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《櫻井ジャーナル》

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2022.06.21
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 ​6月29日から30日にかけてスペインで開かれる「NATO(北大西洋条約機構)」の首脳会議​に岸田文雄首相は出席すると言われていたが、6月15日の記者会見で正式に出席を表明した。

 日本はアメリカと1951年9月に「安全保障条約」を締結、アメリカの軍事的な拠点になった。1960年1月に結ばれた新たな「安全保障条約」で日米の軍事同盟は強化され、同時に締結された「日米地位協定」で日本がアメリカに従属していることが明確にされるが、この協定の問題は1995年9月に沖縄で引き起こされたアメリカ兵3名による少女暴行事件でも注目されている。その1995年は日本とアメリカの軍事同盟にとって節目になる年だった。

 1991年12月にソ連が消滅した当時、アメリカの国防総省はディック・チェイニー長官を中心とするネオコンにコントロールされていた。その部下で、やはりネオコンのポール・ウォルフォウィッツ次官を中心に「DPG草案」という形で世界制覇プランが作成されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。

 このドクトリンは旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在的ライバルの中国やEUを潰し、覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとした。つまり中東もターゲットに含まれる。1990年代にアメリカの有力メディアが戦争熱を煽っていた背後にはそうした戦略があった。

 そして1997年にマデリーン・オルブライトが国務長官に就任するとビル・クリントン政権内で好戦的な雰囲気が高まり、98年4月にアメリカ上院はNATO拡大を承認、その年の秋にオルブライトはユーゴスラビア空爆を支持すると表明する。そして1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンでは日本もターゲットに含まれていたが、それと同時にアメリカの戦争マシーンの一部とも認識された。その日本で総理大臣を務めていた細川護熙は国連中心主義を掲げていたが、これはネオコンの戦略に反する主張。そこで1994年4月に細川政権は潰される。

 その時、マイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告」を発表した。日本をアメリカの戦争マシーンに組み込む道筋を示した報告書だが、日本側の動きが鈍い。

 そうした中、日本では衝撃的な出来事が引き起こされた。1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ、ナイ・レポートが発表された翌月の1995年の3月には地下鉄サリン事件、その直後に警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。

 8月にはアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に日本航空123便に関する記事が掲載された。その記事の中で自衛隊の責任が示唆されている。沖縄の事件はその直後だ。

 1995年11月にSACO(沖縄に関する特別行動委員会)を設置することが決められ、96年4月に橋本龍太郎首相とウォルター・モンデール駐日米大使が普天間基地の返還合意を発表する。辺野古に基地を作る計画は1960年代からあり、それがSACOの合意という形で浮上したのだ。

 1997年11月に日本政府は名護市(キャンプ・シュワブ)沖へ海上へリポートを建設する計画の基本案を地元に提示、2006年5月に日米両政府は「再編実施のための日米のロードマップ」を発表、辺野古岬、大浦湾、辺野古湾を結ぶ形で1800メートルの滑走路を設置すると発表している。

 しかし、2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣は「最低でも県外」を宣言。ところが2010年になると前言を翻し、再び辺野古へ移設するとされた。

 この間、アメリカはユーゴスラビアを先制攻撃して国を破壊、21世紀に入ると偽情報を撒き散らしながらアフガニスタンやイラクを侵略、その矛先はロシアへ向けられる。

 2008年8月、北京で夏季オリンピックが開催される前日にジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したのだが、その背後にはイスラエルやアメリカが存在した。この奇襲攻撃はアメリカとイスラエルが入念に準備した作戦だと考えられるが、ロシア軍に惨敗した。戦闘時間は96時間にすぎない。このケースではウクライナでの戦闘と違い、ジョージア軍は住民を人質にできなかった。

 イスラエルの会社は2001年からジョージアへ兵器を提供、それと同時に軍事訓練を行ってきた。ジョージアのエリート部隊を訓練していた会社とはイスラエル軍のガル・ヒルシュ准将(予備役)が経営する「防衛の盾」で、予備役の将校2名の指揮下、数百名の元兵士が教官として入っていた。

 イスラエルがジョージアを軍事面から支えてきたことはジョージア政府も認めている事実であり、アメリカのタイム誌によると、訓練だけでなくイスラエルから無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどの提供を受けている。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008)

 当時のジョージアとイスラエルの関係はジョージア政府の閣僚を見てもわかる。奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリ、そして南オセチア問題で交渉を担当していたテムル・ヤコバシビリは流暢なヘブライ語を話すことができ、ケゼラシビリはイスラエルの市民権を持っていたことがある。

