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《櫻井ジャーナル》

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2020.11.25
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 マスコミは「言論の自由」を象徴する存在であり、「社会の木鐸」であるべきだと考える人が日本にはいるようだが、一種の妄想にすぎない。その妄想に反する現実を受け入れられず、不満を口にする人もいるが、現実世界のマスコミは昔からプロパガンダ機関としての側面があり、支配者に使われてきたことも否定できない。

 第1次世界大戦の後、戦争による好景気が終わったことに加え、戦争の舞台になったヨーロッパから多くの兵士が帰還して街は失業者であふれてストライキやデモが続発した。しかも戦争が終わる前年、1917年にはロシアの十月革命で社会主義を掲げる体制が誕生していた。そうした労働者の運動を潰すために利用されたのがニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティである。

 アメリカのマサチューセッツ州では1919年に現金輸送車の襲撃未遂事件があり、その容疑者として逮捕されたのだが、それだけでなく20年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件の容疑者にもされた。

 いずれの事件でもふたりを有罪とするような証拠、証言はないうえ、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡し、ふたりは27年の8月に処刑された。

 その当時、アメリカでは庶民が貧困化する一方、投機が過熱して富裕層は金融資産を膨らませていた。そうした状況を作り出した政府は巨大資本の代理人たちで、1929年3月から33年3月まで大統領を務めたハーバート・フーバーもそのひとりだった。

 そのフーバーを1932年の大統領選挙で破ったのがニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルト。ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアをはじめとするウォール街の大物たちはルーズベルトの排除とファシズム体制の樹立をめざし、1933年から34年にかけてクーデターを目論んだ。その司令官として白羽の矢が立ったのはスメドリー・バトラー退役少将。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で、人望があつかったからだが、バトラーはクーデターに反発、計画の詳細を聞き出した上で議会においてその内容を明らかにしている。

 バトラーから情報を得た新聞記者のポール・フレンチはクーデター派を取材し、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 こうした記者もいたが、金融資本にとって新聞は自分たちの手先にすぎなかった。バトラーによると、「われわれには新聞がある。大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。皆、大統領を見てそのように言うことだろう。愚かなアメリカ人はすぐに騙されるはずだ。」とクーデター派は話していたという。

 第2次世界大戦の終盤、1945年4月にルーズベルトは死亡、ホワイトハウスにおけるニューディール派の影響力は急速に低下、レッドバージで反ファシスト派は粛清された。そうした中、始められたのがモッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトだ。

 ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、このプロジェクトで中心的な役割を果たしたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムの4名。有力メディアの経営者や幹部編集者も協力していた。

 ダレスは兄のジョン・フォスター・ダレスと同じようにウォール街の大物弁護士で、大戦中から情報機関で破壊活動を指揮し始めた人物。その側近だったウィズナーもウォール街の弁護士で、大戦後に破壊活動を実行するために組織された秘密機関OPCを指揮している。ヘルムズの母方の祖父、ゲイツ・マクガラーは国際的な銀行家で国際決済銀行の初代頭取。グラハムの義理の父親にあたるユージン・メーヤーは世界銀行の初代総裁だ。

 ダレス、ウィズナー、ヘルムズは戦時情報機関OSSのメンバーで、グラハムは空軍へ入った後、OSSの長官だったウィリアム・ドノバンの補佐官を務めている。このドノバンもウォール街の弁護士だ。

 フィリップ・グラハムが結婚した相手、つまりユージン・メーヤーの娘はウォーターゲート事件で有名になったキャサリン・グラハム。この事件の取材ではカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードという若手記者が中心的な役割を果たしたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近く、事実上、取材はバーンスタインが行ったと言われている。

 そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だった​ウド・ウルフコテ​は2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出し、世界各国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。ウルフコテは2017年1月、56歳の若さで心臓発作のために死亡した。

 1991年12月にソ連が消滅、唯一の超大国になったと認識したアメリカは侵略戦争を本格化させるが、有力メディアは戦争へ人びとを誘導するためのプロパガンダを展開しはじめた。この時期に広告会社の役割が重視されはじめている。

 その後、2001年9月11日の世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃に関する疑惑を封印、03年3月にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃する前に広めた「大量破壊兵器」という偽情報、11年春に始めたリビアやシリアへの侵略戦争でも偽情報を西側の有力メディアは流していた。本ブログで繰り返し書いてきたことなので詳細は割愛するが、彼らはそうした存在なのだということを忘れてはならない。SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の問題でも彼らは欧米の巨大資本のプロパガンダ機関として機能していると言えるだろう。







最終更新日  2020.11.25 15:00:05



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