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アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は11月16日にパリでエマニュエル・マクロン大統領やジャン-イブ・ル・ドリアン外相と会談する予定だが、その席でフランス側はアメリカ軍がアフガニスタンやイラクから撤退しないように求めるという。 現在、中東から北アフリカにかけての地域は戦乱が広がり、破壊、殺戮、略奪の場。そうした状況を作り出しす切っ掛けは、アメリカ主導軍によるイラクへの先制攻撃だ。アメリカ主導軍でイラクを先制攻撃したのである。大統領はジョージ・W・ブッシュだった。 その攻撃でサダム・フセイン体制を破壊することには成功したが、親イスラエル派の政権を樹立することには失敗。そこで次のバラク・オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、中東から北アフリカにかけての地域を制圧するためにムスリム同胞団を中心とする戦闘集団を編成することにした。そこにサラフィ主義者も加わっている。そして始まったのが「アラブの春」と呼ばれたクーデターであり、リビアやシリアでは侵略戦争に発展した。 ムスリム同胞団やサラフィ主義者を中心とするジハード傭兵を利用する侵略にはアメリカ以外の国も参加している。アメリカと同盟関係にあるイスラエルやサウジアラビア、サイクス・ピコ協定コンビのイギリスとフランス、パイプラインの建設でシリアと対立したカタール、オスマントルコの復活を目論んでいたと言われるトルコなどだ。カタールとトルコは2016年頃に離脱への道を選ぶが、傭兵との関係から抜け切れていない。 サイクス・ピコ協定は石油資源に目をつけたイギリスとフランスが1916年に結んだもので、フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たした。トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。後に協定へ参加した帝政ロシアは1917年3月の二月革命で倒される。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 ローレンスが接触していたフセイン・イブン・アリにイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンは書簡を出し、その中でイギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。フセイン・マクマホン協定だ。このイブン・アリを追い出したイブン・サウドを中心として1932年に作られた国がサウジアラビアだ。 その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相はロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のことである。なお、この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだと言われている。 シオニストの一派で米英金融資本と結びついているネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランの体制を転覆、親イスラエル体制を中東全域に広める計画をたてていた。そこにリビアが加えられた理由はアフリカ支配の問題からだ。 言うまでもなく、アフリカは欧米、特にイギリスやフランスの植民地として搾取されてきた。イギリスやフランスの支配システムはアフリカを搾取できなくなると崩壊する。独立は容認できないということだ。 ところが、リビアのムアンマル・アル・カダフィはアフリカの自立を目論み、通貨の発行権を取り戻そうとした。ドル体制から離脱し、独自の金貨を発行しようとしたのだ。「アラブの春」がなぜ引き起こされたかを考える場合、この事実を忘れてはならない。 この構想にはチュニジア、エジプト、スーダン、南スーダン、赤道ギニア、コンゴ、コンゴ民主共和国、ガボン、南アフリカ、ウガンダ、チャド、スリナム、カメルーン、モーリタニア、ザンビア、ソマリア、ガーナ、エチオピア、ケニア、タンザニア、モザンビーク、コートジボワール、イエメン、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアが加わろうとしていたようだ。(F. William Engdahl, “Hillary Emails, Gold Dinars and Arab Springs,” NEO, 17 March 2016) アフリカにはCFAフランを利用している国もある。フランスも通貨を支配することで甘い汁を吸っていた。フランスにとってもリビアのカダフィは排除すべき存在だったのだ。 フランスのリビア侵略は2010年10月に始まっている。リビア政府の儀典局長が機密文書を携えてフランスのパリへ亡命、ニコラ・サルコジ仏大統領の側近やフランスの情報機関と接触したところから始まっているのだ。 11月にサルコジ大統領は「通商代表団」をベンガジに派遣、その中に潜り込んでいた情報機関や軍のスタッフはメスマリから紹介されたリビア軍の将校と会っている。この頃、フランスとイギリスは相互防衛条約を結んだ。 リビアより1カ月遅れてスタートしたシリア侵略はイギリスが主導している。ロラン・デュマ元フランス外相によると、彼は2009年にイギリスでシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたという。声を掛けてきたふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権がシリアでの平和を望んでいないとデュマに判断させるような相手だったという。 また、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、西側のメディアやカタールのアル・ジャジーラがシリア政府が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていた当時、実際は限られた抗議活動があったものの、すぐに平穏な状況になったことが調査で判明していたという。リビアでも西側メディアが宣伝したような弾圧はなかった。 フランスのマクロン政権は国防長官が交代した後のドナルド・トランプ政権を恐れているようだ。クリストファー・ミラー国防長官代理の上級顧問として雇われたダグラス・マグレガーはポンペオ国務長官やジョン・ボルトン元国家安全補佐官はイスラエル・ロビーからカネを受け取り、大金持ちになったと語っている。 こうした話をするとことから考えると、マグレガーは親イスラエル派ではないのかもしれない。支持勢力を失ったトランプが最後にシオニストの意向を無視した政策を打ち出すのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.15 02:15:58
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