 アメリカもジョージアの戦争準備に関係していた。アメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズは元特殊部隊員を2008年1月から4月にかけてジョージアへ派遣し、「アフガニスタンに派遣される部隊」を訓練している。

 また、攻撃の約1カ月前にアメリカの国務長官だったコンドリーサ・ライスがジョージアを訪問、奇襲攻撃の直後にもライスはジョージアを訪問している。

 この直前までアメリカを「唯一の超大国」だと考え、単独で好き勝手に行動できると信じる支配者がいた。ネオコンは典型例だ。そのように考えに基づく論文も発表されている。

 例えば、外交問題評議会(CFR)が発行している​フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文​では、アメリカは近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとされていた。

 アメリカが「唯一の超大国」でないことが判明した後、2009年1月にバラク・オバマがアメリカの大統領に就任、その翌年の8月に中東や北アフリカへの侵略をムスリム同胞団を主力とする武装勢力によって行うことを承認する「PSD-11」を出した。そして始まったのが「アラブの春」。2011年春にはリビアとシリアに対する侵略戦争も始まった。

 その年の10月にはリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ本人は惨殺された。その際、NATOがアル・カイダ系武装集団と手を組んでいたことが発覚する。

 オバマ政権は兵器や戦闘員をシリアへ集中させるが、バシャール・アル・アサド政権は倒れない。そこでアル・カイダ系武装集団への支援を強化するが、それを​軍の情報機関DIAは2012年8月に危険だと警告​する。バラク・オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告していたのだ。その時のDIA局長がマイケル・フリン。

 その警告は2014年初頭、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になった。そのためオバマ政権の内部で対立が起こり、フリンは2014年8月に退役させられた。

 この頃、オバマ政権は世界規模で戦争を仕掛けたようで、2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行、同年9月から12月にかけて香港で反中国運動、いわゆる「佔領行動(雨傘運動)」を行なっている。

 こうしたオバマ政権の作戦は裏目に出て、ロシアと中国を接近させることになる。両国を接近させることになり、今では戦略的同盟関係にある。

 オバマ大統領はフリンを追放した後、2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させた。戦争に慎重な人物から好戦的な人物に替えたのだ。デンプシーが退役するのを待ち、ロシアのウラジミル・プーチン政権はシリア政府の要請に基づいて軍事介入、アメリカの手先になってきた武装集団を敗走させた。

 この段階でアメリカ支配層の一部はヘンリー・キッシンジャーを使ってロシアとの関係修復に乗り出す。2016年2月にキッシンジャーはロシアを訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談、22日にシリアで停戦の合意が成立している。

 その年の大統領選挙ではヒラリー・クリントンが当選することが内定していたが、キッシンジャーのロシア訪問から風向きが変わる。ドナルド・トランプが台頭、選挙に当選するのだが、民主党だけでなく、有力メディア、CIA、そしてFBIから攻撃を受けた。

 ネオコンはウクライナを拠点としたロシア攻撃の準備を進める一方、そのロシアと戦略的同盟関係にある中国への圧力も強める。日本はその手先だ。今年、​アメリカはGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析、中国との関係を無視してアメリカの命令に従う国は日本しかないという結論​に達したようだ。

 しかし、日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約がある。そこでGBIRMを配備することは難しいため、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案を提示している。











 2016年に自衛隊は与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定しているが、そうした島々にASCMを配備させようとしている。そうしたミサイルで台湾海峡、東シナ海、そして中国の一部海岸をカバーできるというわけだ。

 日本は1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。そうした中、辺野古に基地を作るという話が表面化したわけだが、その後、状況は大きく変化した。ロシアや中国をアメリカは簡単に粉砕できるという前提は崩れ、ロシアや中国が保有する兵器の性能は格段に向上したのである。

 アメリカ軍は辺野古への移設を好ましいとは思っていないだろう。アメリカの好戦派はロシアや中国の周辺にミサイルを配備し、いつでも核戦争を始められる体制を整えようとしている。与那国島、奄美大島、宮古島、石垣島の基地の方が重要なはずだ。

 そうした態勢を整えつつある日本の総理大臣がNATOの首脳会議に出席するということは、ユーラシア大陸の周辺を支配して内陸部を締め上げるという19世紀から続くイギリス(アングロ・サクソン)の長期戦略へ日本が再び参加するということにほかならない。イギリスやアメリカの支援で成立した明治体制は琉球を併合、台湾へ派兵、江華島事件を引き起こし、日清戦争や日露戦争へ突き進んだ。






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最終更新日  2022.06.21 14:44:32



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