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《櫻井ジャーナル》

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2022.01.14
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 少なからぬ人が「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」に気を取られている中、1月10日にロシアとアメリカが、また1月12日にロシアとNATOがウクライナを舞台とした安全保障問題について話し合ったが、予想された通り成果はなかった。

 そうした会議を控えた1月2日からカザフスタンの旧首都アルマトイなどで暴力的な反政府活動が始まる。燃料価格急騰への抗議が切っ掛けだとされているが、始まって間もなく様相は一変、救急車やパトカーが放火されるだけでなく、市庁舎も放火され、銃撃戦が始まる。死者は160名以上に達し、そのうち18名以上が治安部隊員で、​そのうち少なくとも2名は首を切り落とされていた​。

 この流れはリビア、シリア、ウクライナなどと共通。リビアにおける反政府軍の地上における主力はアル・カイダ系のLIFGだったが、2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制体制が倒された後、LIFGがアメリカやイギリスの情報機関から支援を受け、NATOの空軍とも連携していたことが明確になる。

 リビアでの役割を終えた戦闘員や兵器はアメリカ/NATOによってシリアへ運ばれた。「アル・カイダ」の象徴だったオサマ・ビン・ラディンが2011年5月、アメリカの特殊部隊によって殺されたことになっているが、象徴の消滅も人びとから関心を奪う一因になったかもしれない。

 2012年7月から14年8月にかけてアメリカ軍の情報機関​DIA(国防情報局)の局長を務めたマイケル・フリンはバラク・オバマ大統領のジハード傭兵支援は危険だとする報告書を2012年8月にホワイト・ハウスへ提出​した。

 その中で、シリアにおける反政府軍はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で構成され、戦闘集団の名称としてアル・ヌスラを挙げている。そのアル・ヌスラはAQI、つまり「イラクのアル・カイダ」と実態は同じだともDIAは指摘しているが、その主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団。

 オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告しているが、それは2014年に入ってダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になった。その年の8月にフリンは解任される。

 2015年に入ると、2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代する。いずれも戦争に慎重な人物の排除だ。

 この流れからすると2015年にシリアでもリビアと同じようにアメリカ/NATOが地上のジハード傭兵と連携して本格的な空爆を始めるつもりだったと推測できるが、統合参謀本部議長の交代から数日後、ロシア軍がシリア政府の要請で介入、アメリカが手先にしていたサラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とする武装勢力は敗走、新たな手先としてクルドを使うようになる。

 これがアメリカとトルコの関係悪化を招くのだが、つまりトルコは当初、侵略軍の一翼を担っていたのだ。その後、アメリカはトルコでクーデターも試みて失敗。トルコ政府がロシアへ接近したことも一因だが、少し前から再びトルコはアメリカに接近、カザフスタンでのクーデターでも重要な役割を果たしたと言われて知る。

 ところで、2014年に登場したダーイッシュは拘束した人びとの首を切り落とすなど残虐性を宣伝していた。アメリカ軍の軍事介入を容認させるためだったのだろうが、ロシア軍の介入でそうしたシナリオは破綻した。

 こうしたジハード傭兵の一部はウクライナでネオ・ナチと合流、ビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒した。この際、ネオ・ナチは治安部隊員を市民と同じように広場で狙撃、さらに拉致して拷問、殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体も少ない。

 アメリカがヤヌコビッチ政権を倒すのは2014年が2度目。2004年の選挙で大統領に選ばれたヤヌコビッチを排除、西側の私的権力は配下のビクトル・ユシチェンコにすげ替えるために「不正選挙だ」と宣伝、成功している。いわゆる「オレンジ革命」だ。

 これは「カラー革命」のひとつだが、「革命」ではなく「クーデター」と表現する方が適切。かつて、CIAはアメリカの私的権力が持つ利権を守り、拡大するため、配下の軍人にクーデターを実行させ、目障りな人物を拘束、殺害していた。そのイメージを消すため、「革命」という用語を使うようになったのだろう。

 こうしたタグの付け替えは効果的だった。1991年12月のソ連消滅で「唯一の超大国」になったと思われたアメリカ。そのアメリカに歯向かえば不利益を被ることは避けられない。「リベラル」を演じながらアメリカが支配するシステムの中で成功したい人びとは、タグの付け替えを喜んだことだろう。

 1980年台からアメリカはクーデターに「NGO(非政府組織)」というタグを使うようになった。その背景にはロナルド・レーガン大統領が1983年1月に署名した「NSDD11」がある。これによって始まったのが「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めたのだ。

 このプロジェクトの一環として創設されたのがNED(ナショナル民主主義基金)。「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、CIAが秘密工作で使用する資金を流すことが目的だ。ここが政府から受け取った公的な資金はNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流れるが、その資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。USAID(米国国際開発庁)もCIAの秘密工作にとって重要な役割を演じてきた。

 NEDやUSAIDと並ぶクーデターの後ろ盾が投機家と言われている​ジョージ・ソロス​が創設した団体。そうした団体である「オープン・ソサエティ財団」が2020年にカザフスタンの政治団体へ提供した資金は約380万ドル、​NED​は120万ドル以上だ。






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最終更新日  2022.01.14 00:00:08



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