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《櫻井ジャーナル》

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2020.11.03
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 日本学術会議の新会員任命を巡り、会議側と菅義偉首相の対立が続いているようだが、本ブログでも書いたように、学問や言論の自由を侵害する動きに学者達が抵抗らしい抵抗をしてこなかったひとつの結果にすぎない。

 記者や編集者と同じように、学者は支配システムの中で萎縮、迎合してきた。現在の日本は天皇制官僚システムに支配されているわけだが、そうした枠組みの中で経済的、あるいは社会的に成功しようと願えば、その枠組みから外へ踏み出すことはできない。その枠の中にも右や左というタグのつけた人もいるが、「右翼キャラ」と「左翼キャラ」だと言うべきだろう。

 現在、西側の支配システムは新自由主義や新保守主義(ネオコン)というイデオロギーが軸になっていると言える。「自由」と「保守」という表現になっているが、これはタグにすぎず、この表現を深く考えても意味はない。

 このイデオロギーは社会や民主主義を否定し、市場と道徳を「新しい生活様式」の柱にしようとし、富の集中を当然だと考える。その信者たちによると、貧富の差を拡大させる政策に反対する意見は「ねたみ」にすぎない。平等や公正といったことを彼らは考えないのだ。不平等や不公正を当然のことだと彼らは考える。

 マックス・ウェーバーによると、プロテスタンティズムの禁欲は「心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放」ち、「利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまった」。(マックス・ウェーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、1989年)

 そうした考え方を広めたジャン・カルバンらによると、「神は人類のうち永遠の生命に予定された人びと」を選んだが、「これはすべて神の自由な恩恵と愛によるものであって、決して信仰あるいは善き行為」などのためではない(ウェストミンスター信仰告白)。つまり、人間にとって善行は無意味であり、自分が「選ばれた人間」だと信じる人びとは何をしても許されるということになる。侵略、破壊、殺戮、略奪も神が書いた予定表に載っていると彼らは考えるわけだ。

 キリスト教の聖典である新約聖書のマタイによる福音書やマルコによる福音書では「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と書かれているのだが、これも否定されている。金持ちになったのは神に選ばれたからだというわけだろう。この考え方から新自由主義や新保守主義と呼ばれているイデオロギーが生じたようにも思える。

 こうしたイデオロギーの信奉者は1970年代から自分たちへ富が集中する仕組みを築いてきた。サッチャーイズムやレーガノミクスとも呼ばれている。政府や議会への支配力を強め、学者の世界やメディアも従属させることに成功したと言えるだろう。

 支配の仕組みを作り上げる手口は飴と鞭、あるいは買収と恫喝。どうしても屈服しない相手の場合、「消す」ということもあるだろう。かつては射殺することが少なくなかったが、暗殺が明らかになると、消した相手を英雄にしかねない。そこで事故や自殺を装ったり、病死のように見せかけて毒殺したり、有力メディアを使ってスキャンダルで葬り去るようになったと言われている。暗殺が露見しかけると、西側の有力メディアはある呪文と繰り返す。「陰謀論」だ。事実を封印するために彼らのすることが「ファクト・チェック」だ。

 犯罪組織の場合、買収の効果を高めるために相手を経済的に追い込むという話を聞く。弱った相手の前に「救世主」として現れ、コントロールするというわけだ。スキャンダルを作り、脅し、助けるという仕組みは日本にもあると言われている。その仕組みの中には女性や麻薬も組み込まれているようだ。

 本ブログではワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムがCIAの中枢で活動するアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズと情報操作プロジェクト、モッキンバードを実行したことは書いてきた。ダレス、ウィズナー、ヘルムズ、そしてグラハムの妻はウォール街の住人だ。

 また、ワシントンポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したカール・バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書き、いかにメディアがCIAから大きな影響を受けているかを書いた。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 アメリカでも日本でも支配者は学者、記者、編集者などを支配システムに組み込むこともしてきた。例えば、メディアへの支配力を強めたかったロナルド・レーガン米大統領は1983年にメディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスと会談、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)だが、そこには編集者や記者も参加していた。

 こうした支配者の工作結果をジャーナリストのむのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」主催の講演会で冒頭に語っている。「ジャーナリズムはとうにくたばった」。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)くたばったのは学会も同じである。

 言論の自由を守れ、学問の自由を守れ、民主主義を守れといったスローガンを何度叫んでもむなしいだけ。そのようなものは奪われてしまった、あるいは放棄してしまった。今できることは守ることでなく、実現することである。






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最終更新日  2020.11.03 01:08:59



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