、この戦略は日本も無縁ではない。安倍晋三首相は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で、「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたという。その安倍が直前に会談したという中国の習近平国家主席は軍部に対し、南シナ海と台湾の監視を強め、戦争の準備をするように命じたと伝えられている。

 中曽根康弘は首相に就任した直後の1983年1月にアメリカを訪問、その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受けた。その中で「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。中曽根は「不沈空母」でなく「巨大空母」と表現したとうが、本質的な差はない。

 ソ連を想定しているので、日本を不沈空母(巨大空母)とした上で4海峡封鎖を中曽根は口にしたのだろうが、相手が中国になると、沖縄から台湾にかけての西南諸島が重要になる。

 アメリカのドナルド・トランプ政権は8月にアレックス・アザー保健福祉長官を、また9月17日にはキース・クラッチ国務次官を台湾へ派遣、蔡英文総統と会談させているが、これは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことで、中国との関係を見直すシグナルと見られる行為だ。こうした訪問に中国は強く反発することは台湾も予想していただろう。これは沖縄におけるアメリカや日本の軍事的な動きと連動していると見られても仕方がない。

 ところで、中曽根の訪米から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖にエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群を終結させ、艦隊演習「フリーテックス83」を実施した。この大規模な演習を報道しなかった日本のマスコミは国外のメディアから嘲笑されている。演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとも伝えられている。

 この艦隊演習から4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空の007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。航空機はアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行した後にカムチャツカを横切り、ソ連側の警告を無視して飛び続けてサハリンで再び領空を侵犯、モネロン島の上空で撃墜されたとされている。

 その年の11月にアメリカ軍は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、NATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画していた。この演習では核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑う。ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、ソ連側は応戦の準備を始めた。そこでNATOは演習を中止しているが、非常に危険な状況にあったことは間違いない。

 そうした出来事があってから2年後の1985年8月12日、羽田空港から伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落、乗員乗客524名のうち520名が死亡している。この墜落に自衛隊が関係している可能性は高いが、その当時、アメリカ軍も自衛隊もまだ軍事的な緊張は高かったはずだ。







最終更新日  2020.09.23 01:32:38



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