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米英金融資本の対ソ連戦 ドイツ軍は1941年6月、つまりアドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ渡った翌月、ソ連へ向かって進撃を始めた。その際、アドルフ・ヒトラーは軍幹部の意見を無視、ソ連を攻撃するために約300万人を投入している。西部戦線に残されたドイツ軍は約90万人にすぎなかった。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001) 西からアメリカ軍やイギリス軍に攻められたなら一溜まりもなかっただろうが、そうしたことはなかった。そして1943年2月にドイツ軍はスターリングラードで降伏、その年の5月にイギリスとアメリカは慌てて協議、7月にシチリア島上陸作戦を敢行した。その際、コミュニスト対策で米英軍はマフィアと手を組む。 スターリングラードでドイツ軍が降伏した段階で第2次世界大戦の帰趨は決したのだが、戦争はしばらく続く。その間にアレン・ダレスやライマン・レムニッツァーはナチスの幹部と善後策を大統領に無断で協議しはじめる。サンライズ作戦だ。 そして1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツは降伏。その直後にチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、作成されたのがアンシンカブル作戦。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだったが、参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行い、成功した。副大統領から大統領に昇格していたハリー・トルーマンは原子爆弾の投下を7月24日に許可し、広島と長崎へ投下されたのである。8月15日には天皇の声明、いわゆる「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれるものが日本人に対して発表された。 その声明発表から15日後、レスニー・グルーブス少将に対してローリス・ノースタッド少将はソ連の中枢15都市と主要25都市への核攻撃に関する文書を提出した。9月15日付けの文書ではソ連の主要66地域を核攻撃で消滅させるには204発の原爆が必要だと推計している。そのうえで、ソ連を破壊するためにアメリカが保有すべき原爆数は446発、最低でも123発だという数字を出した。当時、アメリカはこれだけの原発を持っていなかったのだが、その生産能力をトルーマン大統領も知らなかったという。(Lauris Norstad, “Memorandum For Major General L. R. Groves,” 15 September 1945) チャーチルは1945年7月26日に辞任するが、46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を宣言、その翌年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。 1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えているとチャーチルは話したとする文書が存在する。その半年後に彼は首相に返り咲いた。 一方、アメリカでは1957年に軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備しはじめている。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994) この年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、リーマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったとしている。 こうした好戦的な作戦の前に立ちはだかっていたのがジョン・F・ケネディ大統領。そのケネディは1963年11月22日に暗殺された。好戦派は暗殺の黒幕がソ連、あるいはキューバだという話を流して開戦に持って行こうとしていたが、失敗した。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.27 06:00:07
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