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キエフから63キロメートルほど北にあるブチャで住民が虐殺されたと4月3日に報道された。ウォロディミル・ゼレンスキー政権はロシア軍によるものだとしているが、不自然な点が指摘されている。 ロシア軍は3月30日にブチャから撤退を完了、31日には市の職員がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない。ニューヨーク・タイムズ紙によると、4月2日にはネオ・ナチを主体に編成された親衛隊のアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)がブチャへ入っている。 ロシア軍が住民の犠牲を厭わなかったならば、はるか前にキエフは制圧されていたが、そうしたことにはなっていない。ニューズウィーク誌によると、軍の情報機関DIAは長距離ミサイルが攻撃しているターゲットは軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定している。またアメリカ政府が宣伝している生物化学兵器による「偽旗攻撃」について、アメリカ国防総省の高官はロシアによる化学兵器や生物兵器の攻撃が差し迫っていることを示す証拠はないと語っている。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウクライナの戦争は2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させたところから始まっている。 ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の地域では反クーデターの機運が高まり、クリミアでは3月16日にロシアとの統合を求める住民投票を実施、80%以上の住民が参加、95%以上が加盟に賛成した。この住民投票では国外からの監視団が入り、日本やアメリカに比べれば遥かに公正なものだったと考えられている。 こうした動きを懸念したのか、ジョン・ブレナンCIA長官が4月12日にキエフを極秘訪問、クーデター政権は14日に東部や南部における制圧作戦を承認する。22日にはジョー・バイデン米副大統領もキエフを訪問した。 ヤヌコビッチの支持基盤に含まれていたオデッサでは5月2日に右派セクターが反クーデター派の住民を虐殺している。サッカーの試合を見にきていたフーリガンを挑発して広場へ誘導、市民を労働組合会館の中へ入れたのだが、そこでネオ・ナチのグループが反クーデター派の市民を虐殺している。 50名弱が殺されたと伝えられている。大半は焼かれているが、棍棒などで殴り殺されたり射殺されている人が少なくない。周りが焼け焦げていない場所に焼かれた死体が置かれているため、殺した後に襲撃グループが移動されたということだろう。 しかし、これは地上階で発見された死体の話。地下ではさらに多くの人が殺されたと言われている。住民の話によると、120名から130名が殺され、その大半は運び去られたという。この虐殺事件で中心的な役割を果たした右派セクターは2013年11月にドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーが組織した。 ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに組み込まれたが、その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。昨年11月2日、ゼレンスキー大統領はヤロシュをウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。 クーデター直後、ウクライナの軍や治安機関の中にもクーデターに反発するメンバーが少なくなかった。一部はドンバスの反クーデター軍へ合流している。 そうしたこともあり、クーデター政権は3月13日、内務省に親衛隊を設置。オデッサで住民が虐殺された3日後、右派セクターが中心になって「アゾフ大隊」が創設された。その後、この武装組織は親衛隊の「アゾフ特殊作戦分遣隊」として活動する。その拠点がマリウポリ。この武装グループを当初、率いていたのがビレツキーだ。 オデッサの虐殺から1週間後、クーデター政権はマリウポリ市に戦車などを突入させて市内を破壊、非武装の住民を殺害している。5月9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、住民は外で祝っていた。そこへキエフのクーデター軍が突入したのだ。ここからドンバスの戦争は始まる。 この制圧作戦はロシア語を話すウクライナ国民を虐殺する民族浄化作戦でもあったが、これを作成したのはアメリカ国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.05 07:55:07
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